goo blog サービス終了のお知らせ 

電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

来シーズンの山響のプログラムを眺めて楽しむ

2023年11月22日 06時00分23秒 | クラシック音楽
先の山響定期で、来シーズンのプログラムをもらいました。ある程度の概要は、山響ファンクラブのニュースで承知しているとはいうものの、確定しカラーの印刷物となったプログラムを眺めるのは、新しい手帳やダイアリー、雑誌の新年号を眺めるような楽しさがあります。

そういえば、以前はシステム手帳のリフィルに印刷して持ち歩けるように、コンパクトに要約して入力していた(*1)のでしたが、システム手帳も使わないし、自宅にいることが多くなった今は、本家本元の山響の紹介ページにリンクしておきましょう。



来シーズンのテーマは、

『抒情-Lyricism-』~世界のトップランナーが山形に集う2024-25シーズン

だそうです。実際、共演する演奏家の顔ぶれを見ても、

ペーター・ヤブロンスキー(Pf)、セルゲイ・ナカリャコフ(Tp)、ポール・メイエ(Cl)、ジュリアン・ラクリン(Vn)、準・メルクル

など海外勢に加えて、井上道義さん、辻彩奈(Vn)さん、仲道郁代(Pf)さんなど、そうそうたる人たちばかり。特に第318回定期、辻彩奈さんと上野通明(Vc)さんでブラームス「二重協奏曲」、モーツァルト「戴冠式ミサ」でアマデウス・コアの合唱が聴けるのもコロナ禍以来久々で、本当に魅力的なプログラムになっています。今から楽しみでなりません。まずは心身ともに健康で、農作業も着々と進めておき(^o^)、音楽を楽しめるようにしておかなければ。

(*1):例えば 「新シーズン!山形交響楽団&山形弦楽四重奏団の演奏会予定」(2009年1月)「山響の新シーズンの定期演奏会プログラム」(2016年12月)〜「電網郊外散歩道」より

コメント (2)

コンサートホールが大きくなったため演奏のテンポが遅くなった?

2023年11月21日 06時00分08秒 | クラシック音楽
過日の山響定期で共演した佐藤俊介さん、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を、作曲当時のように羊の腸を細く切り、これを巻いて作ったガット弦を張ったヴァイオリンで演奏しました。実際に、楽器の倍音がよく出るためか音色が柔らかく、澄んだあたたかみのある音、との印象を受けました。
ただし、ガット弦は素材が軽く湿気に弱いため、調弦が安定しにくいとか、張力が弱く音量を出しづらいといったような弱点もあるのだそうです。その点、山形テルサホールは800席の定員であまり大きなホールではない上に、響きが良いことで知られています。佐藤俊介さんのヴァイオリン演奏、もっと聴きたかった。例えばこんなふうに。次の機会に期待しましょう。

Bach - Violin Concerto in D minor BWV 1052R - Sato | Netherlands Bach Society




ところで、ガット弦を張ったヴァイオリンは音量が出しづらいことから、大きなホールでは難しさがある、ということから、こんな風に考えてみました。
バッハの時代には、石造りの教会で演奏されることが多かったでしょうし、ハイドンやモーツァルトの時代には、貴族の、お城のようなお屋敷での演奏が多かったことでしょう。ベートーヴェンの時代にも、劇場のようなところで演奏会が開かれることが多く、その席数はあまり多くはなかったようです。ところが、

産業革命が進み、市民階級が演奏会を支えるようになると、経済効率性から演奏会場が大型化していく(コンサートホールの成立)
 ↓
ガット弦では音量が出しづらいことから、オーケストラの人数の拡大とともに、張力を強くできるスチール弦やナイロン弦等が登場する
 ↓
張力が強くできると振幅が大きく取れることから大きな音が出せるが、反面、自然減衰までに時間がかかる
 ↓
テンポを遅めに取り、減衰に要する時間を確保しやすくする
 ↓
ゆっくりしたテンポの重々しい巨匠風の演奏スタイルが主流になる

ということではないのか。

いや、まったく理系の石頭、素人音楽愛好家の発想ですので、実際にどうなのかは不明ですが、19世紀末〜20世紀前半まで、ゆっくりしたテンポで重々しい巨匠風演奏スタイルが席巻した背景には、大人数のコンサートホールが主流になったから、という理由があったのかもしれません。

もう一つ、アホな推測を付け加えれば、大ホールが中心の大都市部では、重々しい巨匠風演奏スタイルに慣れた人たちが多いので、古楽系の演奏を好まない人もけっこう多いのではないかと思います。その点、小ホールで古楽系の演奏に触れる機会の多い田舎では、「それはそれ、これはこれ」とあまり抵抗なく受け入れられやすいのかもしれないなあ、と思います。

コメント

広告に邪魔されることなく長時間ずっと好みの音楽を流すには

2023年10月26日 06時00分10秒 | クラシック音楽
昔の話ですが、1960年代の NHK-FM は、スイッチを入れれば音楽が流れるようなもので、作業をしながらBGMのように楽しむことができるという点で、たいへん具合が良かったように思います。ところが、いつ頃からでしょうか、民放ラジオのようにおしゃべりが主体となり、音楽を流しっぱなしのジュークボックス(*1)のような利用には適さなくなりました。

最近は、YouTube や Spotify など、お目当ての曲を聴く手段がだいぶ増えてきましたが、これらも流しっぱなしにしていると広告が割り込んできて、しかも「会員になってお金を払えば広告は入らないよ」と誘われる仕組みになっているようです。音楽を遮ってしゃべりだす広告には思わず反感を覚えてしまいますし、月額980円、あるいは年額9,800円などの会費を払い続けるに値するほどの利用はたぶんしないでしょう。むしろ、小規模とは言え今まで蓄積してきたLP/CD等のライブラリを何度も聴きたい気持ちのほうが強いです。

私の場合、今は簡易なデスクトップ PC-audio が主体になっていますので、Linux PC 上の Rhythmbox という音楽再生ソフトで、広告に邪魔されることなく長時間ずっと音楽を流し続けることは可能です。ただし、「長時間ずっと好みの音楽を流す」には少々工夫が必要で、それには同ソフトウェアの「フィルタ」機能が役立ちます。



Rhythmbox の「レンズ」ボタンをクリックすると、PC に蓄積された音楽データの中から、キーワードに合致する曲を選択して一覧してくれます。例えば「Piano Trio」と入力すると、ブラームスのピアノ三重奏曲やドヴォルザークのそれ等を表示するので、最初からずっと再生していけば、いろいろな作曲家のピアノ三重奏曲を流しっぱなしにできる、という仕掛けです。

よく晴れた秋の夕方、果樹園から帰って着替えながら「Dvorak」を連続再生すると、交響曲や協奏曲、室内楽、歌曲などがずっと流れ、気分はドヴォルザーク色に。ちょいとユーウツな気分であれば、「Andante」と指定してやると、バッハのブランデンブルグ協奏曲の第2番と第4番とか、バルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」とか、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番とか、Andante と記載のある楽章を再生します。途中でストップして翌日に続きを聴きたければ、PC の電源を shutdown せずに suspend すれば、翌日また続きを再生できます。私の場合は Linux PC ですので Rhythmbox を使いましたが、Windows 上の音楽ツールでもでも同様のことができるはず。ちょいとフィルタを工夫すれば思いがけない演奏リストになることもあり、使い方を工夫すれば、なかなか便利なものです。

(*1): ジュークボックス〜Wikipedia の解説

コメント (2)

山響から予約していたシベリウスの交響曲第3番等のCDが届く

2023年09月22日 06時00分45秒 | クラシック音楽
昨日の午前中、少し離れた果樹園の草刈り作業をしていたら、しとしとと雨に降られて撤退しました。雨に濡れて汗をかいたこういう時は意外に風邪を引きやすいので、着替えてドライヤーで頭もよく乾かして、試しに数個だけ収穫してきたリンゴ「紅つがる」を試食。まだ色づきが今一つですが、大きな実はもう充分に食べられます。表面の色づきが不満なだけで、糖度も味も充分です。遅れているサクランボと桃の施肥とリンゴの収穫の算段をしていたら、宅配の車がやってきました。



届いたのは、某密林からではなくて、先の山響の定期演奏会で予約していたシベリウスの「交響曲第3番」他を収録した音楽CDでした。村川千秋指揮、山形交響楽団の演奏、2023年1月、やまぎん県民ホールでの収録です。また、2022年4月、山形テルサホールで収録された同じくシベリウスの「カレリア組曲」と「フィンランディア」も収められています。さっそく Ubuntu Linux に Rhythmbox で取り込み、愛用する簡易 PC-audio で聴いています。特に交響曲第3番の第2楽章に心打たれました。会場予約の300枚のみ、山響創立名誉指揮者・村川千秋さんのメッセージカードが付いていました。



音楽は心のミルク!! これからも山響をよろしく 村川千秋

音楽は心のミルク…ほんとだな。これからの秋の日々、雨の日は音楽CDを楽しむ時間がもう少し取れそうかな。

コメント (5)

山形放送ラジオ木曜「ミュージック・ブランチ」に山響の五十嵐さん(Vn)出演

2023年09月16日 06時00分07秒 | クラシック音楽
完全リタイアしてほぼ専業農家スタイルの生活をはじめて半年。非常勤とは言え勤務日には聞けなかったラジオ番組も、耳にすることができるようになりました。例えばYBC:山形放送の「ミュージックブランチ」、木曜日はなんと!クラシック音楽の話題で、山響の団員さんのインタビューがあったのです。以前、山響のヴァイオリンの中島光之さんが出演記をブログに書いていました(*1)ので、そういう番組があることは承知していましたが、今回はたまたま草刈り作業のため混合油を調製している時に耳にしました。地方の民法ラジオでクラシック音楽を毎週取り上げている番組はあまり多くないのではなかろうか。

今回のゲストは、ヴァイオリンの五十嵐さやか(*2)さん。千葉県船橋市の出身だそうで、山響に入ってからすでに26年になるそうです。山形の最初の印象は「山が近い!」だったとのこと。これはわかるなあ。千葉県には高い山がなく、最高峰は房総半島の愛宕山(405m)ではなかったか。音楽の経歴もさることながら、整理整頓が趣味の「片付け魔」らしい日常生活のお話が笑えます。我が家にも一度助っ人に来てほしいくらいです(^o^)/

こんどはしっかり覚えました。YBC[ラジオ木曜の「ミュージックブランチ(*3)」にはクラシック音楽の話題で、担当はやはり千葉県出身で「藤沢周平の世界」のナビゲーターもつとめる青山友紀(*4)さん。午前10時ころ、山響の団員がゲストで出演することがある。これ、忘れないようにメモしておきましょう。

(*1): ミュージック・ブランチ〜「中爺通信」2023年2月
(*2): 山響団員インタビュー21 第1ヴァイオリン「五十嵐さやか」〜2018年2月、第266回定期演奏会プログラムより
(*3): YBCラジオ「ミュージックブランチ」
(*4): 青山友紀〜YBC山形放送アナウンサー

コメント

週末はオーケストラの演奏会〜独奏者の交代あり

2023年09月09日 06時00分11秒 | クラシック音楽
この週末は、川中島白桃の収穫も終わり、まずは一段落、ホッとしているところです。幸いに、地元のプロ・オーケストラ、山響こと山形交響楽団の第311回定期演奏会の予定。古希を過ぎても健康で農作業に汗を流し、趣味の音楽で身近に実演に接することができるというのは、実に幸せなことと痛感します。

今回のプログラムは、

  1. 酒井健治:ジュピターの幻影
  2. モーツァルト:ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467 務川慧悟(Pf)
  3. モーツァルト:交響曲 第41番 ハ長調「ジュピター」K.551
      阪哲朗指揮、山形交響楽団

というものです。

なお、独奏者は都合により交代するとの報せがありました(*1)。当初、ピアノは小林愛美さんが予定されていましたが、出産に伴う体調不良とのことでお医者さんの診断に基づき出演を見合わせるとのこと。それは一大事! ぜひお大事になさってください! 務川慧悟さんは、2021年、世界三大コンクールの一つであるエリザベート王妃国際音楽コンクールで第3位に入賞、2019年のロン・ティボー・クレスパン国際コンクールでも第2位を受賞している注目のピアニストとのことで、私はもちろん初めてです。同じハ長調の「ジュピター」交響曲とともに、暑い夏によく働いたご褒美でしょう。楽しみ〜!

(*1): 【重要】第311回定期演奏会 出演者変更のお知らせ〜山形交響楽団ウェブサイトより

コメント

音楽に涼感をもとめて〜フランス音楽ほか

2023年07月25日 06時00分39秒 | クラシック音楽
梅雨が明けたら夏本番。連日、暑いです。こんなときには、気分だけでも涼しさがほしい。音楽で涼しさと言えば、思い当たるのはドビュッシーやラヴェルなどのフランス音楽で、つい先日、山響と仙台フィルの合同演奏会で堪能してきたばかりです。この復習を兼ねて、ネット上のパブリックドメイン音源の中から、涼しそうな音楽をいくつか集めてみました。

まずは、ドビュッシーの「牧神の午後の前奏曲」。YouTube にも Monteux とボストン響による演奏がありました。1959年7月、タングルウッドでの録音です。
Debussy - Prélude à l'après-midi d'un faune - Boston / Monteux live


次に、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲。だいぶ前に記事にした(*1)ことがありますが、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管による1963年の録音。
Ravel: Daphnis et Chloé Suite No. 2, Szell & ClevelandO (1963) ラヴェル ダフニスとクロエ セル


こんどはラヴェルのピアノ曲から。ラヴェル直伝のピアニスト、ヴラド・ペルルミュテールのピアノで、「亡き王女のためのパヴァーヌ」「古風なメヌエット」「水の戯れ」「前奏曲」「ハイドンの名によるメヌエット」の5曲。
Ravel - Vlado Perlemuter (1955) Sonatine et Valses nobles & sentimentales


古い録音だけでなく、少し新しいものをと考えると、なかなか難しい。これは権利関係は大丈夫かな?
ドビュッシー「アラベスク」第1番、マリア・ジョアオ・ピリスのピアノで。
Debussy Arabesque no 1 - Maria João Pires live at Jardin Musical


いやいや、夏なら夕涼みがてら花火でしょう、という人も少なくないでしょうから、ヘンデルの「王宮の花火の音楽」をド派手にハミルトン・ハーティ編曲版で、ジョージ・セル指揮ロンドン交響楽団による演奏、1961年の録音です。実際に演奏された本番の季節は春らしいのですが、まあ、せめて想像だけでも涼しく(^o^)/
Händel: Music for the Royal Fireworks, Szell & LSO (1961) ヘンデル 王宮の花火の音楽 セル


(*1): ラヴェル「ダフニスとクロエ」を聴く〜「電網郊外散歩道」2006年8月

冒頭の写真は、暑さに負け、玄関のひんやりを求めてゴロリとなっている李白です。

コメント

NHKラジオ番組「音楽の泉」のこと

2023年06月25日 06時00分37秒 | クラシック音楽
先の日曜朝8時、NHKラジオ第1「音楽の泉」で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番を放送していました。調べてみたら、マルタ・アルゲリッチのピアノ、クラウディオ・アバド指揮マーラー・チェンバー・オーケストラの演奏でした。この曲、実際はベートーヴェンのいちばん最初に書き始めたピアノ協奏曲なのに、4回も改訂しているうちに出版の順序が後になってしまい、第2番になってしまったのだそうな。作曲家として、ベートーヴェンはどんなところが不満だったのだろうと思います。



それはさておき、この「音楽の泉」という番組は、中波の中で貴重なクラシック音楽枠なのですが、曲目によっては音域的にちょいと辛いと感じることもあります。できれば、FM放送並みの音質で放送されないものかと思っていました。ところが、同番組のWEBサイトを調べてみたら、何のことはない、次の土曜日の朝5時から、ちゃんとNHK-FMで放送されているのでした。

したがって、本日、6月25日(日)の朝8時5分からは、ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送管弦楽団の演奏で、モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」が放送されますが、その週の土曜日、7月1日の朝8時5分から、これが再放送されるという具合です。さらに、「らじる★らじる」の聴き逃しサービスではこのFMによる再放送を聴くことができるようです。解説もマニアックに過ぎず、わかりやすいものですので、早朝、まだ家族が寝ている時間帯に、一人でコーヒーを飲みながら静かに音楽を聴くにはちょうどよいかもしれません。

YouTube で探してみたら、若手のダニエル・ハーディング指揮ウィーンフィルによる「プラハ」の動画がありました。クーベリックはどちらかといえば昔ながらの重々しいほうですが、こちらは古楽の影響を受けた軽やかなもののようです。

**♪Mozart: Symphony No. 38, "Prague" / Daniel Harding & Vienna Philharmonic Orchestra 2006


コメント

雑誌『レコード芸術』が休刊になるらしい

2023年04月06日 06時00分36秒 | クラシック音楽
音楽之友社から刊行されていた月刊雑誌『レコード芸術』が、休刊になるらしい(*1)です。驚きましたが、ある意味、「やっぱり」という感じもあります。雑誌全体が不調なのに、ターゲットがレコード、CDなのですから、さらに不調。編集のスタイルも、いかにも昭和の感覚が満載のもので、たまに手にすることがあっても、定期購読は考えもしませんでした。多くのライターの皆さんは、これからどうしていくのだろう。そんな余計な心配をしてしまいます。時代が時代なので仕方がないと感じる面と、もう少し変わろうとする動きがあってもよかったのではないかと思う面と、両方があります。

しかし、同じ会社の出版物に『音楽の友』と『ステレオ』誌があり、方向性は変えられない以上、録音されたLPやCD等を話題としてやっていくしかない。であれば、この時代には齟齬が大きくなってしまう、ということなのでしょう。そういえば、一度、山響の録音をCDにして添付したことがありましたが、地方オーケストラを取り上げようとすれば『音楽の友』誌とかぶり、PC-audio について取り上げようとすれば『ステレオ』誌とかちあう。なかなか難しいものです。

そういえば、1980年代の始め頃だったか、音楽之友社の『レコ芸』に対して『ステ芸』と呼ばれながらラジオ技術社から発行されていた『ステレオ芸術』誌も休刊になっていました。あのときはあくまでも発行元の事情だったようですが、あれから40年以上、『レコ芸』はよく頑張ったと言うべきなのかもしれません。

(*1): 『レコード芸術』休刊のお知らせ〜音楽之友社

コメント (6)

モリコーネ「ガブリエルのオーボエ」のこと

2023年03月25日 06時00分37秒 | クラシック音楽
先日の「山響サンクスコンサート2023」で聴いて、妻がたいそう気に入ったという曲、モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」について、少し調べてみました。まず、こういう曲です。

モリコーネ「ガブリエルのオーボエ」|映画「ミッション 」【フルオーケストラ演奏】ボローニャ歌劇場フィルハーモニー マッテオ・トレンティン[吉田裕史指揮]


イタリア在住のヴァイオリニストの横山令奈さんが、イタリアで最も感染状況が激しかったクレモナ市の病院の屋上から、コロナ禍で奮闘する医療従事者のためにと演奏した2020年の映像:
"Audizione a Cremona" | Gabriel's Oboe - Ennio Morricone | by Lena Yokoyama | PRO CREMONA


同じく2020年、ロックダウンが解除されたクレモナ市の博物館での演奏、ピアノとの二重奏で。
Gabriel's oboe "Mission" E. Morricone - Duo version - L. Yokoyama - D. Maccagnola


エンニオ・モリコーネは、Wikipedia によれば(*1) 1928年生まれのイタリアの作曲家で、映画「荒野の用心棒」「シシリアン」などの音楽を作曲したことで有名、とのことです。「荒野の用心棒」は、たしか黒澤明監督の「用心棒」をモデルに西部劇にリメイクしたものではなかったかと記憶していますし、「シシリアン」の音楽も当時ずいぶん頻繁に聴いたことがあります。モリコーネは2020年に亡くなっていますが、「ガブリエルのオーボエ」のもとになった1986年の映画「ミッション」は映画館でもDVD等でも観ていませんでした。どうやら南米におけるイエズス会の宣教師の物語らしいので、ぜひ一度は観ておきたいところです。



そうだなあ、1986年というと私はまだ34歳、ようやく自宅から通勤するようになって、長距離通勤をしていた頃でしょうか。LPやCD等からカセットテープにダビングして、カーステレオで音楽を聴く時間が最も長かった時期かもしれません。TDK の AD, SA、SONYの ES、maxell の UD-XL、DENON の DX-3, DX-5 などがお気に入りのカセットテープでした。つい最近のような気がしていましたが、ずいぶん遠い時代になってしまったのだなあ…Sigh !



(*1): エンニオ・モリコーネ〜Wikipedia の解説

コメント (2)

名指しされる怖さよりも〜1939年のオランダで

2023年02月04日 06時00分57秒 | クラシック音楽
1960年代のバーンスタインの録音によりマーラーの音楽のブームがやってくる前には、マーラーの曲を取り上げるということは何かしら特別の意図を表明するような面があったのだろうと思います。ましてやナチス・ドイツが政権をとり、全ヨーロッパで戦争に突入しようとする前の1939年の10月、隣国オランダでアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏会が開かれた時、プログラムにドイツ国内では演奏禁止となったユダヤ人作曲家マーラーの「大地の歌」が組まれていれば、何かしら物議を醸すことは予想できたことかもしれません。

しかしながら、「大地の歌」の終楽章(第6楽章)「告別」でアルト独唱が一休みしてオーケストラが静かに演奏し告別の音楽に移行するとき(第6楽章の開始から19:32あたり)、ホール内で誰かがすっと立ち、

Deutcheland uber alles, Herr Schuricht ! (世界に冠たるドイツ帝国ですよ、シューリヒトさん!)

と名指しします。このとき、その意味するところは「このままにしてはおかないぞ、覚悟しておけよ、シューリヒト!」というものだったはず。指揮者も、独唱者も、オーケストラも、音楽に没入していてとっさには意味がわからなかったかもしれませんが、この警告というか脅迫というか、音楽に突き立てられた悪意の声がそのまま録音され残されていた(*1)というのは驚きです。翌年にはナチス・ドイツがオランダに侵攻するわけですから、誰かがこの録音を守っていたのでしょうか。

「クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜」は、著作権の切れた過去の録音を多数紹介しているまことにありがたいWEBサイトですが、このシューリヒトとアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団による1939年10月の録音のこと(*1)は知りませんでしたし、驚きました。もしかすると、ある程度こうしたことが起こることは予想されていたことかもしれず、大勢の前で名指しされる怖さよりも音楽への没入が勝っていたことを意味するものかもしれません。しかし、内容的には素晴らしかった演奏会の後、独唱のケルステン・トルボルイには相当のトラウマとなっただろう(*2)と思われます。

さらに空想をたくましくするならば、この言葉を発したタイミングです。開演前のざわざわした時間に実行するのではなく、また楽章間や終演後に行うのでもない、まさにこれからいいところが始まろうとするタイミングで発せられる冷酷な言葉。実行者は、作曲後30年になるとはいえまだまだ知名度の高い有名曲とは言えなかったマーラーの「大地の歌」の音楽を熟知していたのだろうか? もしかすると、ナチス・ドイツにつながる音楽関係者の中にこの演奏会の失敗と指揮者シューリヒトの失脚を願っていた人がいて、このタイミングがいいよとアドバイスしていたのかもしれません。

年を取ると、さまざまな悪意の背後に誰か別の人の利害がちらつくのが見えるように感じたりして、そんなものが見えなかった若い頃が懐かしいという気持ちも少なからずわいてきます。困ったものです。

(*1): マーラー:交響曲「大地の歌」イ短調〜「クラシック音楽へのおさそい〜Blue Sky Label〜」より
(*2): シューリヒトの「大地の歌」での「あの一言」〜「いいたい砲台」〜Grosse Valley Note〜より

コメント (6)

新年に聴くプレイリスト

2023年01月02日 06時00分30秒 | クラシック音楽
今、自宅で静かに聴きたい音楽をリストアップしてみました。気分としては、あまり暗くない曲がいいなあと思いますが、また一方であまりに強すぎる曲を聴く気分でもない。できれば親密で後味の良い曲がいいなあ、と考えて選んだのがこんな感じです。

  1. J. ハイドン 弦楽四重奏曲第20番 Op.17-6 フェスティーシュ・クヮルテット
  2. J.S. バッハ ブランデンブルグ協奏曲第1番 カール・シューリヒト指揮チューリヒ・バロック・アンサンブル
  3. R. シューマン アダージョとアレグロ Op.70 ポール・メイエ(Cl)、エリック・ル・サージュ(Pf)

ハイドンとバッハがともに約20分強、シューマンがおよそ10分弱ですので、あわせてLP1枚分の1時間弱。耳を傾けるにはこれくらいがちょうどいいでしょう。Linux PC に蓄積した音楽データを RhythmBox で再生し、簡易なデスクトップ PC-audio で静かに聴きます。



現代では、ネットでいくらでも演奏動画を探すことができるようになりました。演奏者は少し違いますが、このプレイリストを YouTube で聴いてみましょう。

ハイドンの弦楽四重奏曲第20番 作品17の6、フェスティーシュ四重奏団
J. Haydn - Hob III:30 - String Quartet Op. 17 No. 6 in D major


J.S.バッハの「ブランデンブルグ協奏曲第1番」、カール・シューリヒト指揮チューリヒ・バロック・アンサンブルの演奏で。実は演奏しているメンバーがスゴイ。
Bach Brandenburg Concerto No.1 in F major,BWV1046(Schuricht 1966)


シューマンの「アダージョとアレグロ 作品70」、クリスティアン・シュミットのオーボエで。
Robert Schumann - Adagio und Allegro (Christian Schmitt - Alessandra Gentile)


同じくシューマンの「アダージョとアレグロ 作品70」、リン・ハレルのチェロで。
Lynn Harrell - Schumann: Adagio & Allegro


お気に入りの「アダージョとアレグロ」(*1)は、今回はオーボエとチェロの2種類の演奏を探しました。やっぱりいいなあ。

(*1): シューマン「アダージョとアレグロ」を聴く〜「電網郊外散歩道」2021年12月

コメント (2)

コロナ禍とオーケストラ〜「山響クロニクル〜50年の軌跡」(25)〜(27)を読む

2022年12月22日 06時00分43秒 | クラシック音楽
亡母の葬儀や私のコロナ感染等で中断していましたが、地元紙・山形新聞の連載記事は、コロナ禍がオーケストラにもたらした影響をよく表していました。新型コロナウィルスの流行で痛手を受けたのは、飲食業や観光・旅行業界だけではありませんで、音楽や演劇なども大きな打撃を受けました。



10月18日付(25)「逆境でも前へ」。2020年7月、数カ月ぶりに聴衆に生の演奏を届けた山響は、演奏する側と聴衆との間で「ブラヴォー!」という声に代わる声援の送り方として、「Bravo!」タオルや手ぬぐいを発表します。大きな声を出すことが出来ない聴衆が Bravo ! タオルを掲げることで、演奏家に共感や応援の意を示すスタイルが始まり、SNS 等を通じて山形から各地に広がっていく様子が描かれます。



10月25日付(26)「そして原点に返る」では、山形市がクラウドファンディングや直接寄付などの支援の輪の広がりに対して、全国的にも目を見張る額の支援が寄せられます。地域に根を下ろしたオーケストラの意義が再確認されたことでした。ただし、見出しの「すべては山形のために」の「すべて」は言い過ぎでしょう。山響は県外でも演奏会を開きますが、これらも「山形のため」となると「収奪的出稼ぎ」のイメージを受けてしまいかねません。それはやや事実に反するのでは(^o^)/



11月1日付(27)「その先へ」では、第300回記念定期演奏会を取り上げ、コロナ禍の中で培った発信力を活かして地域や観光の視点を取り込んだプロジェクトをスタートさせたことを紹介します。創立名誉指揮者の村川千秋氏と常任の阪哲郎さんの言葉、「積み重ねてきた50年はあくまで通過点。ここが次の50年へのスタートだ」はまことにその通り。私にとっても、古希を迎えてこれからの人生の音楽の楽しみがまだまだ続くのはまことに幸せで、ありがたい限りです。

コメント

新型コロナの回復期に聴いた音楽は

2022年12月06日 06時22分48秒 | クラシック音楽
新型コロナウィルスに感染し、自宅療養をしていた期間の前半は、発熱や激しい咳と痰に酸素濃度の低下もあって、音楽を聴くような余裕はとてもありませんでした。ところが、ワクチンの効果により抗体が活発に産生されるようになってきた後半は、症状もだいぶ楽になり、寝ているだけの生活に飽きて、寝床脇のミニコンポでいくつか音楽CDを聴きました。

今回、選んで心に残ったのは、

  • モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番「ジュノーム」、アンネローゼ・シュミット(Pf)、クルト・マズア指揮ドレスデン・フィル
  • ドヴォルザーク:ピアノ三重奏曲第1番、スーク・トリオ

でした。とくにモーツァルトは、重症化への不安が和らぎ、回復期の心にしみるものでした。また、ドヴォルザークの若々しい活力も、回復への期待が実感されるものでした。明るく若々しい要素がいっぱい詰まった前向きな音楽。そんなところが、共感できた理由なのかも。

(*1): モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノーム」を聴く〜「電網郊外散歩道」2006年11月
(*2): ドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲第1番」を聴く〜「電網郊外散歩道」2009年3月

参考までに、YouTube の動画を貼り付けておきましょう。

まず、モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノーム」、マリア・ジョアオ・ピレシュのピアノで。
Mozart Piano Concerto No 9 E flat major K 271 Jeunehomme Maria João Pires Orchestre Philharmonique d


続いてドヴォルザーク。
ATOS Trio: Dvorak - Trio No.1 in Bb-Major, op.21



コメント

演奏会と拍手の意味〜「山響クロニクル〜50年の軌跡」(22)〜(24)

2022年10月13日 06時00分09秒 | クラシック音楽
新型コロナウィルス禍により演奏会の開催が困難となったとき、演奏家の人たち、とくにプロの演奏会の人たちは大きな危機感を持ったことと思います。それは東京など日本国内に限らず、世界中で生じた現実でしたが、人口20万余りの都市基盤しか持たない山形交響楽団にとって、衝撃的な現実であったろうと思われます。演奏会を開き演奏を行うことで存立の基盤としてきた団体が演奏会を開くことができないわけですから、大きく言えば自らの存在意義を問われかねない事態でしょう。



このあたりの状況を、地元紙「山形新聞」の連載記事「山響クロニクル〜50年の軌跡」では、9月20日付け「(22)前代未聞の演奏」として、2020年3月の定期演奏会を無観客で実施し、インターネットを通じて生配信したことを伝えています。「閉塞感が漂う今だからこそ、県民に音楽という喜びを届けるべきではないか。こういう時に山響の役割を果たしたい」という西濱事務局長の言葉どおり、このときのインパクトは大きく、リアルタイムで3万人、のべ人数で10万人が視聴したとのことです。私もこのときの異常な緊張感、集中力に満ちた演奏を聴き、誰もいないホールで客席に向かって指揮者も団員も一礼する姿を見て、伝えたいものが伝わったように感じました。でも、双方向メディアとは言いながら、こちら側の共感をリアルタイムに伝えることはできないのです。



9月27日付け「(23)コロナ禍の模索」は、再びインターネットを通じたライブ配信や、子どもたちに向けた楽団員によるリモートアンサンブルの動画配信など、さまざまな試みが行われたことを伝えています。さらに10月4日付け「(24)音楽の力」では、常任指揮者・阪哲朗さんの指揮のもと、新県民ホールを会場に少しずつ段階的に聴衆を入れて演奏会を再開する様子が描かれます。



確かに、コロナ禍の中で余儀なくされたこととは言え、インターネットによるライブ配信等によってより多くの人々に山響の演奏を届け、興味を持ってもらうことができたことは大きな意味があると考えますが、その一方で、地元で定期演奏会に通い、山響を応援するものとして、ホールを圧倒するような大きな拍手で共感や応援を伝えたい。演奏家が真剣に努力した音楽的な営みが聴衆に伝わり、共感と応援とが熱と力のこもった拍手となって届けられることが演奏会の本来の姿なのだと、あらためて感じられたことでした。

コメント