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電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

多和田葉子『献灯使』を読む

2025年03月16日 06時00分08秒 | 読書
講談社文庫で多和田葉子著『献灯使』を読みました。帯には「全米図書賞受賞」とあり、第1回翻訳文学部門での受賞のようです。また、震災後の「いつかの日本」、そこにまだ希望は残っているか、というコピーがあり、「世界が認めたデストピア文学の傑作」とされています。内容としては、
献灯使
韋駄天どこまでも
不死の島
彼岸
動物たちのバベル
の五編が収められています。ノーベル文学賞に一番近い作家の一人とされている著者の、東日本大震災後のデストピア文学作品ということで、興味深く読みました。

とりわけ、量的にも内容的にも『献灯使』のインパクトが強いです。「大災厄に見舞われ、外来語も自動車もインターネットもなくなり鎖国状態の日本」で、「老人は百歳を過ぎても健康だが子どもは学校に通う体力もない」という想定です。健康な老人である義郎は、身体が弱いひ孫の無名が心配でならないのですが、無名は「献灯使」として鎖国の日本から旅立つ人に選ばれます。

うーむ、これはたぶん、福島原発事故が収束せず、東日本がすっぽりと被爆するという最悪の事態が起こっていた場合を想定し、首都に人が安全に住むことが難しくなった架空の未来を作家が想像した図なのでしょう。その意味では、このデストピアの姿はまるでありえない想像ではなかったかもしれず、融け落ちた核燃料の冷却とその後始末に悪戦苦闘する現在の報道に、暗澹とした気持ちになります。


ただ、昭和20年に救援に入ったヒロシマで入市被曝した父親の子どもとして生まれ、少年期には被曝二世としての将来に漠然とした不安をいだいて過ごした一人として、「老人は健康なままで子どもが病弱」という想定に違和感を持たざるを得ません。現実には、被曝した親世代が老人となったときにガン死する確率が高まるけれども、子ども世代に遺伝的な影響はないことがわかっています。だから被曝二世である私やその兄弟姉妹が結婚や出産時に不安を持つのは杞憂であったし、社会が漠然とした不安から偏見を持つのはおかしいのです。作家は、むしろ「汚染された土地で老人たちが次々に衰弱しガン死するのを見守る今のところは健康な子供たち」を描くべきではなかったか。社会の偏見の上に立たなければデストピアにならないと考えたのだろうか。

いや、文句があるなら自分で書けと言われても、私にはとても書けませんけれど(^o^)/



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