もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

長芋の木わく栽培・完全版

2010年01月30日 | 家庭菜園
 この季節には長芋栽培の木わくの修理している時期だから、毎年同じような話を書いているが栽培の手ほどきとして書いているつもりがなかったので、あまり細かいことは書いて来なかった。

 しかし、アクセス解析によると長芋栽培というキーワードでこれを見に来てくれる人が多いようなので、長くなるが今年は少し詳しく説明をします。

今回はやたらと長い説明になり、その上いつものような冗談も駄洒落もありません。
 駄洒落期待派の常連の皆さんは今回はパスして次回をご期待下さい。

              
 近くの材木屋で、材木を運搬するときに材木の保護のために使う「筋(スジ)」と呼ばれる木の棒をもらってくる。
Photo_3

 もらって来るのは細い棒だがこれを何本も並べればパネルになる。
 こうして出来たパネルを並べて大きな木わくを作るから、材料費はクギ代だけで済む。
*最初からコンパネなどの板が手に入れば、この行程は省ける。

Photo_4

 板を組み立てて写真のように木わくを組み、内側に土が乾燥し過ぎないようにゴミ袋を開いたビニールを貼付けておく。
*木わくの地面に接する部分は、中に入れる土の圧力で開いてしまわないように10センチほど土に埋め込んでおく。



1_2

 芋は気象条件が良ければ90㎝以上にもなるから、土を入れる前に底の部分も30㎝ほど掘り起こして土を軟らかくしておく。

2_2

 ある程度の木わくが出来たら、全部閉じる前に土を入れる。
 *土の中に未熟堆肥、落ち葉などを入れるとマタ根の原因になる。
 長芋の吸肥根は新しくできる芋の首に出て来るので、肥料、堆肥などは蔓が伸び始めてから土の表面に置く。
 

5
6

 土が70~80%くらい入ったら、木わくを閉じてさらに残りの土を入れる。
*木わくを最初から閉じてしまうと、中に入れる土は全部こうして高く投げ上げないと木わくに入れられなくて、年寄りにはきつい作業となる。
*最後に閉じたパネルのサイズが少し大きいのは、寸法を間違えただけで意味はない。


3

 木わくを閉じたら、写真のように所々横木を渡して木わくを補強しておく。
*これを怠ると、雨が降ったあとで土の重みで木わくが開いて崩れてしまう。

Wa

 土を入れ終えたらタネ芋を入れる前に支柱を立てる。
 *順が逆になると、木わく栽培では足場に余裕がないからタネ芋を踏み付けないと支柱が立てられなくなる。
W8

 支柱を立てるときに歩き回って、土が沈み込んだ分だけまた土を補充する。

W9

 ゴールデンウィークの頃に、タネ芋を15~20㎝間隔で5センチの深さに植える。
*タネ芋は新しい芽をだすための養分になった後は消耗してしまい、この芋が大きく育つわけではないから立てて埋める必要はない。
 1本の支柱に2~3本の蔓が巻き付いてもOKだから、芋の数は支柱の数より多くてもよい。


 木わくのサイズは、深ささえ70~80㎝もあれば、巾と奥行きは栽培する長芋の数に合わせればいい。
 私はボランティアで子どもたちに長芋を掘らせているので深さ90㎝、巾90㎝、長さ4mほどの木わくで50本も栽培している。

W

 収穫は、11月(関東地方)になって蔓が枯れてから支柱と木わくを外して四角の山を崩しながら長芋を掘り出す。
 木わく栽培は最初に手間がかかるが、収穫の時は小学生の低学年でも長芋が掘ることが出来る。

掘り出す手間の省力化だけが目的なら、塩ビパイプや雨どいなどを利用すれば準備も収穫も、もっと効率はよいが、私の場合は子どもたちの収穫体験の場としての長芋栽培だから、掘り上げるまでの緊張感を味わうことが出来るこの方法をとっています。

*長芋は蔓が枯れる前に掘ると、すりおろしたときにアクが強くて変色しやすい。
 長芋はイチョウ芋、ツクネ芋と違って低温には強いので、掘り上げないで土の中で冬を越すことも出来、遅く掘った芋ほどアクが出にくい。


 あ~ぁ、長い説明だった!
 こんなに長い説明を読んでくださったアナタはさぞお疲れだったでしょう。
 書いてた私も疲れました。
 自分でお茶でも炒れて、ゆっくりお休み下さい。




割ばし鉄砲

2010年01月25日 | 雑記
 同じ団地に住む5歳になる孫は自分の誕生日のパーティーをするのだと電話を掛けて来た。
 パーティーは皆でするのだから、婆ちゃんの家で爺ちゃんも一緒に・・・という。

 なぜ<婆ちゃんの家で>なのか判らないが、ま、孫の希望通りにしましょう。

 パーティーの飾り付けなどを自分でしたいのかと思ったが、自分は招かれる方だから「それは爺ちゃんと婆ちゃんにまかせるよ」などと大人びた口をきく。

 パーティーのやり方などどこで憶えて来たのだろう?

 折り込みの広告を切って作ったチェーンに100円ショップで買って来た風船などで、孫の好きなブルーを基調にした飾り付けで孫を迎えることにした。

W

 パーティーの方は型通りのケーキに立てたロウソクを吹き消し、ジュースで乾杯、これまた100円ショップの宴会グッズのくす玉割りで盛り上げた後、私はこの孫に初めて割ばし鉄砲を与えてみた。

 パーティーのゲームとして皆でマト当てをして遊ぶつもりだったが、孫はこの割ばし鉄砲が面白かったようで、誰にも鉄砲を渡さず、一人でターゲットを撃ち続けた。
W_2

 この割ばし鉄砲には、私が今の工作おじさん(正確には工作爺さんだが)に至る最初のエピソードがある。
詳しくはホームページの遊びの歳事記の第1回割ばし鉄砲とクルクルターゲットをご覧いただきたいが簡単に話すと、今から40年近く前のことだが、当時4歳だった息子と割ばし鉄砲を作って遊んでいるうちに思いついたのがクルクルターゲットと名付けた回転式のマトで、このマトが<アイデア工作>の最初の考案だった。
W_3

 当時息子もこの割ばし鉄砲がかなり気に入って、連日割ばし鉄砲遊びをしたことが思い出されるが、果たして孫も40年の時空を越えて幼かった息子と同じ反応を示し、明くる日もまた「きのうの バーンってやるやつで あそぼう」と我が家にやって来た。

 いつごろ誰が最初に考案したのかわからないが、子どもたちにとって永遠の遊びだと思われた割ばし鉄砲は今も古くはないが、これを伝える人が少なくなってしまっている。

 全国のお爺ちゃん、お婆ちゃん今のうちにお孫さんたちに伝えておいてくださ~い!!




アクセス解析

2010年01月19日 | ブログ
 昨年12月にocnブログのサービス内容が変わり、そのうちのひとつにアクセス解析が見られるようになった。W

 この解析で判ったことは、これまで私のブログを見ていただいているのは、友人、知人など私の知り合いだけだと思っていたが、話の中味によっては、全く知らない人たちが検索エンジンからこのブログがヒットして読んでもらっている例が多々あったことが判明した。

 その中でも、特に多いのはやはり工作教室の案内だが、わたしの教室は常時開催しているわけではなく、イベントや研修会などに招かれたときだけの単発教室しか行っていないので、ブログの記述をご覧になったときには、過去のご案内ばかりで余り役に立ってはいないようだ。

 しかし、この解析から私の「がらくた宇宙船」が一人歩きを始めている事実を知ることも出来て、前回の「知らないところで育っていたわが子」という記事になった。

W_2
この写真は本文とは関係がありません。
 次に多いのは意外だったが、自費出版というキーワードから、3年ほど前に私の知人がひっかかってしまった出版コンテスト商法という記述がしばしばヒットして読まれているようだ。

 私の知人はこの商法に騙されてしまったが、その顛末を読んで自費出版を思いとどまってくれた人が何人かいたのなら、これは少しでもお役に立てたのかも知れない。

 この自費出版のコンテスト商法の欺瞞生は前の記事を見てもらいたいが、次の話も参考にして下さい。
 このテの自費出版業者の下請けとして、ゴーストライターをしているKさんという私の知人がある日一念発起して一編の小説を書き上げ、私の所へ普通の出版社(商業出版)を紹介して欲しいと頼んで来ました。
 
 普段仕事をしている自費出版社のセールストークを知っているKさんは、自分の本をそこからは出しても全国の書店には並ばないことや、著者が出版社に払う費用は本の製作費だけでなく、本が1冊も売れなくても出版社に利益をもたらすだけの金額を支払わねばならないことを知っていて、自分の作品だけはその出版社からは出したくなかったようだった。

*私にはこういう業者に騙されてしまった痴人知人とこういう出版社からの仕事をしている知人がいたということは、私もけっこうウサン臭い人間なのかも・・・

W_3

 次に検索からたどり着かれることが多いのは、長芋の木わく栽培の話である。
 毎年、栽培している長芋をボランティアで子どもたちに掘らせているので、その記事は何度も書いているが、知らない人が長芋の栽培方法を探して来て下さっていることなど考えてもいなかったので、アバウトな記述しか書いていなかった。

 この際もっと栽培法として役立てるようにきちんと手順を追った完全版を書くべく準備中です。



知らないところで育っていたわが子

2010年01月13日 | 工作
 28才に育ったわが子は親の知らない日本の各地で一人歩きをしていて、海老名のお父さん・・・とその成長した姿を見せてくれた。

 正月早々に不穏な雰囲気の漂う話・・・と他人の不幸に期待感?をもたれた皆さんにはゴメンナサイ。
 むしろ喜ばしい話なンです。

 ひょんなきっかけから自分の作品の「がらくた宇宙船」を検索してみた。W

 検索のページには当然の事ながら、私のホームページとその関連、そして私が全国各地で開いた工作教室の記事などが多いが、そんな項目に混じって松阪市、倉敷市、亀山市、府中市、東京の大田区などなどの小学校で指導をされている話や、大学生たちがボランティアで行う工作教室でもがらくた宇宙船が作られていたという項目がチラホラ見られた。

 このがらくた宇宙船は1983年に私が考案をした工作で、そのアイデアを思いついた経緯はホームページ→遊びの歳事記→がらくた宇宙船誕生/発想の連鎖に詳しく書いているのでここでは省くが、あれから28年、「がらくた宇宙船」は親の知らないところですっかり一人歩きをしていた。

 もう20年の前のことだったが、実は私はこのようなことを予測というより妄想していたことがあった。
W_2

 まだ我が家の子どもたちが巣立って行く前の事だったが、「いつかは私の孫が学校や幼稚園で私が考案した工作を教わって来て、実はその工作は昔おじいちゃんが・・・」という内容の原稿をどこかの雑誌の原稿に書いた記憶がある。

 そのときにはこれが現実になるなどといった予感はなく、あくまでも願望、妄想の類いとして書いていたのだが、今はその妄想に近い話になって来た。

 70才まで生きて来て、もう充分に長生きをしてしまったと思っていたが、わが子<がらくた宇宙船>がここまで育ったことを知った今は、もう少し長生きをしてみたいというが出て来た。

 そんな折に某社で出版された工作の本が中国版になって出版されるという話が入って来た。
 この工作の本は16人のおもちゃクリエーターが関わっているが、その中には宇宙船を含めて数点の私の作品が掲載されている。

W_3

 このアイデアが生まれて、日本の中で一人歩きをするまでに28年かかった。
 このがらくた宇宙船は今、外国に向かって発進を始めたばかりだが、これからまた30年ほど待てば今度は日本のお父さん・・・といって外国で一人歩きをしている姿を見せてくれるようになるかも知れない。

 しかし、これから30年というと、私は100才になってしまっていることになる。
 そんなに長生きをするつもりはないが、ま、親はなくとも子は育つというから・・・・




コタツ菜園

2010年01月08日 | 家庭菜園
 1月に入ると菜園にはネギ、白菜、ブロッコリーなどの収穫に出向くだけであまり手がかからなくなり、もっぱらコタツ菜園が楽しい季節になる。

 コタツ菜園というのは、鍬やスコップで実際の土を耕すのではなく、紙と鉛筆を使ってコタツの上で連作障害、野菜どうしの相性、日当たりなどなどを考慮して、今年は何をどこに植えるかと1年間の栽培計画を立てることで、プロ野球でいえばストーブリーグのようなものだが、これがまた楽しい作業である。

 紙と鉛筆の他に種苗会社から届いた通信販売のカタログがコタツ菜園には欠かせないアイテムである。1

 カタログの中から欲しいタネに丸をつけて行くと、どれもこれも欲しくなり、これを全部購入したのでは狭い畑では蒔き切れない。
 自分の畑の面積に合わせて悩みながらこれを減らして行くのに約1週間かかる。

 こうして悩んだ末にようやく必要なだけのタネに絞り込み、通販の申し込み用紙に記入し、郵便局でタネ代を振り込むときにも気持ちは高揚して来る。

 申し込んでタネが届くまでの間は早く来ないかとわくわくし、タネが届けばその絵袋を眺めて、気持ちは栽培期間をも通り過ぎ、すでに収穫期にすっ飛んでいる。
W

 コタツ菜園でこれくらい興奮できる私は相当なバカなのだろうか。
                         
 カタログに頼らなくてもホームセンターや農協の直売所などでタネは手に入るのに、なぜ通販なのかというと、カタログにはタネの絵袋より詳しい栽培法、品種の特性などの情報がある。

 自分の住んでいる土地で売られているタネは、その土地の食文化と気候にあったタネしか売られていない。
 気候が合わなければどうしようもないが、野菜を出荷する農家と違って家庭菜園では土地の食文化の違いは無視して故郷の味や知らない土地の珍しい野菜を栽培することができる。

 かって秋田県の教員組合から講演に招かれたとき、飛行機の便の関係から半日以上も空き時間があり、主催者は事前に県内の観光パンフレットを送ってくれて、どこを見たいか考えておくようにいわれたことがあったが、私は観光より<道の駅>などの野菜の直売所や野菜のタネ売り場を案内してもらってご機嫌だった。

 こうして見つけた珍しいタネには、地方によって異なるいろいろな辛味大根、黒い大根、夏蒔きで年内に収穫するキヌサヤなどがあった。

 手に入れたタネを並べて収穫の空想にふけっていると、仕事の締め切りもつい忘れてしまうという、ちょっと困った私です。