電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

「捨てる生活」と「捨てない生活」〜いずれも大切な日常性では

2022年04月30日 06時00分05秒 | Weblog
単身赴任の頃、引っ越し荷物を少なくするために、モノを少なくしてシンプルな生活をしようと心がけていました。ところが、数ヶ月で生活に潤いがないことに我慢できず、結局は「音楽を聴きたい、しかもタイマーで音楽を聴きながら目覚めたり眠りについたりするような便利な機能も、という具合」(*1)に、ミニコンポを購入する羽目になりましたし、筆記具は最低限必要な本数を越えて増え続けています。

自宅に戻って生活するようになると、若い頃から集めた様々なものが集積し、身の回りに溢れています。今は、昔の仕事上の資料などを少しずつ処分し、書棚のスペースをあけるように心がけていますが、書籍の増加のほうがはやいようで、書棚はいつもいっぱいです。最近は音楽CDの増加に歯止めがかかり、増えるのはハードディスク内のパブリックドメインとなった音楽ファイルくらいかも。

断捨離という言葉が流行し、シンプルライフに憧れる人も多いようで、モノを捨てられない自分に嫌気が差して落ち込む人も少なくないのだとか。禅僧が喝破した

「もっとシンプルな部屋で暮らしたい」そんな人が永遠に"思い通りの暮らし"ができない根本原因
  シンプルすぎる部屋もゴミ屋敷も、その本質は変わらない

という記事(*2)には共感するところがありましたし、最近話題の五木寛之さんの「捨てない生活も悪くない」という対談(*3)も興味深く、父を残し、ウクライナから避難した人たちは、モノだけでなく生活そのものを捨てさせられたという指摘はまったくそのとおりだと感じました。自分の思い通りにならないどころか、できていた生活がある日を境にできなくなっている現実。

その意味では、身の回りにあふれかえるモノの断捨離に悩んだりすることも、大切な日常性なのでしょう。あるいはそれ自体が幸福の一つの姿なのかもしれません。

(*1):筆記具はお気に入りが数本あれば良いのか?〜「電網郊外散歩道」2012年6月
(*2):「もっとシンプルな部屋で暮らしたい」そんな人が永遠に"思い通りの暮らし"ができない根本原因〜President online より
(*3):「捨てない生活も悪くない」五木寛之さん〜Science & Culture ジャーナル by NHK より



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2 コメント

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殺風景な部屋 (goosyun)
2022-04-30 08:40:55
 単身赴任当時、部屋の中は何もなく、殺風景でした。
 narkejp さんの書いているように、
   「生活に潤いがない」
これが、まさにピッタリの表現でした。
 それと対照的に、現在の私の書斎は、
モノがあふれかえっています。
 ほとんど使わない物もけっこうあるのですが、
ごちゃごちゃとしたこの環境、気に入っています。
 潤いのある生活・・・です。
goosyun さん、 (narkejp)
2022-04-30 08:54:44
コメントありがとうございます。そうなんですよ。単身赴任時は、まさにシンプルライフの極致。でも、生活に潤いがないのです。で、現在の生活は、ちょいとモノが多すぎて困る面もあって(^o^)/
ちょうど中間の状態が良いのでしょうが、そんな状態は長続きしない、というのが本当のところでしょう。最近は、いろいろなモノをあれこれ悩みながら捨ててスペースを開け、暮らしていくのが日常なのだと悟りを開きました(^o^)/

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