「苦しい・・・とか、痛い・・・ということさえなければ、もういつ死んでもいいよナ」
高齢の野良友との話題はいつもこんな話になる。
この歳(あと20日とちょっとで80歳になる)になっても、まだ私を必要としていてくれる人たちがあって、招いてくださるのはありがたいことだが、30歳を過ぎたころから半世紀、やりたい仕事をそれなりにさせてもらって生きてこれた。
しかし、この激しいめまいに多少の不安感はあるが、痛いわけでも苦しいわけでもなく、万一これでアチラに逝けるのなら、ま、こんな楽なことはないかも・・・と密かに思わぬでもなかった。
この期に及んで、アタフタとあわてることもないが、当面抱えている仕事の手当てだけはしておかねばならない。
思いつくことだけは一応息子に伝え、いよいよ救急車を呼んでもらう。
付き添いとして救急車には一度乗ったことはあるが、自分が主役で乗るのは初めてだ。
病院と我が家の距離は300mくらいで、ふらつきさえなければ歩いていける距離ではあるが、まずその300mさえ歩けないことと、夜の10時を過ぎた診察時間外には救急車でなければ病院の門を叩いても開けてはくれないだろう。
20数年前にここに転居してきたとき、まだ50歳代の半ばだったが、駅と大きな病院が近いということが、転居先をこの団地に決めた理由だった。
話が長引きそうなので、救急病棟での様子は省くが、なかなかおさまらない目まいの不安をよそに、最後にMRIを撮ってみたが、脳梗塞の痕もないからと、退院をうながされたのは午前3時だった。
さて、医師からは何の支持もないまま帰らせられた・・・ということは、一晩寝れば正常に戻るものだと思っていたが、あくる日も一日中壁を伝わらなければ歩けない状態がつづき、その状態が4日も続いた。
*これは、「キラキラアート」の見本作りに一区切りがついて、食べ物工作見本の「お節料理」伊勢海老を試作品を作っている途中です。
・・・が、歩けないので病院に行くことも出来ず不安な4日間だったが、5日目にようやく病院に行けるまでめまいも少し落ち着き、耳鼻科の診察を受け、単なる目まいですという診断で多少安心できた。
ま、そんな経緯があって、一時はこのブログもオシマイかと思った時期もありましたが、この分では、まだまだつづきそうです。