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評価 (4点/5点満点)
今は「つらい」かもしれない方も、つらくはないけれど「楽しい」とは思えない方も、言葉やフレーズとの出会いから、何かきっかけをつかむことで考え方が変われば、「仕事は楽しい」と思えるようになります。
この本を読めばきっと、今の考え方を変えるヒントやきっかけになるフレーズに出会えると思います。
・仕事は、お金をもらいながら、自分が成長できる場、人との出会いの場を毎日いただける。
・結局のところ、仕事を楽しむとは、仕事に没頭するということである。
著者の木山泰嗣さんは、これまで没頭してきた税務実務(弁護士活動)を離れ、今年4月から大学の教員として仕事をすることになったそうで、弁護士としての仕事について考えてきたことを、特に若い方に向けてまとめた1冊と言えるでしょう。
自分の中での「自分のスタンダード」をもち、自分に厳しく、人に優しくしていけば、まわりにも良い影響を与えられる人になれますよ。
【my pick-up】
◎指名されたものを受け入れる勇気をもつ
いまわたしが手掛けている専門分野と呼ばれるものは、基本的に「わたしがやりたかったことや、くわしかったこと」ではなく、指名を受けて断らなかったものです。断らなかったといったのは、指名を受けたときにはどれも「果たして自分にできるのか」「自分で大丈夫なのか」と不安になったものばかりだからです。それでも断らなかったのは、新しい仕事の依頼は「チャンス」だと思うようにしてきたからです。事実、それらはみな、あとからみれば「チャンス」だったといえるくらい、大きくふくらんでいきました。
◎ひとりになる時間をもつ
仕事が人と接する時間が多いものであればあるほど、ひとりの時間を確保したいものです。わたしはお昼の時間はひとりで過ごします。この時間に本を読むこともありますし、原稿のゲラをチェックすることもあります。ひとりでカフェで過ごす時間は、ひとりであることを確保します。ここでクールダウンをして、午後の仕事に突入します。脳もいったん休みますし、10分でも15分でもひとりの時間をとっておけば、午後眠くなることはありません。わたしの場合はごはん(お米)をお昼に食べると、午後ほぼ確実に眠くなりますので、食べないようにしています。これは人それぞれだと思いますが、自分がお昼に食べる物と午後の脳の働きを観察し続けた結果、このことがわかりました。仕事帰りの夜の時間に、お店に立ち寄るのもよいと思います。帰るときに、自宅の近くのカフェに寄ってみるとか、ふだん降りない帰宅途中の駅で降りて、お茶をするくらいはできるのではないでしょうか。習慣にしてしまって、そこで本を読むとか、専門誌を読むとか、そういう時間をとるのも有益です。
◎他人に理解をしてもらうことはそもそも困難であることを知る
「あの人は、全然わかってくれない」「あなたはなにもわかっていない」という人がいますが、そのそも人は、他人のことなど理解できるものではありません。こういうセリフを吐く人は、他人に対して期待をし過ぎなのです。そもそも、その期待はすべて「自分の気持ちをわかってほしい」という発想から始まっていることに、まずは気づくべきです。「わかってくれない」といわれた相手からすれば、あなたに対して「あなたもわたしのことを、わかってないけどね」と思っているのではないでしょうか。大人なのに大人でないといわれる人は、基本的に子どものころは許されたことを、大人になったのに卒業しないで、そのままそのわがままを引きずっている人です。結局、こうした人は、自分がどこかで気づかないかぎりは、一生子どものままです。人に過剰に期待をし、人のせいにし、まわりにストレスを与え続けます。人が去っていくのをみて、自分に原因があると考えることもしない。人はそもそも、他人を完全に理解することはできません。つまりは誤解の積み重ねが、人に対する理解である、ということです。こうした人間の本質は、本を読む人であれば、どこかで理解していくものです。でもそれを人に説明することは、ふつうはしません。ここで大事なことは、理解してもらえることを前提に動いてはいけない、tごいうことです。その基本原則を理解していれば、理解してもらえたときには感動できます。その感動を求めて仕事をすれば、仕事はきっと楽しくなります。
◎このままいくとどのような危険があるかをつねに考える(先回りする)
仕事を上手にこなしている人は、危機管理能力が高い人だといえます。危機管理能力のなかで、最も重要なことは、危機(リスク)を察知する能力です。法律論では、「過失」(不注意)に対して責任を負うことを「過失責任」といいます。過失責任が認められるためには、「注意義務違反」が認められることが必要です。そして、この注意義務違反は、「予見」と「結果回避」の2つから成り立っていると考えられています。まず、予見です。これはあらかじめ、このまま進むと、どういう事態が起きそうかを察知することです。予測する、といってもよいです。段取りが上手な人は、仕事ができる人に多いです。段取りというのは、かんたんにいえば、予見(予測)ができるかどうかです。このまま明日の会議をむかえると、会議で「○○はどうなっているんですか?」と質問されるだろう。そのように予見(予測)ができれば、あらかじめその回答を準備することができます。もっとも、予見をできたとしても、過失責任を負わないこともあります。それは結果を回避することができなかった場合です。2つ目に問題にされるのが「結果回避」であるといったのは、この点にあります。余裕をもったスケジュールが組めるのに、「交通機関の時刻表どおりであれば送れなかった」(だから交通機関の遅延がわるい)、というのは社会人としての説得力ある弁解にはなりません。それは一般的にだれでも予見できることであり、スケジュール上、交通機関の遅延による遅刻という結果は、余裕をもったスケジュールを組めば避けることができたはずだからです。