電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

佐伯泰英『木槿ノ賦~居眠り磐音江戸双紙(42)』を読む

2013年02月10日 06時05分23秒 | -佐伯泰英
昨年12月と今年の1月と、2ヶ月連続して刊行された佐伯泰英著『居眠り磐音江戸双紙』シリーズのうち、最新刊の『木槿ノ賦』を読みました。木槿はムクゲと読ませているようで、晩夏に咲く庭木で、小型の芙蓉のような花が、朝に咲き、夕べには落ちる、あれでしょうか。

第1章:「若武者」。これは、利次郎でも辰平でもありません。なんと、継嗣のない藩主・福坂実高が養子に迎えた福坂俊次のことでした。なるほど、これが昼行灯と評される国家老・坂崎正睦の秘策・切り札だったわけですね。しかも、すでに上様のお目通りも実現して、名実共に継嗣として認められたといいます。田沼意次が、よく認めたものです。ふーむ、これなら、実高とお代の方との和解と再会も不可能ではないと見ました。

第2章:「照埜の墓参り」。実高の養子・俊次は、幕府の定めにより、人質として江戸に残らなければなりません。実高は、磐音に師事し、修行するように命じます。むろん俊次は最初からそれを願っていたわけですが。坂崎正睦と照埜は、国元に帰ることとなります。警護役の若侍もなかなか筋が良いようで、関前藩は剣術の方は人材が豊富なようです。

第3章:「旅立ちの朝」。坂崎正睦と照埜は小梅村を出立します。別れの宴は多士済々、賑やかでしたが、出発の朝はぐっと密やかに。しかし、関前藩の次期藩主・福坂俊次も見送りに来ておりました。陸路の途中、鎌倉の縁切寺に立ち寄ったのは、お代の方との対面の場を準備したためでしょう。作者は、人情で盛り上げようとしているようです。もちろん、多少の攻防戦は用意されておりますが。

第4章:「俄の宵」。出来の良い若者たちがいれば相対的に不出来な若者もいるというのは、自然なことです。竹村武左衛門の息子の修太郎は、母親の過保護がたたったか、どうも思わしくありません。さらに、新たな襲撃者は、短弓に南蛮渡りの猛毒を塗ってあるとか。物騒な話です。加えて磐音は、短慮を絵に描いたような佐野善左衛門の、田沼意次に対するストレス発散のお相手も勤め、カウンセラーの役割も果たします。遠く山形では、奈緒が前田屋内蔵助の介護をする事態も伝えられ、心配事は絶えません。

第5章:「短刀の謎」。尚武館佐々木道場の改築の際に、地中から出土した二振りの古刀のうち、短刀の研ぎが進みます。そこには、葵の御紋とともに、「三河国佐々木国為代々用命 家康」という言葉が刻まれておりました。武家地の拝領屋敷といい、徳川家と佐々木家との深い関わりとともに、何らかの秘命を示唆します。それはそうと、起倒流鈴木清兵衛道場の師範・池内某が、関前藩継嗣・福坂俊次を襲撃させようという密談を、弥助が聞いてしまいます。なんとか襲撃の舟は撃退したものの、藤子滋助が負傷し、霧子が毒矢で深手を負ってしまいます。許せぬ所行と、起倒流鈴木道場に出向き、白河藩の松平定信ら諸大名の居並ぶ前で、主を悶絶させたものの、霧子の生死は危うそうです。

若き徳川家基が急逝するのは歴史的事実ですから、これはいたしかたないものの、佐々木玲圓夫妻を殉死させた作者です。ここで霧子さんを死なせることは充分にありえます。『水滸伝』みたいに、登場人物を次々と死なせる心づもりじゃなかろうなと、先読みしすぎの読者は、つい警戒してしまいます(^o^)/



意外だったのは、木下一郎太の伴侶となった菊乃さんがお酒が好きなこと。まさか、それで離縁になったわけではないでしょうが、全国の酒蔵にとっては心強い味方でしょう。女性がみな甘党とは限りません。男性がみな辛党とは限らないのと同様です。

もう一つ付け加えれば、実高とお代の方の不和は、藩主は隔年で国元へ、正室と継嗣は通年で江戸に暮らさなければならないという幕府の定めた人質制度が背景になっていることはほぼ間違いないことでしょう。単身赴任の経験から言っても、そのことは確かなことです。一般に、愛情は会っている時間に比例し、離れている距離に反比例するものです。これを、当方では「愛情に関するnarkejpの法則」と呼んでおります(^o^)/

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