走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫) 価格:¥ 540(税込) 発売日:2010-06-10 |
評価 (3点/5点満点)
小説家・村上春樹さんにとって走り続けるというのがどのようなことであったか、それについて思いを巡らし、自問自答しているのが本書です。走ることについて正直に書くことは、自分自身について正直に書くことでもあったと振り返ります。
村上さんが専業作家としての生活を開始した20年以上前から路上を走り始め、世界各地でフルマラソンやトライアスロンレースを走り続けてきたことは有名ですが、「小説をしっかり書くために身体能力を整え、向上させる」ことを目的としたそのストイックさに圧倒されます(村上さんご自身はただ単に好きだからやっているとのこと)。
「さあ、みんなで毎日走って健康になりましょう」というような主張が繰り広げられているわけではありませんが、読んだら走らずにはいられなくなります。運動は間違いなく、仕事や生活に良い影響を及ぼします。
私も金曜日以外は毎日10キロ走る習慣を3年半続けています。
【my pick-up】
◎僕が「まじめに走る」というのは、具体的に数字をあげて言えば、週に60キロ走ることを意味する。つまり週に6日、1日に10キロ走るということだ。
◎走ることは、僕がこれまでの人生の中で後天的に身につけることになった数々の習慣の中では、おそらくもっとも有益であり、大事な意味を持つものであった。そして二十数年間途切れなく走り続けることによって、僕の身体と精神はおおむね良き方向に強化され形成されていったと思う。
◎考えてみれば、そういう太りやすい体質に生まれたことは、かえって幸運だったのかもしれない。つまり僕の場合、体重を増やさないためには、毎日ハードに運動をし、食事に留意し、節制しなくてはならない。しんどい人生だ。しかしそのような努力を怠りなく続けていると、代謝が高い水準で保たれ、結果的に身体は健康になり、頑丈になっていく。老化もある程度は軽減されるだろう。
◎僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた。自然に、フィジカルに、そして実務的に。どの程度、どこまで自分を厳しく追い込んでいけばいいのか?どれくらいの休養が正当であって、どこからが休みすぎになるのか?どこまでが妥当な一貫性であって、どこからが偏狭さになるのか?どれくらい外部の風景を意識しなくてはならず、どれくらい内部に深く集中すればいいのか?どれくらい自分の能力を確信し、どれくらい自分を疑えばいいのか?もし僕が小説家となったとき、思い立って長距離を走り始めなかったとしたら、僕の書いている作品は、今あるものとは少なからず違ったものになっていたのではないかという気がする。具体的にどんな風に違っていたか?そこまではわからない。でも何かが大きく異なっていたはずだ。