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評価 (4点/5点満点)
日本にはリモートワークを「コロナ期におけるやむをえない手段」と考えている人がまだ多いです。あるいは、リモート化を「巣ごもり」という人もいます。
これに対し、著者の野口悠紀雄さんは、リモートとはリアルの代替物ではなく、新しい大きな可能性を開くものだと言います。
逆の見方をすれば、日本がリモートの広がりを一時的なものと考えて対応を誤れば、技術の大きな転換に再び乗り遅れるという危機感でもあります。
リモート化を前向きに捉え、日本の経済と社会の構造を変えていく必要性を訴えています。
【my pick-up】
◎リモートはリアルの代替ではなく、活動可能性を広げるもの
「リモート」とは、「人に近づかない」ということではなく、「遠くの人と近くなれる」ことを意味するのだ。リモートとは「会わずに済ます」のではなく、新しいつながりを作るための手段だ。距離の概念がまったくなくなってしまった。人類史上、電話のつぎの大きな技術革新が、テレビ会議によってなされたといえる。
◎リモートによって、これまで多くの無駄があったことがわかった
これまではリアルとリモートについて、「どちらが正確に意思疎通ができるか?」「どちらが効率的か?」といった基準で、客観的に評価していたのではなかった。そうではなく、従来と同じことを惰性的に行っていただけだったのだ。そのために、非効率なやり方が残っていた。「リモート」は、コロナ後の世界における「ニューノーマル」の重要な要素となるだろう。これに対応できる企業や個人が、新しい社会を築いていくことになる。
◎テレワークの広がりを阻む「いるか族」
在宅勤務で働く場合にもっとも重要なのは、勤務評価を成果主義に転換することだ。ところが、日本の組織では、これまでは「成果」よりも「オフィスにいるかどうか」が評価されていた。上司に「おい」と呼ばれたときに、「はい」と答えられるかどうかが重要だったのだ。こうした人々がはびこる組織から脱却できるかどうかが、日本における在宅勤務の成果を決めることになる。
◎本当の意味での地方の時代が始まる
テレビ会議に拒否反応を示している人は、中高年層にはかなり多い。しかし、テレビ会議を拒否していては、大企業には就職できない時代になっているのだ。オンライン面接で採用された世代は、「Zoomネイティブ世代」だ。彼らは、コロナが終わっても、在宅勤務を求めるだろう。こうして、日本企業における働き方が大きく変わっていくだろう。
地方に居住している学生が、東京など大都市の企業の面接を簡単に受けられるようになる。また、地方都市にある企業が、全国のさまざまな地域からの学生を採用することも可能になる。地方再生というお題目を唱えるよりも、あるいはふるさと納税よりも、ずっと大きな価値がある。
地方大学の優位性が増し、地方に住んだまま東京の企業に勤めることも可能になる。そのような対応をできる企業が優秀な人材を集められ、そして成長することになるだろう。どこに住んでいても同じように仕事ができるなら、生活費が安く、環境が良い場所に住む。そして、日本から地域格差がなくなる。
◎オフィスに通うことがそれだけのコストを補うに見合うものであるか?
在宅勤務否定論のより本質的な問題は、リアルな会合をもつためのコストを考慮していないことだ。コストと利益を比較してテレビ会議を評価すべきであるにもかかわらず、それを行っていないのだ。テレビ会議で情報が欠落するとしても、それによる被害は、本当に大きなものか?リアルな会合をすることが正当化されるほど大きいか?という検討が必要だ。逆にいえば、実際に集まるにはコストがかかる。そのコストに見合うだけの情報が得られているのか?という検討だ。そして、コストと利益の比較において、もっとも良い組み合わせを見いだしていく必要がある。