電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

佐伯一麦「Nさんの机で〜ものをめぐる文学的自叙伝」より「風呂敷」を読む

2017年09月29日 06時03分05秒 | Weblog
9月27日付けの山形新聞に、佐伯一麦「Nさんの机で〜ものをめぐる文学的自叙伝」シリーズで「風呂敷」という文章が取り上げられていました。趣のある挿絵が魅力的で、読んでしまいました。佐伯さんは、文学賞の選考会に赴くときには、精魂込めて書き上げた作品を運ぶために、芹沢銈介デザインによる民芸調の風呂敷を用いるようにしており、これは先輩作家の流儀を真似たものだ、というところから始まります。そして、風呂敷の歴史を概観し、子供時代の遊びを振り返り、風呂敷が生かされた文学作品として、川端康成の『千羽鶴』に触れ、風呂敷は実は正方形ではないことに驚きます。なかなか興味深い内容です。



この記事に触発され、当方も風呂敷についてのエピソードを思い出そうとしてみましたが、あまり他人様にご紹介できるほどのことはなく、今回は記事ネタなしと結論づけようと思ったところで、ふと思い出しました。

そういえば、ごく若い頃に受けさせられた仕事上の研修で、講師が大量の資料を風呂敷で包んで運んできて、話のまくらに風呂敷を解くのですが、肝心の研修の中身では、それらの資料は一切使われず、また風呂敷で包んで持ち帰るのでした。あれは、いったい何のために運んでいたのだろう? 今思うに、おそらくは怖いもの知らずの若者たちから突拍子もない質問をされても大丈夫なように、調べるための資料を一切合切みな持参していたのではなかろうか。多忙な講師たちが準備が充分でないところを武装する、紙製防御鎧だったのかもしれません。



私自身、昨年まで非常勤で大学生を教える立場でしたが、そういえば資料やレジメは紙袋に分けて入れ、それらを山響マークのついたトートバッグに放り込んで運搬しておりました。あれも、実は風呂敷で包んで運んでみると良かったのかもしれません。資料は確実にその時間に演習で使っておりましたけれど(^o^)/

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