電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

「のだめカンタービレ最終楽章・後編」を観る

2010年04月26日 06時24分50秒 | 映画TVドラマ
週末農業でようやくカイガラムシの防除を済ませた某日、安心して出かけ観た映画の記録、「のだめカンタービレ最終楽章・後編」です。
当方はにわかのだめファンにすぎず、原作も知らなければテレビの連続ドラマも知りません。たまたまある年のテレビの正月スペシャルでヨーロッパ編を観てその楽しさに目覚めたわけで、実は「遅れてきたのだめファン」です。
でも、あのときのテレビスペシャル「ヨーロッパ編」二回と、今回の前編・後編は、基本的に同じ構造を踏襲しているようです。いわば、前編が千秋の苦闘とサクセスストーリー、後編がのだめチャンの落ち込みと復活のストーリーです。
オリジナル曲等を除き、今回取り上げられた音楽をリストアップすると、後編の特質がおおよそうかがえるように思います。

(1) ベートーヴェン 交響曲第7番(ピアノ編曲版)、オープニング
(2) ショパン ピアノソナタ第3番、オークレール先生の課題曲
(3) ブラームス ヴァイオリン協奏曲、清良のコンクール
(4) ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調、落ち込みの原因
(5) ベートーヴェン ピアノソナタ第31番、嘆きの歌
(6) ショパン ピアノ協奏曲第1番、無名の新人・衝撃のデビュー
(7) モーツァルト 2台のピアノのためのソナタ、音楽による会話
(8) ベートーヴェン ピアノソナタ第8番「悲愴」、出会いの頃を回顧
(9) ガーシュイン ラプソディ・イン・ブルー、エンディング・テーマ

すでに本格的レヴェルに達しているのだめのレッスンは、演奏家として立っていくのに必要な決心というか、覚悟を試されるところに来ています。それを表すのが、ショパンのソナタでしょう。ブラームスのヴァイオリン協奏曲でコンクールに入賞する清良は、コンクールに挑戦し続けるソリストの厳しさと孤独感を表しているのでしょうし、華やかなラヴェルのピアノ協奏曲は、自分が目標としたものを眼の前で打ち砕かれる徒労感、絶望感を際立たせます。その心情を表現するのが、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番の「嘆きの歌」でしょう。ショパンのピアノ協奏曲第1番は、コンクール以外のデビューがありうることを示すと同時に、ショパンと同様に別れと旅立ちを示唆し、モーツァルトの2台のピアノのためのソナタは、2人の見つめあう視線、ベートーヴェンのピアノソナタ第8番の第2楽章は、若かった日々を甘美に思い出させます。そしてハッピーエンドはガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」でにぎやかに。

いや~、今回も郎朗(ランラン)のピアノ演奏にしびれました。特に、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番。かつてこの曲により失意の日々を慰められた記憶があるだけに、のだめチャンの徒労感、焦燥感が転じて絶望感となった時の心情を、よ~く理解できました。
もしかすると、後期のベートーヴェン自身も、失意と悔恨の中にあって、あの嘆きの歌と復活のフーガを書いたのかもしれません。それを思えば、今回の物語のもっとも深いところを表している、重要な曲なのだろうと思います。

(*1):映画「のだめカンタービレ最終楽章・前編」を観る~電網郊外散歩道
(*2):「のだめカンタービレ」を観る~電網郊外散歩道
(*3):「のだめカンタービレ」を観る(2)~電網郊外散歩道
(*4):「のだめ」って、な~に?? ~当ブログに初登場したとき



写真は、霞城公園の桜を撮影するカメラマン氏。いい写真が撮れたかな?

【追記】
ランランの漢字表記を「郎朗」に訂正しました。勘違いしていました(^o^;)>poripori
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