評価 (4点/5点満点)
コロナを機に生活の拠点を軽井沢に移した著者が、「生き方についての価値観の変化」を綴った1冊。
仕事というのは際限なくできてしまう。どんどん増殖していく性質のものだ。だからこそ、余白や、暮らしの大事な時間から優先的に確保しよう。その期間あまり目的を考えず、自分の心がワクワクするものに時間を過ごそう。これが目的のないコンサーマトリーな時間の過ごし方を、日常生活の中で死守する大事なマインドセットだ。そして、限られた時間の中で、自分の裁量で仕事の効率性を高めていく。これが「じぶん時間」を生きる時代の、時間に対する習慣として重要なことだろう。(P285)
・時間を効率的に使おうとすればするほど、結果的に仕事が増えていく。
・コロナ禍によってライフスタイルが変化していった中で、「他人時間」から「じぶん時間」への内的変化が起こった。
・テレワークが増えたことで、みんなが分散して「それぞれのペース」で働くという選択肢が生まれた。
・自分のペースで(自分起点で)過ごす時間が明らかに増えている。
コロナ禍が終わりを迎え、ワークスタイルやライフスタイルがただ元の通りに戻っていくことに少しでもモヤモヤしている人、成長や生産性の向上を今後も続けることに違和感を抱いている人に読んでほしいと言います。
【my pick-up】
◎本当にそれだけの時間を働く必要があるか
少なくともナレッジワーカーは、必ずしも「週に5日×8時間」働く必然性はないのかもしれない。1日8時間働くとして、インパクトのあるアウトプットを生む時間は、全体のどのくらいあるだろうか。極端な話「1日3時間」だけ仕事をすれば十分に生産的ともいえるかもしれない。週休3日制にするくらいは現実的な選択肢だろう。社会は「週の半分は仕事、もう半分はそれ以外」という方向に向かっていく可能性さえある。週5日、1日8時間以上働くビジネスパーソンの多くは「仕事=アイデンティティ」という「一本足打法」で打席に立っている状態である。
◎リアルに会う機会を「祭り」的につくることが大事になった
僕個人の感覚では、週の半分はリアルの場で誰かと会って刺激を受けて、残りの半分は内面と向き合う時間として使う。「場所を問わない働き方」が当たり前になった今だからこそ、自分にとって最適なバランスを考えることが不可欠といえるだろう。
◎人生における仕事への依存度は減っていく
移住してからは、それまで中心を占めていた仕事の存在が、新しい生活では「ワン・オブ・ゼム」になったのだ。仕事のパフォーマンスを上げるための手段に過ぎなかった、趣味や旅行・余暇が「そのほかの活動」ではなく、仕事と同じかそれ以上に位置付けられる。生活のポートフォリオが変わった感覚があるのだ。こうした変化は、都会から地方に拠点を移した人に聞いてみると、その多くが口を揃えていうことだ。
◎2つの世界(余白と競争)を往復する
自分のやりたいことを実現できるような余白のある環境で育ってきた人は、クリエイティブやイノベーションといった部門では受け入れられやすい。一方で、オペレーションを担う部門では、組織人は「駒であること」を求められる。社会人として生きていく力を高めていく上では、どちらの環境下でもパフォーマンスを出せることも大事なことだと思う。
◎他人の目からの脱却
他者のモノサシにしたがって出社させることは社会的にハードルが上がっている。極端なことをいえば、テレワーク時代は「会社にいくかどうか」を自分で決めるのが、当たり前になりつつある。他者から決められた「ルーティン」がない。出社するかどうかの意思決定を自分の軸で行う。「じぶん時間」は、自分の意思で増やすことができる。それが今の時代なのだ。
◎大切なのは時間をコントロールする感覚
実は、オフィスワークとテレワークでは、自分の時間の流れ方が大きく変わりうる。個人的な感覚だと、週3日以上テレワークをしている会社が転職先としても人気が出てきているように、仕事時間の過半以上でテレワークが可能になっていると、自分のペースで過ごすことをベースに生きる感覚が持てるのではないかと思う。企業の中ではオフィスワークに戻す動きと、完全フレックスにする動きが二極化している。週の半分以上をオフィスワークにするかどうかで社員の生き方にも影響が出てくるだろう。