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電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

シューマン「ピアノ三重奏曲第1番」を聴く

2009年12月27日 06時20分16秒 | -室内楽
なかなか音楽にじっくり耳を傾ける時間が取れません。というよりも、気持ちの余裕というか、ゆとりの問題でしょうか。このところ、暇を見つけて聴いているのが、シューマンのピアノ三重奏曲第1番、ニ短調、Op.63です。
この曲は、シューマンがライプツィヒからドレスデンへ居を移した1847年の6月から10月にかけて作曲されたのだそうで、交響曲第1番の作曲を終えた、作曲家37歳の作品となります。

第1楽章、精力的かつ情熱をもって。低音から上昇するヴァイオリンが、なにか恨み言でも言っているような雰囲気です。ヴァイオリンが激しく自己主張すると、チェロが力強くそれに応じます。途中の中間部、ハーモニクスでまるでヴィオラのように裏返った中音を奏するのはチェロなのでしょうか。ピアノは豊かな和声を聴かせ、弦の歌う旋律を支えます。クララの誕生日のために書かれたとはいうものの、ピアノだけが前面に出すぎることはありません。三者のバランスが、たいへんよく取れていると感じます。
第2楽章、生き生きと、だがあまり速くなく。活発で、はずむようなリズムがたいへんおもしろい。ピアノという楽器は、こういう音楽になると、ほんとうに目覚ましい活躍をするのですね。
第3楽章、ゆるやかに、深い内的な情感をもって。深く沈み込むような、瞑想的な気分を持った楽章です。ゆるやかなヴァイオリンの旋律に、そっと呟くようなピアノに込められた感情。そしてチェロが歌い出すと、それはもう、まだ絶望の淵を覗いてはいない、シューマンの憧れの世界です。
第4楽章、火のような情熱をもって。再び活発で情熱的で、三人の奏者がぶつかり合う音楽です。晴れやかさに陰りをもたらそうとする楽想と、それを押し返し、堂々たる音楽のフィナーレを迎えようとする楽想のせめぎあい。

ピアノ三重奏曲という曲種は、同じ室内楽とは言っても、弦楽四重奏などの、調和を重視する内向性とはやや異なり、奏者の個性が互いにぶつかり触発しあうような面があるように思います。チョン・キョンファ(Vn)、ポール・トルトゥリエ(Vc)、アンドレ・プレヴィン(Pf)という三者の個性が触発し合う様子は、メンデルスゾーンの同曲のほうが顕著のように思いますが、このシューマンの演奏も十分に個性を発揮したものです。
いっぽう、ジャン・ユボー(Pf)とジャン・ムイエール(Vn)、フレデリック・ロデオン(Vc)の三人の演奏は、より親密な雰囲気を重視したもののようです。両者の間には、テンポの設定に若干の違いはありますが、演奏時間はほとんど同じです。むしろ、音楽の表情、身振りの大きさ、そういう雰囲気の違いが大きいのかもしれません。

■チョン・キョンファ(Vn),アンドレ・プレヴィン(Pf), ポール・トルトゥリエ(Vc)
I=12'40" II=4'36" III=6'25" IV=7'51" total=31'32"
■ジャン・ユボー(Pf), ジャン・ムイエール(Vn), フレデリック・ロデオン(Vc)
I=12'22" II=4'59" III=6'23" IV=7'46" total=31'30"

これまで、エラートの「シューマン室内楽全集」で楽しんできました(*1)が、たまたま購入した「メンデルスゾーンとシューマンのピアノ三重奏曲第1番」チョン・キョンファ、トルトゥリエ、プレヴィン盤は、今年、もっとも印象的なCDの一つでした。メンデルスゾーンも名演ですが、すでに記事にしております(*2)ので、今回はシューマンの第1番のほうで。

(*1):シューマンのピアノ三重奏曲第2番を聴く~「電網郊外散歩道」
(*2):今日は花の金曜日~メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲を聴く~「電網郊外散歩道」
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今年もバラ公園で弦楽四重奏を聴く

2009年09月23日 17時36分16秒 | -室内楽
あいにく朝から雨降りとなった連休最終日、村山市の東沢バラ公園で、山形弦楽四重奏団の演奏会を聴きました。昨年も一昨年も好天に恵まれて、園内はたくさんの人出でした。雨降りの今年は、色とりどりのバラが見事に咲いておりましたが、園内を散策する姿はまばらで、山Q演奏会目当てのお客さんが中心のようです。






ログハウス内には、当初数十人程度のイスを並べて用意してありましたが、開演間近になると、立ち見のお客さんも出るほどで、ずいぶんたくさんの聴衆が来られていたようです。



開演のご挨拶は、第2ヴァイオリンの駒込綾さん。緑色に反射するえんじ色?のドレスに、白っぽい半袖のカーディガンをはおって、肌寒さの対策です。第1ヴァイオリンの中島さんは、黒のズボンに紺のシャツ、黒っぽいプリントのネクタイ。ヴィオラの倉田さんは、いつものように黒のズボンに黒のシャツ、ただしネクタイはえんじ色のストライプに音符?入り(*)。チェロの茂木さんも、上下黒に明るい両ストライプのネクタイ、楽器に同系色のバンダナを合わせています。
(*):【追記】実はスヌーピーだったのだそうな。



はじめは、モーツァルトの弦楽四重奏曲第6番。第1楽章、アンダンテ。曲は、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロから始まり、第1ヴァイオリンはお休み。まるで弦楽三重奏曲みたいです。やがて第1ヴァイオリンが加わり、おだやかで柔和な四重奏の音楽となります。開け放した窓から外気が入るぶん、今日は湿気があり、楽器には厳しい条件のようです。それでも、四人のアンサンブルにはあたたかさがあります。第2楽章、速めのテンポで、印象的なト短調のアレグロですが、途中でちらりと優しい明るさも。活発な推進力に富む、集中力を求められる音楽ですが、聴衆も奏者と一体になった時間を過ごすことができました。なかなかすてきな音楽ですね~。第3楽章、アレグロ・グラツィオーソ。軽やかな舞曲風の音楽。ちょっぴりだけヴィヴラートをかけた音が、しっとりと響きます。K.159 というと、たぶんまだ少年の頃の作品でしょう。「栴檀は双葉より芳し」といいますが、まったくそのとおりです。

続いて、ハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」から、旋律がドイツ国歌にもなっているという、第2楽章。2本のヴァイオリンのデュエット、「だちゅ」さんこと駒込さん、気持ちよさそう。音色にあらわれているみたい(^o^) ヴァイオリンのオブリガート?も息のあったところを見せ、ヴィオラもチェロも、伸びやかなフレージングが、やっぱり気持ち良さそう。

続いて、大好きになった幸松肇さんの「弦楽四重奏のための4つの日本民謡第1番」。第1曲、お琴のような強いバルトーク・ピツィカートで始まる「さんさ時雨」。第2曲、リズミカルな「ソーラン節」。第3曲、倉田さんのヴィオラで始まる、哀調を帯びた「五木の子守唄」。第4曲、「ちゃっきり節」で締めます。
もちろん、山形弦楽四重奏団オリジナル委嘱作品、弦楽四重奏のための「最上川舟唄」も登場します。こういう親しみ深い旋律を聴くと、室内楽や弦楽四重奏に対する、一般聴衆の「小難しい」という印象も薄らぐのかもしれません。



そしてすでに恒例になった、「バラにまつわる曲」シリーズです。今年はシューベルトの「野ばら」が加わりました。ワルツ風の変奏あり悲しげなマイナー調あり、駒込さんの編曲も親しみやすく、「バラが咲いた」「百万本のバラ」に続き、ナイス・アレンジです。そうそう、「百万本のバラ」のジプシー・ヴァイオリン風あるいはバラライカ風「ズンチャ・ズンチャ」が、けっこういい味を出していると思います。



そして最後は、「小さい秋」と「赤とんぼ」。こういう叙情的な曲では、ヴィヴラートが効果的に作用するようです。



せっかく村山市に来たのですから、帰りには「そば街道」に寄っていこうということになり、昨年の「後楽園そば」に続き、今年は「古原屋」にまわりました。こちらの店は、本当ならば「つけそば」なのでしょうが、頼んだのは例によって板蕎麦です。




完食。うまかった~。ごちそうさまでした。今日もよい一日でした。
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ドヴォルザーク「バラード ニ短調 Op.15」を聴く

2009年09月15日 06時16分09秒 | -室内楽
先日、職場の人間ドックで入院した折に、ドヴォルザークの「ヴァイオリンとピアノのための作品全集」を持参しました。ヨセフ・スーク(Vn)とアルフレート・ホレチェク(Pf)による2枚組のCD(DENON COCO-70545~6)です。
これに収録された作品については、すでにこれまで何度か触れており、とくに「4つのロマンティックな小品Op.75」(*)は、あらためて素敵だな~と思いながら聴きましたが、今日は「バラード ニ短調 Op.15」のほうを取り上げます。

添付のリーフレットによれば、この小品は、どうやら音楽雑誌の付録にという依頼を受けて1884年の秋(9月から10月)に作曲されたものだそうで、おそらくヴァイオリンとピアノの二重奏の楽譜が、クリスマスのプレゼントとして企画されたのでしょう。
しかし、ドヴォルザークの新作が付録に付いてくる音楽雑誌と言うのは、何という出版社の、何という雑誌だったのでしょう。

やや悲しげな、ゆっくりとした始まりです。ヴァイオリンがゆっくりと物語るように歌っているように、ピアノもそれほど高度な技巧的なものは要求されませんが、三部形式の中間部では、情熱が高まりを見せ、終わりに主部が再現されます。

季節の変わり目に、ちょいと憂鬱な気分もたたえつつ、小品ながらロマンティックな音楽を堪能いたしました。

(*):大好きな「4つのロマンティックな小品」について~「電網郊外散歩道」より
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「芸術劇場」で東京カルテットを聴く

2009年09月06日 05時14分21秒 | -室内楽
花の金曜日、夜遅くなってから帰宅しました。定例のメールチェックを済ませ、久々にテレビをつけました。翌日は休日だと思うと、妙に嬉しいものです。NHK 教育テレビの「芸術劇場」で、東京カルテットとカルミナ四重奏団を取り上げておりました。1970年ごろ、若々しい東京カルテットがコンクールの実績を引っさげてデビューした記憶が鮮明です。あれからもう40年近くなります。若いベートーヴェンのOp.18の2、メンバーも交代しましたが、年輪を重ねた、ややにじんだような色合いも味があります。サミュエル・バーバーに続いてラヴェルの弦楽四重奏曲。このあたりで、さすがに睡魔には勝てず、DVD への録画に委ねて寝ました。カルミナ四重奏団のバルトークの2番。若い頃に、ジュリアードSQでちょこっと聴いた程度。後でじっくり聴きたいものです。
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山形弦楽四重奏団第32回定期演奏会を聴く~メンデルスゾーン6番とハイドン「皇帝」等

2009年07月27日 05時51分44秒 | -室内楽
なかなか梅雨が明けない天候不順な夏の夜、山形県郷土館文翔館にて、山形弦楽四重奏団第32回定期演奏会を聴きました。以前の経験(*)から、冷房がしっかりきいていることを考慮して、長袖のシャツを持参しました。

アンサンブル・とも's によるプレコンサートは、ハイドンのヴァイオリンとヴィオラのための6つのソナタより、第3番。弦楽器2人だけで、こんなにチャーミングで、豊かな音楽になるのですね。
続いてプレトークはチェロの茂木明人さん。本日の曲目について、ハイドンのOp.20-2では、モーツァルトに出会う前の職人芸の見事さを、Op.76-5「皇帝」は、ハイドンセットを献呈してくれたモーツァルトはすでに没した、晩年の作品だが、マンネリに陥らない生命力を感じてほしいと話します。もう一曲、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第6番については、あまり多くを語らずに、「リハーサルの最中に雷が鳴ってただならぬ雰囲気に。はたしてどうなるか、お聴きください」とのことです。

議場ホールに、四人の奏者がそろいます。第1ヴァイオリンの中島光之さん、グレーのシャツに、黒地にプリントの長いネクタイをして、腕まくりをして登場。第2ヴァイオリンは駒込綾さん。黒のドレスで、髪型が涼しげなショートカットになっています。ヴィオラの倉田譲さん、ブルーグレイのシャツにネクタイ、サスペンダーが粋なアクセントに。そしてチェロの茂木明人さん、黒っぽい(濃紺?)シャツに明るい色のネクタイと、皆さん夏の夜を意識して、おしゃれなスタイルです。

第1曲、ハイドンの弦楽四重奏曲ハ長調、Op.20-2「バグパイプ・メヌエット」。第1楽章、モデラート。ハイドンらしい伸びやかな音楽です。第2楽章、カプリッチョ:アダージョ。同じ主題を四人で合奏した後で、それぞれの楽器がメリハリのきいた音楽を奏します。夢見るような緩徐楽章ではなく、カプリッチョ(奇想曲)の名のとおり、やや風変わりなアダージョです。第3楽章、メヌエット:アレグロ。ここのドローン(保続音)がバグパイプを連想させることから、このような愛称がついたのだそうです。第4楽章、Fuga a 4tro sogetti Allegro というのはどういう指示なのでしょうか。速いフーガだというのはわかりましたが(^o^) 曲の終わりに、弓を離して音を響かせ、エンディングがばっちり決まりました!

続いてメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第6番ヘ短調Op.80です。姉ファニーが亡くなったことを旅先で知らされたメンデルスゾーンが書いた、運命に対する怒りも混入しているような、嘆きと悲しみの音楽。
第1楽章、アレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイ。とても vivace(輝かしく) とは縁遠い、不安気な始まりです。荒れ狂うような、Vc-Vla-2nd.Vn-1st.Vn と続く、不安と嘆きの劇的な連鎖。
第2楽章、アレグロ・アッサイ。これも激しい感情の渦巻くような音楽です。曲中、最も短い音楽ですが、最後は目立たぬピツィカート?で、感情は未解決のままに終わります。
第3楽章、憤りを抑えた、優しいアダージョです。たいへん美しい音楽です。
第4楽章、フィナーレ:アレグロ・モルト。チェロに続き、第1ヴァイオリンが低い音で。そういえば、メンデルスゾーンは、この曲全体で、ヴィオラのお株を奪うような低い音でヴァイオリンを使っています。それが、単に甘美なだけの音楽ではない、生々しい感情を表すことに成功しているようです。劇的なフィナーレです。

ここで、15分の休憩が入ります。雨天にもかかわらず、お客さんはだいぶ入っており、すてきな和服の女性もいらっしゃいました。お隣の男性も貫禄があり、なんとなくお医者さんのような雰囲気で、もしかすると庄内の笛吹き balaine さんと kanon さんのご夫婦なのかな、などと想像しておりました。そういえば、お手洗いに立つような風情で二階に上がったり、少し館内を散歩していると、山形交響楽団の団員の方々のお顔もちらほらと見えるようです(^o^)/

そしてハイドンの弦楽四重奏曲ハ長調Op.76-5「皇帝」。
第1楽章、アレグロ。おお、ハイドンだ!メンデルスゾーンの荒れ狂うような憤りと悲しみの世界とは打って変わって、人生の酸いも甘いもかみわけた人の音楽世界。
第2楽章、ポコ・アダージョ・カンタービレ。旧オーストリア国歌で、現ドイツ国歌なのだそうですが、思わず聞き惚れます。チェロとヴィオラがお休みして、二つのヴァイオリンが奏でる歌に聞き惚れたり、ヴィオラが独特の音色でしっとりと歌ったり。軍楽隊の吹奏楽でやるとまた違うのでしょうが、ほんとにいい旋律ですなぁ。ちょっぴりだけヴィヴラートをかけた 2nd の だちゅ さんの新しい楽器、いい音色でしたよ~(^o^)/
第3楽章、メヌエット:アレグロで。楽しいメヌエットです。中島さんの第1ヴァイオリンが終始リードします。
第4楽章、フィナーレ:プレストで。後期のハイドンらしい、実に緊密なアンサンブル。抽象的だが、充実した音楽の世界です。室内楽を聴く愉しみを、存分に味わうことができました。

アンコールは、モーツァルトの歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」から、四重奏で「アリア」だそうです。オペラの中の歌をカルテットで演奏されるのを聴くのは、こちらも初めての経験です。某評論家は、モーツァルトの「声楽の中に器楽を聴く」と言いましたが、私はやっぱり「器楽の中にも思わず声楽を聴いてしまう」ほうですね~(^o^)/
今回も、充実した演奏会でした。帰りの雨もなんのその、妻と二人で、良かったね~、と話をしながら帰途につきました。

【余談】
私の Ubuntu-Linux に用いられたかな漢字変換 Anthy-SCIM で、中島「光之」さんを変換しようとしたら、中島「密輸機」さん、だそうで。戦前の中島飛行機が旧陸軍に納めた特殊航空機みたいで、字面がもっともらしく見えるところがすごい。久々に、コンピュータのおバカさに爆笑しました(^o^)/

(*):山形弦楽四重奏団第24回定期演奏会を聴く~「電網郊外散歩道」2007年7月
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ヴォーン・ウィリアムズ「幻想的五重奏曲」を聴く

2009年07月21日 05時24分17秒 | -室内楽
このところ、通勤の音楽として聴いてきたのが、ヴォーン・ウィリアムズの室内楽を収録したCDです。ヴォーン・ウィリアムズという英国の作曲家は、これまであまりご縁がなく、その昔、1970年代に入る直前の頃に、アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団の演奏する交響曲第7番の新録音のLPが大々的に宣伝されていたのを記憶している程度です。中央に漢字で「南極」と記されたビクター盤はわりに印象深く、4ch ステレオ騒動の顛末と共に、今なお記憶しております、という程度の親しみ方でした。

さて、そのヴォーン・ウィリアムズの室内楽というのですから、これはどう考えても素人音楽愛好家とのご縁は薄そうなのですが、実はわれらが山形弦楽四重奏団の第33回定期演奏会(平成21年11月14日予定)の曲目に取り上げられることになっています。これは事前に聴いておきたいと考え、マッジーニ四重奏団の演奏するナクソス盤を購入して聴いている次第。

で、その第一印象は、なにやらぐっと民謡風の音楽じゃないか(^o^)/

添付の解説によれば、弦楽四重奏と第2ヴィオラのために、1912年に書かれ、1914年の3月に、ロンドンのエオリアン・ホールにおいて、Albert Sammons 率いるロンドン四重奏団と James Lockyer (Vla) によって初演されたとのことです。楽曲については、こんなふうに書かれています。

The quintet consists of four short movements. The first viola starts the opening Prelude with thematic material of pentatonic outline, to be answered by the first violin. The viola ends the movement, immediately followed by the Scherzo, with its asymmetrical rhythm and ostinato in textures that seem at times reminiscent of Ravel. The cello, which had started the movement, completes it, before the Alla Sarabanda, scored for muted instruments without the echoes of folk-song and reminiscences of the first movement, before a final ascent to the ethereal heights.

例によって、恥ずかしながら超訳(^o^)してみました。

この五重奏曲は四つの楽章からなる。第1ヴィオラが五音音階風のテーマ素材による前奏曲を開始し、第1ヴァイオリンがこれに答える。第1ヴィオラがこの楽章を終えるとすぐに、ラヴェル風の(響きの)テクスチャーに非対照的リズムとオスティナートを伴うスケルツォとなる。チェロが楽章を開始し、民謡風の響きを抑え第1楽章を思い出させる弱音器をつけた楽器のためのアラ・サラバンドとなり、最後にはこの世のものとは思えない高みに向かって上昇し、完結する。

なんだか、わかったようなわからないような(^o^;)>poripori
五音音階風の、というのは、きっと民謡風のところを指しているのでしょう。その程度はなんとかわかりますが、素人音楽愛好家は素人なりに、やっぱり自分でじっくりと聴いてみるのが一番です(^o^)/

第1楽章、プレリュード:レント・マ・ノン・トロッポ。ヴィオラによる出だしが、なんとも民謡風。第1ヴァイオリンがこれを受けて、超高音から下降します。たいへんな緊張感に満ちた、静かで美しい音楽です。
第2楽章、スケルツォ:プレスティッシモ。第1楽章から続けて、ほぼ休みなしに始まります。前の楽章の静けさ、緊張感とは打って変わって、リズムを強調した活発な音楽です。低音パートはひたすらリズムを刻む役割のようで、これが推進力を感じさせるのでしょうか。
第3楽章、アラ・サラバンド:レント。ふたたびゆったりとした音楽です。暖炉のわきで炎を見ながら昔を思い出すような、そんな気分の音楽です。
第4楽章、ブルレスカ:アレグロ・モデラート。冒頭の主題はやっぱり五音音階風ですが、しっかりフーガになっております。活発な部分を経て、第1楽章の主題を再現し、第1ヴァイオリンの高~い音で終わります。

この曲を繰り返し聴いているうちに、第一次世界大戦前のイギリスで、民謡収集に明け暮れていた作曲家の作品が、親しみ深いものに感じられてくるのが不思議です。

2000年の6月、英国サフォークの Potton Hall にてデジタル録音されています。同じヴォーン・ウィリアムズの作曲になる弦楽四重奏曲で、甘美な若さのある第1番と、訴える力の強い第2番が併録されています。個人的には、弦楽四重奏曲第2番が思わずぐっときますが、わずか4ヶ月後に、この幻想的五重奏曲を実演で聴くことができるのは、何よりの贈り物でしょう。マッジーニ四重奏団による、NAXOS の 8.555300 という型番のCDは、なかなか良い買い物でした。

■マッジーニ四重奏団
I=4'07" II=4'09" III=2'50" IV=4'00" total=15'06"

なお、油絵ふうの画像は、30年ほど前の剣岳登山の際にテント泊した、雷鳥沢から見た立山三山の写真を、Gimp で油絵ふうに加工したものです。なかなか雰囲気が出ていますね~と自画自賛(^o^)/
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ロッシーニ「弦楽のためのソナタ」を聴く

2009年07月14日 05時56分02秒 | -室内楽
携帯音楽プレイヤーというのはありがたいものです。野外に音楽を持ち出し、ほっと一息ついた時などに、心から楽しむことができます。都会では、イヤホンから洩れるシャカシャカ音がうるさいとかなんとか、とかくやり玉に挙げられることが多いようですが、なに、要するに混雑のストレスが人でなくモノに向けられているだけの話、その昔のカセット・ウォークマンから最近の携帯電話まで、とかく批判されてきたものです。その点、田舎の畑や農道では、誰に気兼ねする必要もありません。

ロッシーニの「弦楽のためのソナタ」、第1番から第6番まで、シンプルな優美さと美しさを持った音楽です。作曲者が12歳のときの作品だそうで、今ならば小学校六年生くらいでしょうか。たしかに、早期教育を受けた小学生ならば、大人顔負けの作品を創作して見せることはありえます。小学校高学年は、意識の上では「小さな大人」とでも言うべき時代で、ここから中高生時代の混沌を経て、ハイティーンあたりから20代にかけて、自分なりの価値観を形作るものかと思います。そしてこの混沌の年代には、かつての自分の作品を否定し、新たな価値を作ろうともがくのですね。これは、ロッシーニ自身が一度は否定した、いわば「小さな大人」の時代の作品というべきでしょう。

CDは DENON の COCO-70512~3 という型番で、クレスト1000シリーズ中の二枚組です。演奏はイタリア合奏団で、1987年の7月~8月、イタリアのコンタリーニ宮で収録されたデジタル(PCM)録音です。録音された音はたいへん自然で明瞭なもので、1950~60年代前半のステレオ録音と比較すると、ふわっとした柔らかい高音や、明瞭できれの良い低音などの点で、格段の相違です。
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ブラームス「ピアノ五重奏曲」を聴く

2009年07月07日 05時05分22秒 | -室内楽
このところ、ブラームスのピアノ五重奏曲に集中しています。通勤の音楽として聴き、アパートのミニコンポで聴き、自宅ではリッピングしたファイルをパソコンで再生し、何度も繰り返し聴いております。ヤン・パネンカのピアノ、コチアン四重奏団の演奏で、DENON のクレスト1000シリーズから、COCO-70923 です。

本作品は、弦楽四重奏にチェロをもう一本加えた弦楽五重奏曲として1862年に着手したものの、ヨアヒムやクララなどの助言を入れ、二台のピアノのためのソナタに改作され、さらに現在のようなピアノ五重奏曲としてもう一度作りかえられ、1864年に完成したものだそうです。三宅幸夫著『ブラームス』(新潮文庫)によれば、1864年という年は、ローベルト・シューマンが没して八年、故郷ハンブルグのフィルハーモニーの監督のポストをついに得られなかったブラームスが、ジング・アカデミーに指揮者として招かれて漂泊の時代を終え、ようやく最終的な本拠地ウィーンに腰を下ろした翌年、母クリスティアーネが没する前年にあたります。作曲家31歳、音楽は渋いですが、気合の入った大きな作品であると感じます。梅雨の合間の、カッと照りつける昼の太陽とは縁遠いような曲調ですが、そもそも当地の朝晩の通勤時にはまだ涼しさが感じられますので、細かな雨にけむる郊外路を疾駆する車内には意外に良くマッチします。

第1楽章、アレグロ・ノン・トロッポ。がっちりした構成を持ち、ほんとにスケールの大きな音楽です。それだけでなく、ヴィオラとチェロがソット・ヴォーチェで歌い出すところなど、実に魅力的。この楽章だけで15分以上、満足の時間です。
第2楽章、アンダンテ、ウン・ポコ・アダージョ。弛緩ではなくてむしろ集中力を求められる、緊密な緩徐楽章。耳目をひく耳当たりの良い旋律こそありませんが、この気分は繰り返し聴くほどに良いものです。
第3楽章、スケルツォ:アレグロ。チェロに導かれて始まり、最後に繰り返されて終わる、まるで軍隊の行進のようなスケルツォ。低音を連打するピアノの響きは、ロココの時代が遠くへ過ぎ去ったことを感じさせます。
第4楽章、フィナーレ:ポコ・ソステヌート~アレグロ・ノン・トロッポ~プレスト、ノン・トロッポ。一瞬シェーンベルクかと疑うような半音階的進行による始まり。かと思うと、力強いピアノがエネルギッシュに活躍します。

実は惚れっぽいブラームスが、美声のアガーテ・フォン・ジーボルトと仲良くなり、これを良しとしないクララと一時不和となりますがようやく和解し、1864年にバーデンバーデンのクララの家から歩いて五分のところに部屋を借り、この難産の曲の構想を練ったのだそうです。ヨアヒムの具体的な助言が功を奏したようで、この魅力的な音楽が完成したことについて、この偉大な友人に感謝したいところです。

譜面を眺めてあらためて感じましたが、当初、チェロ二本の弦楽五重奏曲として構想されたように、ブラームス好みの中~低音の印象の強い曲で、特にピアノの左手の、ごく低い音の多用は、この時代のピアノが、モーツァルトの時代のものとは違い、格段に進歩したものになっていると感じさせます。産業革命を経て19世紀も後半に入り、鋼鉄のフレームを持った強靭な楽器として、ピアノがその表現力をすでに相当に拡大していたためでしょうか。

1988年12月6~8日、プラハの芸術家の家にて収録されたもので、たいへん自然で鮮明なデジタル録音です。ジャケットの絵は、晩秋の大きな木立とお屋敷の間の道で、花売りの娘が去って行く馬車に置き去りにされている場面を描いたもの。CDではなく、LPの大きさのものであれば、さらに雰囲気が出ただろうと思われます。いかんせん、小さいのが残念です。

■ヤン・パネンカ(Pf)、コチアン四重奏団
I=15'13" II=8'28" III=7'49" IV=10'21" total=41'51"
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ブラームス「ピアノ五重奏曲」のPDF楽譜を印刷する

2009年07月04日 05時51分08秒 | -室内楽
ブラームスのピアノ五重奏曲を聴きながら、Wikipedia の記述(*1)を眺めていたら、末尾に IMSLP へのリンクがありました。何の気なしにダウンロードし、アパートの古いプリンター(*2)で印刷してみると、結構な分量があり、A4 で 68ページもあるのでした。途中で止めるわけにもいかず、最後まで出力しましたが、当方は音符を追いかけるのがせいぜいです。気まぐれもいいところですが、単身赴任の無聊を慰めるにはちょうどよいと思い、CD の演奏を聴きながら、つらつらと眺めております。
単純に気がつくことは、ピアノの低音域への拡大でしょうか。モーツァルトの頃と比較すると、五線譜のずいぶん下の方へも音符が分布しているように感じます。

(*1):ブラームス「ピアノ五重奏曲」~Wikipedia より
(*2):実は Canon の BJC-400J という古強者です。カラー印刷はとても現在の実用レベルとは言えませんが、BC-20 という大型のインクカートリッジのおかげで、WEB 上の情報の確認などの用途には耐えられます。昔の国産品の信頼性と丈夫さは、まったく特筆ものです。
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シューベルトの弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」を聴く

2009年05月10日 06時05分00秒 | -室内楽
昔、1970年頃に、金曜夜の NHK-FM で、室内楽を特集しておりました。解説は海老沢敏氏だったと思います。このテーマ曲が、シューベルトの弦楽四重奏曲第13番イ短調「ロザムンデ」の音楽とのこと。いかにも室内楽らしい、チャーミングな旋律で、いちど全曲を聴いてみたいものだと思っておりました。80年代も終盤に入った頃に、DENON がヌオーヴォ・カルテットによる新録音をCD化して発売したのを、行きつけのお店で偶然に見つけ、入手しました。こういう地味なCDが商売になるのかどうか、不明ではありますが、バブル最盛期の当時、DENON レーベルは次々に好企画をリリースし続けておりました。室内楽の、しかも弦楽四重奏曲を象徴するのは、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンといった古典派の作品が中心ではありましょうが、近現代の斬新な作品とも異なる、シューベルトの弦楽四重奏曲の魅力もまた、独特の親密な雰囲気を持った新鮮さがあるように思います。

さて、この曲は、1824年2月に着手され、3月に完成したものだそうで、後期の3曲のうち、もっとも早く成立し、シュパンツィヒ弦楽四重奏団により、完成間もない3月14日に、ウィーン楽友協会ホールで初演されたそうです。シューベルトの弦楽四重奏曲の中では、唯一作曲者存命中に公開演奏された曲とのことです。

第1楽章、アレグロ・マ・ノン・トロッポ、イ短調、4/4拍子。非常に緊密な響きの中に、悲しみと慰めが同居するような、全曲中もっとも長い楽章です。曲の冒頭で、「城ヶ島の雨」の「あ~めは」を連想するというのは、実は内緒です(^o^)/
第2楽章、アンダンテ、ハ長調、2/2拍子。ここが例の「ロザムンデ」の音楽です。最初にこの楽章の冒頭だけを聴いたときには、なんてチャーミングな音楽だろうと思いましたが、全曲を聴いて、特に第1楽章の悲しみの色に驚いたものでした。四つの楽章の中で、2番目に置かれた絶妙の位置に、感心してしまいます。
第3楽章、メヌエット:アレグレット、イ短調、3/4拍子。チェロに導かれ、優雅なメヌエットの性格はきちんと保ちながら、再び悲しみの影と慰めが現れている音楽が流れ出します。ヴァイオリンは表情を変えますが、ヴィオラはずっと嘆きを呟いているかのよう。途中で曲調が変わり、チェロがぐっと表情豊かに出てきますが、冒頭部が再現され、終わります。
第4楽章、アレグロ・モデラート、イ長調、2/4拍子。ヴァイオリンから。悲しみの影はぐっと後退し、リズミカルで軽やかさのある、活発な音楽となります。緊密な構成感をも持っており、音楽による昇華というか、ある種のカタルシス感のある楽章です。これが終楽章として配置され、ベートーヴェンが没する3年前という時期の、研究と書法の進展を見るか、シューベルトの成熟の境地を見るか、天性のメロディーメーカー、旋律の大家というだけではないものが感じられるようです。

1987年4月13日~15日、イタリアのウニヴェルシタ・エウロペア・サン・ドメニコにおけるPCM(デジタル)録音、明るい音色の演奏はヌオーヴォ・カルテットで、制作は川口義晴氏。型番は、DENON 33CO-1849 で、変ホ長調の弦楽四重奏曲(D.87)が併録されています。

参考までに、演奏データを示します。
■ヌオーヴォ・カルテット
I=14'31" II=8'53" III=7'30" IV=7'29" total=38'23"
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ドヴォルザークのピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」を聴く

2009年04月25日 21時08分25秒 | -室内楽
ドヴォルザークのピアノ三重奏曲は、明るく幸福な第1番から憂愁と躍動の第4番まで、四曲ともたいへん魅力的な音楽です。とりわけ「ドゥムキー」という愛称で親しまれている第4番ホ短調Op.90は、交響曲第8番やレクイエムを完成・初演した頃、1891年(作曲者50歳)の充実した作品です。
「ドゥムカ」というのは、ウクライナ民謡で「哀歌」あるいは「挽歌」と訳される言葉だそうで、「ドゥムキー」とはその複数形だといいます。曲調から言えば、まさに憂愁と躍動、ゆるやかに憂愁に満ちて始まり、次第に速度と熱を帯びて踊るような独特のリズム感を持った音楽に転じ、突然の転調、激しいリズムと興奮など、自由な室内楽組曲とでもいいたいような曲です。

第1楽章、レント・マエストーソ、ホ短調。上昇するチェロと下降するピアノが対比される、暗くメランコリックでゆったりとした始まりから、ヴァイオリンが加わり活動的で情熱的に転じたかと思うと、再び憂鬱な気分が交差する、たいへんに印象的な楽章です。
第2楽章、ポコ・アダージョ、嬰ヘ短調。チェロが長めの哀歌を歌い、ピアノに主題が受け継がれると、ヴァイオリンが切れ切れにオブリガートをつけます。このときのピアノの分散和音は、まるでギターのアルペジオを模したように響き、突然に速度を増して気分が変わったかと思うと、再びチェロの哀歌に戻ります。後半のヤン・パネンカのピアノは、ため息ものの美しさです。
第3楽章、アンダンテ、イ長調。美しさが結晶したような始まり。呟くようなピアノ、憂愁に沈むチェロ、非常に集中力に富む前半部です。ヴァイオリンが旋律を奏でるあたりから活発さを増し、まさに憂愁から躍動の音楽となっています。ヴァイオリンが重音で旋律を奏でるとチェロが応え、ピアノが呟き、三者とも静かに終わります。
第4楽章、アンダンテ・モデラート、ニ短調。ピアノに導かれてチェロが歌い始め、ピアノとヴァイオリンに移り、再びチェロとピアノに戻るときにはヴァイオリンが独特のリズムを刻みます。突然の転調と、リズムや気分の変化が起こり、踊るようにしだいに速度と熱を増していきますが、やがて静まって終わります。
第5楽章、アレグロ、変ホ長調。やや明るい響きの序奏に続き、チェロとヴァイオリンがそれぞれ主題を提示し、変奏していきます。全曲中、最も憂鬱さの少ない楽章です。
第6楽章、レント・マエストーソ、ハ短調。民族的な舞曲ふうの主題と、チェロが奏する哀歌が交替する印象的な音楽で、自由で活発な気分と憂鬱な気分が交錯しつつ、しだいに盛り上がります。

演奏はスーク・トリオで、ヨセフ・スーク(Vn)、ヨセフ・フッフロ(Vc)、ヤン・パネンカ(Pf)の三人。1977年5月11日~13日、プラハにあるスプラフォン社のドモヴィーナ・スタジオでデジタル録音されており、スプラフォンとの共同制作のようです。当時のデジタル録音機器の演算処理能力の制約はありますが、演奏する三人が年齢的にもほんとうに充実していた頃の好録音だと思います。
型番は、DENON COCO-70443 で、クレスト1000シリーズに含まれています。以前、LP 時代に手元不如意で買いそびれ、残念に思っておりました。その後、大好きな第1番と第2番を収録したCDをレギュラープライス盤で求めましたが、第3番と第4番は廉価シリーズで再会できました。嬉しい一枚です。

参考までに、演奏データを示します。
■スーク・トリオ
I=4'02" II=6'58" III=6'08" IV=4'36" V=4'16" VI=4'44" total=30'44"
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山形弦楽四重奏団第31回定期演奏会を聴く

2009年04月12日 05時09分29秒 | -室内楽
ぽかぽか暖かな陽気、一斉に花開く山形の春です。11日の土曜日、山形弦楽四重奏団第31回定期演奏会を聴くために、文翔館ヘ向かいました。プライベートでの課題に一歩前進が見られた後ですので、気分も爽やかです。
プレコンサートは、アンサンブル・ともズ(Ensemble Tomo's)のお2人。ヴァイオリンの茂木智子さんと、ヴィオラの田中知子さんです。ハイドンの「6つのヴァイオリンとヴィオラのためのソナタ」から、第6番。春らしく、暖かな音楽です。

続いてプレ・コンサート・トークは、中島光之さん。さすがは元国語の先生ですね。簡潔に的確に曲目を紹介するトークは、一語の無駄もありません。ハイドン、シュターミッツ、服部公一、ベートーヴェンの四人の作曲家の、ほぼ30代の作品を取り上げたプログラムは、カルテットの四人のメンバーも同世代の親近感を持って演奏できるもの、とのことです。

さて、ステージ左から右へ、第1ヴァイオリンに中島さん、第2ヴァイオリンに駒込さん、ヴィオラが倉田さんでチェロが茂木さんと、楽器の配置も少々変更がありましたし、そもそも第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの交代を行わず、役割を固定しての試みです。駒込さんは黒のロングドレス、男性三名は同じく黒の略式服でしょうか、それともダークスーツなのでしょうか、蝶ネクタイではなくふつうのネクタイです。髪を切ったらしい茂木さんの黄色いネクタイがよく似合います。中島さんと倉田さんは紺系のネクタイなのでしょうか、照明の関係でネクタイも黒に見えてしまい、一瞬、喪服スタイルかと錯覚(^o^)/

最初の曲目、ハイドンの弦楽四重奏曲ト長調、Op.17-5「レスタティーヴォ」、第1楽章、モデラート。出だしから素敵なアンサンブルに、なんだか一皮むけたみたいな感じがします。第2楽章、メヌエット:アレグレット。第1ヴァイオリンの後ろで、第2ヴァイオリンとヴィオラとチェロが奏する響きのすてきなこと!第3楽章、アダージョ。ほんとにオペラのレシタティーヴォのように、声と言葉の代わりに、弦楽で表現しようとしたかのような音楽です。第4楽章、フィナーレ:プレスト。なかなかいい曲、そしていい演奏!春の日らしい、前向きな音楽でした。

続いてシュターミッツのクラリネット四重奏曲です。ステージ左から、ヴァイオリンの中島さん、ヴィオラの倉田さん、チェロの茂木さんに、右側にクラリネットの郷津隆幸さんが座ります。第1楽章、アレグロ。弦楽三重奏にクラリネットが加わったような編成で、ヴァイオリンとヴィオラが組んでクラリネットと掛け合い、チェロがピツィカートを交えつつ低音を支えるような感じです。流れるように歌う、楽しい曲です。チェロの茂木さんが調弦を確かめ、第2楽章、ラルゴ。クラリネットが、甘い高音と、意外なほど低い低音との間を行き来しながら。第3楽章、Allemande これはアルマンドと読むのかな?くるりくるり回り踊る、陽気な舞曲のようです。

三人目は、服部公一さんの「弦楽四重奏のための二楽章」。作曲者37歳の、1970年の作品だそうです。郷津さんが退き、駒込さんが加わって、オリジナルメンバー4人に戻ります。第1楽章、モデラート・エスプレッシーヴォ。ずらしのテクニックなどを多用し、ピツィカートが四人の奏者の間を行き来します。この楽章は、やや不安気な要素がありますが、第2楽章も同じモデラート・エスプレッシーヴォの指示にもかかわらず、時折日本の伝統音楽あるいは民謡風の節回しも登場し、なかなかかっこいい音楽です。エネルギッシュなフィナーレに、聴衆から大きな拍手が送られ、作曲者の服部公一さんがステージに近づき、中島さんと握手を交わします。なかなか気合の入った音楽で、当方もたいへん気に入りました。

15分の休憩時に、次回、第32回定期演奏会の前売券を購入しました。客席を見渡すと、地味な曲目のわりにお客さんの入りも多く、90人は越えていそうです。人口20万人規模の地方都市、周辺人口を入れても40万人規模の地域で、コアな室内楽の定期演奏会にこの聴衆というのは、けっこう多いのではないかと感じます。もともと、厳本真理弦楽四重奏団の時代から室内楽の素地のあった地域とはいえ、山形弦楽四重奏団の活動の成果であることは疑いのない事実でしょう。当方のような一音楽ファンにとっては、実にありがたいことです。

さて、後半はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第1番、ヘ長調Op.18-1。当方のお気に入りの曲目でもあり、今回のプログラム中、もっとも期待を持っているものでもあります。第1楽章、いかにもベートーヴェンらしいアレグロ・コン・ブリオ。ヴィオラの刻みが、いつも聴いているCDよりずっといい音に聞こえます!たいへんに緊密なアンサンブルです。第2楽章、アダージョ・アフェットゥオーソ・エ・アパッショナート。開演前の中島さんの解説によれば、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」にインスピレーションを受けて作曲されたという、緊張感に満ちた緩徐楽章です。悲痛な表情の中にも甘美さがあります。第3楽章、スケルツォ:アレグロ・モルト。ふっくらとした柔らかさのあるスケルツォです。第4楽章、アレグロ。すでに貴族のアマチュアが演奏して楽しむための音楽ではなくなっているようです。飛ぶような速さのパッセージがあるかと思えば四者の緊密なバランスも求められ、しかもフィナーレの解放感も必要になってきます。気力、体力ともに要求される音楽を、山形弦楽四重奏団は十分に表現していたと思います。

なんだかエラそうな物言いですが、今回の定期演奏会は、一段と成長し、一皮むけたような印象を受けました。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの固定も成功しているのではないかと思います。もう次の定期演奏会が楽しみです。第32回は、7月26日(日)、夕方18時の開演、ハイドンの「皇帝」やメンデルスゾーンの6番など、これも楽しみな曲目です!


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ドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲第3番」を聴く

2009年04月08日 06時03分29秒 | -室内楽
室内楽は、いいものです。オーケストラ音楽の多彩な音色やダイナミックな響き、とくに演奏会で実際に聴くときの楽しさ、ワクワク感は格別です。ですが、室内楽には見通しの良さというか、少人数で音楽を作り上げるがゆえに、一人一人の奏者の呼吸や意図が比較的明確であるという特徴があるように思います。とりわけピアノ三重奏の場合、ピアノ、ヴァイオリン、チェロの各奏者が、それぞれ緊密なアンサンブルを展開しつつ、なお自己主張し合うような面白さがあります。これは、弦楽四重奏の求心的な親密感とはまた少し異なる、独特の面白さであるように感じます。

近頃とくに集中している、室内楽の大家でもあるドヴォルザークの4つのピアノ三重奏曲のうち、第3番を聴きました。

この曲は、1882年の12月に母の死を経験した翌年、作曲者42歳の1883年の2~3月にかけて作曲されたもので、同年秋に若干の改訂を施し、作曲者自身のピアノと、ラハナー(Vn)、ネルダ(Vc)とにより、同年10月に初演されたものだそうです。この年は、ちょうど古いフス派の聖歌を主題とする劇的序曲「フス教徒」が書かれたころでもあり、ハンスリックに「ウィーンに来ないか」と誘われ、だいぶ葛藤があった頃で、けっきょくチェコにとどまることを選択したドヴォルザークには、不惑の頃とは言いながら、悩みが尽きなかったことでしょう。

第1楽章、アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ヘ短調。チェロに導かれて始まる冒頭から、かなり激しい感情が表されるようです。しかも、悲しみとも嘆きとも怒りともつかないような、緊張感に満ちています。
第2楽章、アレグレット・グラツィオーソ、嬰ハ短調。弦が規則的なリズムをせわしなく刻む中で、ピアノが民族舞曲ふうの主題を奏します。中間部では、規則的なリズムは後退し、ヴァイオリンとチェロが旋律を奏でますが、再びせわしないリズムが復帰します。曲中もっとも短く、スケルツォ楽章に相当するのでしょうか。
第3楽章、ポコ・アダージョ、変イ長調。憂い顔のチェロが第1主題を奏でると、ヴァイオリンとチェロが追いかけるようにカノン風に対話を交わします。優しく繊細な、心にしみるような緩徐楽章です。
第4楽章、アレグロ・コン・ブリオ、ヘ短調。チェコの民族舞曲フリアントのリズムに乗って、これを主題としたロンド形式で書かれた楽章です。古典的な解決にとらわれない、決意のほどが表されているのでしょうか。

演奏はスーク・トリオ、ヤン・パネンカ(Pf)、ヨセフ・スーク(Vn)、ヨセフ・フッフロ(Vn)の三人からなる、常設のピアノ・トリオでした。録音は、デジタル初期に属する1977年5月2~3日、プラハのスプラフォン社ドモヴィナ・スタジオで行われたもの、と記載されていますが、明快な、しっかりしたものです。型番は、DENON の COCO-70443 です。

■スーク・トリオ
I=13'09" II=6'47" III=9'48" IV=10'10" total=39'54"
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ドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲第2番」を聴く

2009年03月29日 06時01分58秒 | -室内楽
通勤の音楽として、第1番に引き続き、ドヴォルザークのピアノ三重奏曲第2番、ト短調作品26を聴いています。週末に、自宅のステレオ装置で、音量を上げて楽しみました。
Wikipedia(*)の「ドヴォルザーク」のページにある作品一覧では、第2番を変ロ長調と記していますが、これは誤りと思われます。ト短調という調を持ち、聴くものに悲しみを感じさせる音楽です。

1873年に結婚したドヴォルザークは、74年に長男誕生を喜びますが、75年9月に生後2日で長女を喪います。産後の妻の嘆きは30代半ばの夫にも共通のものであり、家庭に悲しみの影を落としたことでしょう。1876年の1月4日から20日という短い期間に作曲されたこの曲は、明朗な第1番と比べて、翳りを帯びた音色や、嘆き・悲しみを特徴とする音楽になっているのは、おそらくこうした事情によるものと思われます。

第1楽章、アレグロ・モデラート、ソナタ形式。弦による鋭い始まり。ピアノも激しい感情をぶつけます。たしかに、喜ばしかるべき愛児の誕生が一転して悲しみの始まりになる、運命の理不尽さへの怒りや嘆きの感情は、誰にぶつけることもできない。曲中、もっとも長い楽章です。
第2楽章、ラルゴ。祈りのような美しいチェロの旋律に重なるヴァイオリンとピアノ。おっぱいを含ませるべき子を失った、産後の愛妻を慰めるものか、それとも亡き子を悼むものか。なんともいえず真率な、素晴らしい音楽です。
第3楽章、スケルツォ:プレスト。速いテンポで、涙を振り払い立ち働くように活動的な前半部。中間のトリオはテンポを落とし、やわらかく踊るような音楽です。再現部では、はじめの急速なテンポに戻ります。
第4楽章、アレグロ・ノン・タント、ソナタ形式。第1主題のリズムが、舞曲のような特徴的なものです。悲しみの影から、明るさや希望の光が差し込むような、そんな音楽です。まだ若いのだもの、いつまでも嘆き悲しんでいては、生活ができません。時がすべてを癒してくれるかのようです。



30代半ばのドヴォルザークは、基本的に結婚生活には恵まれたものの、子供を次々に失っています。カトリック信仰から、産児制限のようなことはできなかったのでしょうか、次々に子供が生まれては死んで行きます。当時、結婚している女性の最終出産年齢は40歳くらい、平均して2年に1回は出産している(*2)とのこと。子を持つ家族であれば、愛らしい子供の死は時代や国境を越えた普遍的な悲しみです。ドヴォルザーク夫妻は、このあとさらに長男と次女も失うのですね。あの「スターバト・マーテル」の悲哀感は、半端なものではありません。ほんとうに気の毒です。稀代のメロディメーカー、あの屈託のなさそうなドヴォルザークの音楽に潜む、嘆きと悲しみの影の出発点になった曲といえるのかも。

演奏は、スーク・トリオ。ヨセフ・スークのヴァイオリン、ヨセフ・フッフロのチェロ、ヤン・パネンカのピアノです。1977年4月、プラハにあるスプラフォン社のドモヴィーナ・スタジオでデジタル録音されたもので、DENON の 33CO-1409。録音は、初期デジタル録音らしく高域にやや固さを感じる部分もありますが、全体にバランスの取れた明瞭なものです。第1番が併録され、今は Crest1000 シリーズに入っており、安価に求められるようになっているのがありがたい。

演奏データは、次のとおり。
■スーク・トリオ盤
I=12'37" II=6'16" III=6'19" IV=6'29" total=31'41"

(*):Wikipedia~「ドヴォルザーク」の記事
(*2):記録に見る出産数~マリア信仰の形成(7)・ザビ神父の証言より
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ドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲第1番」を聴く

2009年03月21日 06時37分07秒 | -室内楽
このところ、東北の地もぐんぐん春めいてきています。ここしばらく通勤の音楽として聴いていた、ドヴォルザークのピアノ三重奏曲ですが、本日は第1番変ロ長調Op.21を取り上げます。

ブラームスにとって、ローベルト・シューマンが恩人であったのと同様に、ドヴォルザークにとってはブラームスがいわば大恩人でした。1875年に、ウィーン楽友協会に作品(*1,2)を提出し、審査にあたったブラームスらに認められてオーストリア政府から年収の倍以上にあたる額の奨学金を受けることができ、貧しい作曲家であったドヴォルザークは、以後五年間にわたり経済的援助を受けながら、次々に作品を生み出していきます。ドヴォルザークの「ピアノ三重奏曲第1番」は、まさにその頃、1875年の春、3月~5月にかけて作曲された作品です。

第1楽章、アレグロ・モルト。ソナタ形式。ヴァイオリンが歌う、ドヴォルザークらしい優しい旋律や、中低音部を受け持つチェロの雄弁な旋律が魅力的で、時に強く、時に弱く、対比を示しながらピアノが活躍します。弦が休んでいるときにソロを弾くピアノなど、実に素晴らしい!
第2楽章、アダージョ・モルト・エ・メスト。メスト(悲しげに)の指示が示すように、ピアノが呟き、チェロが嘆き、ヴァイオリンが泣き顔で語るような始まりです。でも、若いドヴォルザークの音楽は、あくまでも慎ましく控えめで、相手の迷惑お構いなしに自分の嘆きだけを訴えるふうではありません。
第3楽章、アレグレット・スケルツァンド。この楽章は、いかにもドヴォルザークらしい、スケルツォというよりはむしろポルカふうな、チェコの民族音楽を感じさせるものです。後年のドヴォルザークは、この道をまっすぐ進んで行ったのですね。
第4楽章、アレグロ・ヴィヴァーチェ。ソナタ形式。踊るようなリズムがおもしろい。時に陰りを帯びた激しさを見せながら、充実した、躍動感を持った音楽です。

この作品は、特に第4楽章などを中心に作曲者自身が改訂を行っているそうですから、厳密には作曲当時のままの作品とは言えないわけでしょうが、それでも若い作曲家ドヴォルザークによる旋律が魅力的な音楽だと思います。シューベルトやシューマンの流れをくむ、演奏時間が30分を超える立派な室内楽作品です。

1977年4月、チェコのプラハにある、スプラフォンのドモヴィーナ・スタジオにおける初期デジタル録音。DENON がヨーロッパ録音を始めて間もない頃でしょうか、後のホールトーンを生かした名録音ではありませんが、スプラフォン社の協力を得ながら意欲的に自社録音に取り組んでいた時期のものでしょう。当時のデジタル処理の技術的な制約もあり、やや硬質な印象は受けますが、十分に鮮明な録音です。ディレクターはヘルツォークと結城亨、録音エンジニアはSykoraと穴沢健明の各氏、手持ちのCDは、第2番が併録された 33CO-1409 という正規盤ですが、今は Crest1000 シリーズにデザインも元のままで入っている模様。演奏はスーク・トリオで、ヨセフ・スーク(Vn)、ヨセフ・フッフロ(Vc)、ヤン・パネンカ(Pf)という顔ぶれです。とりわけ、パネンカのピアノが実に見事です。



参考までに、演奏データを示します。
■I=14'11" II=8'57" III=6'59" IV=6'32" total=36'39"

(*1):ドヴォルザーク「交響曲第3番」を聴く~電網郊外散歩道
(*2):ドヴォルザーク「交響曲第4番」を聴く~電網郊外散歩道
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