三宅幸夫著『ブラームス』(新潮文庫)を再読して、ブラームスの少年期について、いろいろと考えさせられました。ブラームスは、精神的には母の影響が大きかったと言われます。ブラームス一家の生活は決して豊かではなく、どちらかといえば下層階級の生活であったようですが、母親は教養ある中産階級の出身だったそうです。ブラームスは、幼年期には母に、そして中学生に相当する年代には、私立学校で語学と数学と自然科学を学んでいます。また、二人の音楽の師に学びましたが、13~14才の時期には、夜の酒場でピアノを弾くことで生活をしなければなりませんでした。しかも、働き過ぎて健康を害し、保養を余儀なくされています。
中学生時代に、家庭の暖かさを充分に得られずに育った、音楽の才能豊かな少年。常に酔客の機嫌をとらなければならなかった、ストレートな自己主張の苦手な少年。それが少年ブラームスの姿だったとしたら、後年の不器用さや晦渋さや忍耐の姿勢は、よく理解できるような気がします。
中学生時代に、家庭の暖かさを充分に得られずに育った、音楽の才能豊かな少年。常に酔客の機嫌をとらなければならなかった、ストレートな自己主張の苦手な少年。それが少年ブラームスの姿だったとしたら、後年の不器用さや晦渋さや忍耐の姿勢は、よく理解できるような気がします。
ハンブルグのブラームス博物館へ行くと、ブラームスの様々な遺品が保存してあります。その中で目を引くのは、自らの死まで手許に置いていたという、母親愛用の編み針です。これには驚きましたが、終生母親の温もりを手許に置きたかった訳ですね。他にも、自分が結婚したいと思っていた女性にあてが外れて心外だったエピソードなど、飽きません。ただ、なぜかこの博物館は13時で閉まってしまうので、心構えが必要です。
その本、いつか、見つけてみます。
ブラームスについては、又、ブログに書きたいと思いますが、気まぐれブログなので、その日の気分で、料理、猫、芸能の話題になってしまい、音楽がなかなか追いついていません。
”チャイコフスキーの手紙という本”、(これも、フランス語の本なのですが、まだ、読み終わっていなくて、でも、弟たち(双子)に宛てたものが多いですね。)のことも、いつか書きたいです。
そういえば、お互いに毛嫌いしていたのに、対面のとき、ブラームスの方から、恥ずかしがり屋のチャイコフスキーに、積極的に好意を示してきたので、ここで、友情が生まれたと、どこかで、読んだことがあります。2人の、神経質な作曲家が、知り合った場面を、想像するのは、なんだか、うきうきしてしまいます。
もう一人、神経質なのは、ショパンですよね。ショパンとジョルジュ サンドのことも、気になり、いろいろ読んでます。
私も、サンドみたいに、フランス、ノアンのような田舎で、植物の研究しながら、長生きしてみたいものです。