電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ハーバート・パッシン『日本近代化と教育』を読む

2020年06月05日 06時01分59秒 | -ノンフィクション
1980年にサイマル出版会から刊行された単行本で、ハーバート・パッシン著(國弘正雄訳)『日本近代化と教育』を読みました。購入したのが1988年11月と書き込みがありますので、実に32年ぶりの読了ということになります。おそらくは、渡米時の体験から日本社会の特質を考えることとなり、その一助として本書を手にしたのだったろうと思いますが、今となっては忘却の彼方、しかしなぜか本書への関心は消えずに残り、古本屋に売り払うこともせず、このたびようやく読了した、という次第です。

本書の構成は次のとおりです。

I 近代化を目指して
 1章 教育の近代化
 2章 徳川期教育の特性
 3章 近代教育の基点
 4章 明治政府の教育理念
II 工業化と教育
 5章 日本社会の変化と教育
 6章 高等教育の特質
 7章 教育の中のイデオロギー

ここで、著者パッシン氏は、コロンビア大学の教授の地位にありましたが、もともとはカリフォルニア州モントレイにあった陸軍日本語学校の秀才で、戦争をきっかけに日本研究を専門とするようになったけれど、その研究スタイルは少々異色で、「インドやメキシコなど中後進社会を社会学者の目でつぶさに観察」した結果、「今日の日本をもたらした原動力」として見出したものが「日本近代化における教育の普及と充実」であったとのこと(訳者まえがき、p.5)。

このことは、今となってはすでに常識となっていることではありましょうが、原著『Society and Education in Japan』が書かれた1965年には、たぶんまだ常識となってはいなかったろうと思われます。

前半の、徳川期の教育と明治期の教育の特性がとくに興味深く、統計データをもとに描かれる社会の変化は、必ずしも一直線ではない。とくに明治政府の教育理念として森有礼の姿勢の捉え方はおもしろいものです。すなわち、

  • 科学技術の進歩のためには欧米風の懐疑もしくは批判精神も重要だが、明治の指導者たちが目指す絶対的立憲君主制には脅威となる。
  • 義務教育部門において道徳心と愛国心を徹底的に叩き込んでおけば、エリートを対象にした大学レベルの教育においては学問の自由や批判的合理主義を基調にしても大丈夫である。

というものです。なるほど、これが戦前のアカデミズムにおける一種の自由さと、義務教育レベルの苛烈な修身主義・国家主義との対比を説明するものかと腑に落ちました。

後半の、1950年代から1960年代前半の社会事情を基礎に書かれた内容は、私よりも少し上の世代のことを想定すればよくわかる内容で、意外性はあまりなく、むしろ現代社会と当時との隔たりを大きく感じます。こんなに遠く離れてしまったのだなと、思わずため息が出るほどです。背景にあるのは、やはり団塊の世代の人口急増の頃と、少子高齢化が進行する現代との違いでしょう。



購入直後の1988年頃に読めていれば立派なものでしたが、たぶんその頃は MS-DOS や config.sys などの知識を猛烈に探求していた頃で、有意義な読後感を持てたかどうかは疑問です。むしろ、32年も経過した後の今だから、客観的にゆったりとした見方で受け止めることができる、といったところでしょうか。


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