電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

プロコフィエフ「交響曲第6番」を聴く

2015年09月06日 06時03分06秒 | -オーケストラ
先ごろ、偶然にも発見(*1)したプロコフィエフの交響曲第1番と第6番を収録したCDを、通勤の音楽として聴いておりました。とくに、交響曲第6番 変ホ短調Op.111、第二次大戦が終わった後の、1947年の作品です。Wikipedia によれば、モスクワ西部の村の別荘で、しだいに重くなる病とたたかいながら書かれた、戦争の悲劇と犠牲を内面的に描く密度の高い作品、とのこと。1947年の10月に、戦火をくぐりぬけたレニングラード(*2)で、ムラヴィンスキーの指揮により初演されたものの、1948年には、そのレニングラード封鎖を耐え抜いた指導者であるジダーノフによって「形式主義的過ち」を批判されてしまいます。

スターリン時代に生きた音楽家の作品の中に、生き延びるための二枚舌の背後に隠されたメッセージを読み取ることができるとの主張をときどき拝見しますが、当方は素人音楽愛好家でしかありません。音楽の専門的な立場から、例えば音名の中に隠されたメッセージを読み取ったりするような芸当は、とても無理です。ここはしったかぶりをしないで、作曲家が送り出し演奏家が表現したままの形で、素直に受け取ることとしましょう。

曲は、全部で三つの楽章から成っています。
第1楽章:アレグロ・モデラート、変ホ短調、8分の6拍子、ソナタ形式。誰かオッサンの笑い声のような始まりです。で、その後は庶民の嘆きがボヤキからしだいに悲劇的な要素が強まりますが、プロコフィエフらしい美しい音楽であることには変わりがありません。
第2楽章:ラルゴ、変イ長調、4分の4拍子、ソナタ形式。戦跡を見渡すような広がりを感じさせる緩徐楽章です。でも、たんに叙情的であるだけではなく、力のこもった音楽になっています。作曲家は、通常の「叙情的な緩徐楽章+諧謔味を持つスケルツォ楽章」を配するというような構成はとらなかったようで、こういう音楽ならば、趣旨はわかるような気がします。オーケストラの中にピアノが使われていて、鳩時計のような「ポッポーン!」のところが、やけに印象的。
第3楽章:ヴィヴァーチェ、変ホ長調、4分の2拍子、ソナタ形式。明るく軽快な音楽ではありますが、前進する力のほかに、別の要素があるようです。途中に、やっぱり悲嘆にくれて立ちすくむような、物悲しさも描かれます。最後は、まるで悲鳴を上げて倒れるような、唐突な終わり方です。

参考までに、演奏データを示します。
■小沢征爾指揮ベルリンフィル盤(G 463761-2)
I=15'21" II=14'35" III=12'16" total=42'12"



録音は、1991年の5月に、ベルリンのイエス・キリスト教会で行われたもので、当然ながらデジタル録音です。グラモフォンの "Collectors Edition" 紙箱全集中の1枚ですが、これはドヴォルザークの時のような分割収録(*3)はしていないようです。

(*1):見失っていたCDを発見する~プロコフィエフ「交響曲全集」の1枚~「電網郊外散歩道」2015年8月
(*2):ひの・まどか『戦火のシンフォニー~レニングラード封鎖345日目の真実』を読む~「電網郊外散歩道」2014年8月
(*3):ドヴォルザークの「交響曲第5番」を聴く~「電網郊外散歩道」2007年5月



隣家の同級生の母堂が亡くなりました。同級生は、まだ50代のときに早期退職して、寝たきりとなった母親の介護にあたりました。10年間、在宅で介護しての大往生に、「偉かったね、親孝行したね」と言ったら、「ほめてもらうとその言葉で救われる」と言っておりました。在宅介護の現実は、きっと言い表すことのできないものがあったことでしょう。大きな声で、ほめてあげたいと思います。

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