電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

伊坂幸太郎『死神の浮力』を読む

2017年06月16日 06時02分31秒 | 読書
文春文庫で、伊坂幸太郎著『死神の浮力』を読みました。著者の作品を読んだ最初のタイトルは、たしか『死神の精度』だったように記憶しています。本書は直接にその設定を受け継いでおりますが、短編集のような体裁ではなく、一連のつながりを持った堂々たる作品となっています。面白いです。

本作品は、作家である山野辺遼・美樹夫妻の娘・菜摘がサイコパスと思われる男・本城崇に殺された事件の裁判が、無罪となるところから始まります。死神・千葉は、山野辺遼の幼稚園時代の同級生という触れ込みで自宅内に入り込み、山野辺遼の生死を判定する役割を持っています。でも、今回は単に傍観者的な立場から判定するだけに終わらず、人外の存在であるというスーパーな特性をフルに発揮し、優秀な頭脳と財力を持ちながら良心を持たないサイコパス・本城崇の罠を、山野辺夫妻がくぐり抜けるのを助けます。



本編のストーリーとは別に、ふと考えてしまうことがありました。良心というのも精神活動の一種であるとすれば、脳などの代謝の産物でありましょうから、その代謝経路の一部が欠損または変形していれば、生まれながらに良心を持たない人間はあり得ます。良心を持たない人間が意図して悪を行う例を、報道等によって知ることがあります。本書では、様々な点で生と死、善と悪に関する箴言が披露されていますが、印象的なのはイヌイットの話。一定の割合で生まれてしまうサイコパスを「処理」する方法が、誰も見ていないところで氷河の割れ目に突き落とす、というものだそうな。日本の農村の風習に「村八分」というものがありますが、これなどはまだ優しいうちでしょう。少なくとも、あと二分の余地は残されているわけですから。

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