もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

死ぬかと思った・2

2019年11月05日 | 健康・病気

「苦しい・・・とか、痛い・・・ということさえなければ、もういつ死んでもいいよナ」
 高齢の野良友との話題はいつもこんな話になる。


 この歳(あと20日とちょっとで80歳になる)になっても、まだ私を必要としていてくれる人たちがあって、招いてくださるのはありがたいことだが、30歳を過ぎたころから半世紀、やりたい仕事をそれなりにさせてもらって生きてこれた。

 しかし、この激しいめまいに多少の不安感はあるが、痛いわけでも苦しいわけでもなく、万一これでアチラに逝けるのなら、ま、こんな楽なことはないかも・・・と密かに思わぬでもなかった。


 この期に及んで、アタフタとあわてることもないが、当面抱えている仕事の手当てだけはしておかねばならない。

 思いつくことだけは一応息子に伝え、いよいよ救急車を呼んでもらう。

 付き添いとして救急車には一度乗ったことはあるが、自分が主役で乗るのは初めてだ。

 病院と我が家の距離は300mくらいで、ふらつきさえなければ歩いていける距離ではあるが、まずその300mさえ歩けないことと、夜の10時を過ぎた診察時間外には救急車でなければ病院の門を叩いても開けてはくれないだろう。

 20数年前にここに転居してきたとき、まだ50歳代の半ばだったが、駅と大きな病院が近いということが、転居先をこの団地に決めた理由だった。

 話が長引きそうなので、救急病棟での様子は省くが、なかなかおさまらない目まいの不安をよそに、最後にMRIを撮ってみたが、脳梗塞の痕もないからと、退院をうながされたのは午前3時だった。

 さて、医師からは何の支持もないまま帰らせられた・・・ということは、一晩寝れば正常に戻るものだと思っていたが、あくる日も一日中壁を伝わらなければ歩けない状態がつづき、その状態が4日も続いた。

*これは、「キラキラアート」の見本作りに一区切りがついて、食べ物工作見本の「お節料理」伊勢海老を試作品を作っている途中です。

・・・が、歩けないので病院に行くことも出来ず不安な4日間だったが、5日目にようやく病院に行けるまでめまいも少し落ち着き、耳鼻科の診察を受け、単なる目まいですという診断で多少安心できた。

 ま、そんな経緯があって、一時はこのブログもオシマイかと思った時期もありましたが、この分では、まだまだつづきそうです。


死ぬかと思った!!

2019年11月01日 | 健康・病気

 10月19日に私のパソコン音痴で、100日にも及ぶ記事の投稿不能だと勘違いをしていたことを書いたが、その後、12月に二つのワークショップを控えていて、その準備に追われまた、このブログが滞ってしまっていた。

今回の投稿内容に沿った写真がありませんので、このドタバタの間に試作と出来上がり見本を作っていた「キラキラアート・年末バージョン」の試作と出来上がり見本を文章の間に入れて、箸休めにさせていただきます。

 そんなドタバタの10月26日(土)の夜、仕事が一段落をしたのを機に、風呂に入ったが、風呂の温度を少し熱めの43℃にセットしたのがいけなかったようで、風呂から上がってめまいと軽い吐き気に見舞われた。

 伝い歩きでやっと居間までたどり着いて、身体を横たえ安静状態でいたが、めまいは治まらないばかりか、血圧も上は190を越える数値が出て・一層激しくなってきたようだ。


 ここまでくると、ちょっと不安も出て来て、救急車を呼ぼうか?・・・という女房を制して、先ず同じ団地に住んでいる息子に電話をして呼んでもらった。

 これだけ激しい目まいは初めての経験で、風呂から上がってもう3時間も経っているのに症状がおさまらないことに、万一の事態に備えて、先ずはあと
一ヶ月ちょっと先に控えている2か所のワークショップ依頼者名・電話番号・担当者名などをメモってもらう。

 横で女房が早く救急車を呼ぼう・・・と焦っているが、救急車が来る前に万一の段取りは決めておかねば・・・と女房を制し、なお息子にメモを取ってもらうことを優先した。

 こういう時にもかかわらず、救急車を、救急車を救急車を・・・としか気が回らない女房より、私の方が冷静に物事が考えられ、コミセン講座の受講者への連絡先などを教え・・・話の順としては、いよいよ葬式はどうする・・・と言う話にまで及ぶ。

 この辺の話になって来ると、息子も「これは本人の直筆でなければ・・・」というが、ま、とりあえず急場の判断ながら一応の段取りをメモってもらい、ようやく救急車を呼んでもらうことにした。

・・・と、ここまで書いてきましたが、まだ長文になりそうなので、病み上がりの高齢者・・・ということで、続きはまた先(早ければ本日の午後ということもあり得ますが)ということにさせてください。


新品同様・前編

2017年03月20日 | 健康・病気

 さて今回のブログもあまり面白くもない話ですが、長くなりそうですので、前・後編に分けてアップをします。

 但し、前段の話と後の話が逆転していると読みづらいのを考慮して、前・後編一挙掲載としますので、この項を読み終わった方はそのままスクロールして後編をご覧ください。 

                      

  24歳のとき絵の勉強をしようと東京に出てきたのは、今から50数年前の東京オリンピック(1964年)の前年で、10月10日間のオリンピックの開幕当日は有楽町の街で自衛隊のジェット機が澄み渡った青空に大きく5輪のマークを描くのを見ていた。

 そして、私はその年の春から花粉症に罹っていて、以来50年以上もこの時期には毎朝クシャミで目が覚めて、午前中はほぼ鼻をかんでいるだけで時が過ぎていく毎日が続いたいた。
 

もっともそのころは原因がスギ花粉であることが判明しておらず、アレルギー性鼻炎と言われていた。

 その頑固な花粉症が、今年はまだ私には発症していない。
 やっと花粉症から卒業できたかと思ったが、そうではなくて、あるラッキーな・・・ではなくてラッキーなのかアンラッキーなのか自分でもよくわからない出来事で、今のところ花粉症が発症していないだけのようだ。。
 *これから先の箸休め的に配置した写真は本文とは何の関係もありません。
 

  さてその、よくわからない複雑な事情をお話しというのは少し長い話になるが、私と同年代のあなたにも役立つかのしれない話だから、辛抱をして読んでください。

 *同年代ではない人でも、いずれは起こる可能性のあることだから、60歳を過ぎて奇病に罹ったらこのブログを思い出してくださいね。 

 私には7年前から脊柱管狭窄症と診断された病があり、長時間の歩行や農作業などは途中で休憩をはさまないと続かなかった。

 それが、昨年の秋を過ぎたころから病状が悪化したようで、12月になって世田谷のボーイスカウトの子どもたちが私のボランティア菜園に長芋、里芋、大根などの収穫体験にやって来た日には、腰を下ろすことすらつらく、一旦しゃがんだら、今度は立ち上がるのも一苦労で、風呂に入るのにも浴槽を跨げないまでになってしまっていた。
         
 内科で2~3か月おきに行っている血液検査にも異常は出ていなかったし、痛みの中心部は骨盤と大腿骨の接点付近だったこともあって、これは骨の異常と思って整形外科の方に相談をしたのだが・・・。

 とりあえずレントゲンを撮ってもらったが、骨には異常は見つからず、
腰のほかに痛むところはありますかと尋ねられ、私はそれは直接の関係がなさそうだがと思いつつも、首の筋が痛くて首が回らない、また背中の僧帽筋、ヒップの大殿筋などにも無理な運動をした後のような筋肉痛もあることを告げた。
 それは脊柱管狭窄症の悪化ではなさく、ちょっと私に2~3心当たりがあるから、血液検査をさせてもらえませんか?
             
 整形外科医はそう言って、普段の健康診断の血液検査では行わない検査をした結果、3日後に2つの検査で極端な異常値が出ている・・・と言い、まずこの薬を朝と夕方に分けて3日間飲んでみてくださいと言われ、飲んでみると痛みはピタリと止まった。

 

 4日目に再び医院を訪れて、薬の効き具合を報告すると、まず病名は略称をP・M・Rと言う「リュウマチ性多発筋痛症」であること、リュウマチ性という名はついているが、リュウマチとは関係のない病気だと告げられた。

 以下、ネットで検索をしてみたら、この病気は対処方法はあるが原因不明の65歳以上の高齢者に発症する奇病らしい。

クスリが良く効いて痛みがすっかりなくなったことを告げると、それでは薬の量を1mg下げて、また1週間様子を見てみましょう・・・。

 果たして1週間後には再び痛みは少し出て来たことを告げると、それではまた元の量に戻しましょうということになり、1mg、2mgの微妙な量の慎重なサジ加減が必要な薬だと、私にも判断ができた。

                 
 長文で私も疲れました。
 ここで一休みさせていただきますので、読者の皆さんも自分でお茶でも淹れてひと休みの後に、このままスクロールをして「続・新品同様」をご覧ください。 


続・新品同様

2017年03月20日 | 健康・病気


 これまで脊柱管狭窄症の進行による痛みだと思っていた背中や腰の筋肉痛も別の
病気だと思っていた首の痛さも、すべて多発筋痛症によるものだったらしく、以来全身の筋肉痛が一切消え去ってしまい、77年間も使い古したこの身体が、まるで高校生のころのような新品同様な身体に戻ったような不思議な気分だ。
この話の中で、病名の他血液検査の種類と、処方をしてもらっている薬の名前をあえて書かなかったのは、薬の微妙な匙加減が必要な病気ゆえに素人判断で余計なことには触れないで・・・と思っているからです。
 心当たりのある方は、病名を言って医師に相談をしてください。 

 当初は素人判断で外科的な病気かと思い込み、たまたまかかりつけであった整形外科の医師にこの病気を見つけてもらったが、結果的にはどちらかと言えば内科的な病気だった。
 

 さて、ここでようやく冒頭のラッキーなのかアンラッキーなのかわからないラッキーな話に戻りますが、今処方されている薬の説明所によると「アレルギーに効く」と書いてあって、どうやら花粉症の発症もいっしょに抑えてくれているようだった。
                       

 さらに もう一つ、薬のせいではなくてリウマチ性多発筋痛症という病気は筋肉が痛むだけではなく、食欲不振という症状もあり、内科医の方から血糖値が高いので、体重を落とすことを厳命されていた私だが、我慢をして食事量制限をすることなく、無理なくこの2ヶ月で3kgの減量が出来ていて、これも多発性筋痛症の副作用?ともいうべきラッキーにめぐりあわせだと思っている。

                  
 後日普段かかっている内科の医院でこの話をしたら「よくその病気を整形外科の先生が見つけてくれましたね。
 この病気は、おそらくこのあたりの医院では見つけられないですヨ。
 それも内科の先生ではなくて、整形外科の先生が見つけられたとは・・・、その先生がすごい先生だね」
・・・としきりに感心をしていたが、先月数年ぶりに電話をしてきた埼玉県に住む友にもその話をすると、たまたまその友人も私と同じ病気にかかっていて、それが見つかるまで市内の医院をあちこち回されて、市民病院、大学病院での検査を繰り返し、1年近くかかってやっとリュウマチ性多発筋痛症にたどり着くことができ、やはり私と同じ薬で病気のコントロールをしているようだということが判明し、それほど見つけることの難しい病気を、レントゲンに異常のないことと、問診だけで多発筋痛症を疑ってただ1回の血液検査で、たどり着いてしまった整形外科医にはただ、ただ「感謝」の一言のほかはない。
 

 こうして、今回は原因不明という厄介な病気ながらラッキーな病気そのものの副作用?と薬の副作用に巡り合うことができたが、今度もしも、こんなラッキーに巡り合えるのなら、禿げ頭に効く薬のつもりで飲んでいた薬の副作用で、物忘れなどの脳細胞の劣化に効果てきめんという副作用に巡り合いたいものだ。

 お前なぁ、そういう薬が出来たら、それは副作用とは言わないンだよ。

 違げえねぇ!
 


奇病???

2015年01月10日 | 健康・病気

 今回の話には箸休め的に本文とは関係のない写真をいれます。

 秘密にしていたわけではないが、実を言うと昨年10~11月にかけて私は大ピンチに立たされていた。

 昨年は夏から暮れにかけて仕事、アルバイト、展覧会、ボランティアと四つ巴状態の中で時間のやりくりに終始していたことは以前に書いたが、実はそれだけではないもう一つの問題も抱えていた。

 10月のはじめのある日、突然に左の肩が痛み出した。

 その痛みの種類としては、肩コリの痛さに近い重い痛さなのだが、これまで経験をしたことがないような耐えられない痛さが10分ほどだが日に何回も起る。
 市の休日診療所を皮切りに、整形外科、内科、そしてまた整形外科と渡り歩き、そのつど鎮痛剤を変えてもらったが、都合4種の鎮痛剤はどれも効かなかった。

 その肩の痛みの最中に体力的には一番ハードな団地の芝生の刈り込みというアルバイトの日程が重なった。

 このアルバイトがどれだけハードなのかというと、一日の仕事を終えると酷い腰痛で整骨院に直行という1週間なのだが、不思議なことに今回はその腰痛は起きないで、日程的にはハードだが身体的にはむしろ快適な1週だった。

 しかし、肩は相変わらず耐え切れないほど痛む状態に変化はない・・・ということは毎日肩の痛みのために飲んでいる鎮痛剤は腰痛には効いているらしい。

 そして、11月もそろそろ終ろうかという頃になると、あれほど酷かった肩コリは急に軽くなったような気がしてきた。
 

 いやいや、気がするだけではなく2~3日もするとコリも痛みもまったく消え去ってしまっていた。
 

 結局痛みの原因も解らぬままだが、昨年のカレンダーをもう一度眺めてみると、7月の下旬から11月までの日程はほとんど埋まっていて、ことに9・10・11月は予定で真っ赤に塗りつぶされていた。

 自分では大雑把な性格で少々のことでは折れるような神経ではないと思っていたが、激しかった肩の痛みは、どうやら過密スケジュールの中で私のハートが悲鳴を上げていたようだった。

 11月のスケジュールがあと二つだけ・・・と見通しが立ったころから痛みは消えていき、今となってはあれほど痛かったことなどウソのように思える。

 今年は自重して、余りタイトなスケジュールを入れることはやめようと思うが、それではアルバイトとボランティアのどちろを減らすかということになると、どちらも先方からは当てにされているだけに断りづらい。
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もーさんからの大切なお知らせです。
 ただ今OCNのサーバーでアップしているホームページ「本家おもしろ工作ランド」は昨年11月より下記のアドレスのさくらインターネットのサーバーにに引越しをしました。

  http://mo-3.sakura.ne.jp/

  現在は新しい引越し先とOCNのサーバーどちらも「本家おもしろ工作ランド」は存在をしていますが、2月28日をもちましてOCNのホームページは消滅します。

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