もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

勉強会

2016年09月29日 | 工作


 四十の手習いではないが、団地のG-3による芝生の刈込作業から抜け出して、七十の手習いで「高齢者のためのレクリェーション」というミニ勉強会に行ってみた。

 いやいや、これ以上にボランティアの領域を広げようという気はないが、最近少し気になることがある。
 というのは、このところ私のこのブログのアクセスカウントが異常に上がる。


 タレントなどの有名人のブログに比べれば何のこともない数だが、 個人的な、それもマニアックな方向性もない日常の雑事を書いているに過ぎない、文字通りの「ひとりごと」なのだが、1日のアクセスが70~80という日が続き、あろうことか100カウントを超えた日もあった。

 通常は20前後のカウントであったことと比べると、やはりちょっと異常現象ともとれる。
 上記の写真をクリックしてアップ画面でご覧をいただきたいが、このブログにたどり着いた多くの検索ワードは「高齢者向きの工作」というのが圧倒的に多い。

 高齢者自身がパソコンで検索をしているとは思えない・・・ということは、これは介護の関係者による検索だと思われる。


 子どもの工作教室に加えて、後継者養成という目的で最近は大人の工作教室も始めたが、どうやら介護の世界でも私の工作は必要性があるらしい・・・と
思い始めていた矢先にフェースブックに冒頭のミニ勉強会の投稿があった。
 幸い会場も私の住まいから電車で30分ほどの距離で遠くはない。

 前にも言ったが、この分野にまでボランティアの領域を広げてしまうと、老化した私自身の頭の処理能力では賄いきれなくなってしまう。


 
しかし、それが求められているのなら放っても置けない。
 そこで、私自身は直接かかわらないが、このブログを通して介護の関係者が参考に出来る形のアップして行きたいと思っているが、介護の世界を全く知らない私は、少しでもその世界の周辺を知って、その状態に即した工作情報を流したい。

 まず、介護施設の中で、工作というものを楽しんでもらうには・・・
 1回の時間は・・・
 参加者の人数は・・・
 認知症の程度は・・・などなど判らないことばかりで、少しづつその情報に触れ、現場の要望に即したアイデアを提供したい。 
  
 一般的な介護施設と有料老人ホームの違いも知らなかった私にはまだまだ学ばねばならないことだらけだが、まずは最初の1歩を踏み出したに過ぎない。
  

 しかし、私自身がぼけてしまう前に役立てるように急がねばならない。

 そのうち私自身がデイサービスのお世話になって、紙コップの首ふり人形などを作ってきたのを見て、孫たちが「おじいちゃん、その工作は昔おじいちゃんが考案したのを覚えている?」と聞かれて、オヤ、そうだったかね・・・などという会話をしている姿が目に浮かぶ。
   

 


団地のG-3出動

2016年09月22日 | 展覧会

 
 このところ台風一過 の日本晴れ・・・とはいかぬ雨天の連続で、畑の雑草も手に負えないが、団地の芝生面も芝生の姿はどこへやら、これまでにみたこともないまでに雑草が伸びている。

 そこで、団地の「G-3」の出番となる。
   ・・・とファンファーレと共にカッコよく登場と言うわけではなく、通常の定期的な芝生の刈込なのだが、前回は7月下旬に行った後で、2ヵ月も経っていないにもかかわらず、今回の雑草の成長は異常だ。

  
 通常広い芝生面は芝刈り機を走らせ、植え込みの周辺、立木の周囲は刈り払い機で刈りこむのだが・・・。

 刈った草が長すぎて芝刈り機に集塵袋に入らないことが分かり、広い面も一旦刈り払い機で荒く刈り倒し、熊手でかき集めて廃材袋に収納した後を芝刈り機を走らせるといういかにもアナログ的な草刈りとなっている。


 畑の草刈りは刈った草はそのままでもいいが、芝生面の草は刈りとった後、これを捨てに行かねばならないが、この量たるや半端ではなく、通常の3~4倍になりそうだ。

ところで、このブログを読んでいてくださる方には毎度おなじみの言い回しだが、初めての方には少し言い忘れていることがあった。
 
それは冒頭に書いたG-3というのは、この芝刈り部隊の名称ではなく、ただ、単純にG-3=ジーサン、つまり爺さん連中というだけのことであり、全員75歳前後の元気な年寄りに過ぎない仲間をチョットだけカッコつけて言ってみただけである。


 この団地は20棟600余世帯からなり、芝生面だけで20面(約1万坪)あり、この芝生のメンテナンスを7人のGー3が、今のところ死者も出さずに引き受けている。


 例年も季節によっては、雑草の量も多少は違うが、これほどの量となったことは初めてで、通常は1週間ほどで終わる作業だが、今回は9月12日から始めて今日までにまだ半分の10面しか終わっていない。

 普通は、雨の日には作業は休むが今回はそんなことも言っていられなくて、うかうかしていると、最初に刈り終えた1号棟の芝生をまた刈らねばならなくなりそうで、小雨決行という非常事態になっている。

 刈り終えた芝生面は、このようにこざっぱりと気持ちがいい。
 だが、雨はまだまだ続きそうで、全面の刈り込みが終了するのはいつになるのだろう。
 


怪人に会ってきた

2016年09月11日 | 交遊録

9月10日、神宮前のレンタルスペースで開催された「【肉眼では見えない!】宇宙の神秘をカメラで描く作家」と称される幸村真佐男氏のチベット高原の独立峰の「カイラス山報告パーティー」に押しかけ参加で会いに行ってきました。
 

  幸村真佐男氏とは、何の面識もなかったが、私とほぼ同年代と思われる高齢カメラマンがチベット仏教の聖地と言われるカイラス山(標高6656m)に五体倒地という祈りの形をとりながら太陽の軌跡を撮りに行くという記事を見て、まずそのバイタリティー、超人的体力を要するであろうと思われるエネルギッシュな行動力の根源を知りたかった。

村氏に会うまでの私が頭に描いていた怪人のイメージ
 

 9月10日、久しぶりの東京で、地下鉄銀座線の外苑前から徒歩で10分くらいという、報告会の会場まですっかり土地勘のなくなってしまっている私は、数人の人に道を尋ね、20分もかかってやっと会場にたどり着いたが・・・。

 その途中私にアクシデントが起こった!

 私は脊柱管狭窄症と言う持病を持っているが、ここ3年ほどはその持病を忘れてしまうくらい腰痛は治まっていたが、会場に着くまでの間に少しづつ痛みはじめていた。

会場内には、すでに怪人の旧知の間柄と思われる20人ほどの人たちが集まっていたが、押しかけ参加は私一人のようだった。

 

怪人はパワーポイントの調整に余念がない。

「開演時間までどのくらいある?」と怪人。

「もう5分過ぎています」とスタッフ。

それでも怪人は慌てる様子もなく、パソコン操作に没頭。

 

なかなか始まらない報告会に「何を待っているの?・・・」と怪人の友人らしき人から声が上がった。

「うン、開演時間を・・・」と怪人

「それならもう30分も過ぎてるよ」

「ん! もう過ぎてるの?」・・・ということで、ようやく報告会の幕は開いた。

 

報告会の冒頭は、何万カットという数のチベットの写真が秒速でスクリーンの上を走り、そのなかで怪人の話が始まった。

  出かける前には鳥葬と言うこともあり得るという覚悟で出発をしたのですが・・・鳥葬場は何ケ所かあったのですが、行ってみると、鳥はほとんどいなくて、犬がうろうろしているンです。
 それを見ると、犬に食われるのは嫌だなぁ・・・まぁ死んでからのことだから、何に食われてもいいようなものだが・・・というユーモアのある話を聞きながら、私は幸村氏から怪人というイメージは次第に消えて、仙人のイメージに変わってきた。
 幸村氏のイメージは怪人から次第に仙人に・・・ 

  話の途中で、チベットで買ってきたお土産という冬虫夏草が披露されて「権利のある人は一つとっていいですよ」と言われたが、おしかけ参加の私には権利のある人と言う意味が分からない。

 ・ ・・すると、隣の席にいた人が「今回の撮影旅行に寄付をしてくれた人と言うことでしょう」と教えてくれた。

 押しかけ参加の私は「権利のない人」だったようだ。

  で、冬虫夏草の写真だけを撮らせてもらって、次の席の人にに回すことにした。
 

◎今回の話は長くなるので、一旦ここで一休み・・・。
 皆さんもお疲れでしょうから、自分でお茶でも入れて一服して続きをご覧ください。

*この回の続きは次回にアップではなく、このページの下にすでにアップをしていますので、右端のスクロールバーで「続・怪人に会ってきた」をご覧ください。


続・怪人に会ってきた

2016年09月11日 | 交遊録

しかし、ややあって、その冬虫夏草が後ろの席のご婦人のところまで回ってきたところで、ちょっとこれ食べてみませんか・・・と声をかけられた。

 その人は権利のある人のようだが、冬虫夏草見た目の気味悪さで、口にする勇気が出なくて、どんな味なのか教えてほしいというのだった。

 私は権利のない立場だったが、それにも勝る好奇心とズル心が少しだけ勝って、素早く口に入れた。

 その味はというと、私がこれまでに口にしたものの中では・・・・。
爪楊枝を齧った時の感触に一番近かった。
 つまり、無味、無臭で何の風味もなく、何の神秘性も感じられないモノだった。

 仙人の話は中断して、今回の旅のガイドを務めたネパール人のクマールさんのジャンベ(ドラムの一種)と仙人の手祈りのホイール(楽器と言うより仏具)のセッションによる軽快なリズムの演奏が始まった。
 


 仙人の出す音は、クマールさんのジャンベの音にかき消されてほとんど聞こえないが、耳を澄ませてよく聞くと、仙人の奏でるホイールのリズムはジャンベのリズムとはまるで関係なく、無我の境地で仙人の面目躍如、独自のリズムを刻んでいた。

 背負い篭の中から取り出して、左手に持っているのが「手祈りのホイール」と称される楽器(仏具)で、ジャラジャラと言う音でリズムを刻む。

 報告会の話はまだ始まったばかりで、五体倒置、カイラス山の話も始まっていないが、悪いことに午後8時を少し回ったころになって持病の脊柱管狭窄症による腰の痛み激しくなってきた。

 残念ながら、そして主催者に対しても失礼ながら途中退席をすることになり、スタッフからはあとで先生に紹介をします・・・と言われていたが、それも果たせぬまま会場を後にすることとなってしまった、

 来る時は地下鉄外苑前駅から道に迷って20分もかかって来た道を、帰り道は迷わなかったが、腰痛で足が進まず30分かかった。

 そのあと、地下鉄銀座線➡千代田線➡小田急線の急行と各駅停車を乗り継いで、家に帰ったときには10時半を回っていたが、気が付くとあれほど痛かった腰痛は少し軽くなっていて、一夜が明けた今この投稿を描いているが、全く通常の体に戻っている。

   
 チベットの経典が書かれた経幡という小旗で、風になびいて、仏の教えが広まるといわれている。 

 昨夜報告会の会場で口にした冬虫夏草の効き目なのか、はたまた幸村仙人の妖術のなせる業かはわからないが、ありがたいことには変わりはない。

途中退場で聞き逃した話の方が多かったが、幸村氏は怪人ではないことは分かった。
しかし、高齢の身でチベットの奥地まで出かけて写真を撮ってこようなどと言う人は、やはり常人ではなく仙人であった。
 いつか、またお会い出来る機会があれば、氏の身体と精神的なエネルギーの源を突き止めたいものだ。
 左側の缶バッジは幸村氏撮影された南房総の太陽の軌跡 


キョウイクとキョウヨウ

2016年09月02日 | 展覧会

 60歳でめでたく定年を迎えた後、私たちはその後20年も生き続けることになるのだが、その20年のリタイア後の生き方はどうしたらいいのか?

 ある企業で長年社員教育に携わって70歳近くまで働いていた野良友のSさんは、定年間近の社員教育として定年後のあり方の話をしてくれた。

「結論を先に言うと、それはキョウヨウ、とキョウイクが有るか、無いかと言うことなんです」         そういう話をすると、イヤな言い方だと思う人もいるようだが・・・とSさんの話は続く。

 「教養と教育」ではなくて、リタイア後の長い日々「今日用があるか」「今日行くところがあるか」という話なのだ。
 そして、それは定年後に考えるのではなく、在職中に考えておかねばならないことだと言う。 

 そういえば、現在私の住む町でも、家の前に置いた椅子に腰をかけて、朝から何時間も道行く人を眺めているオジサンがいる。

 毎日台所の窓から顔を出して所在なさげにプカーとタバコの煙ををくゆらせながら、これまた道行く人や車を観察しているまだまだ元気そうなオジサンを見かける。

 これを20数年も続けなければならないとしたら、さぞかしツライ生き方だろうとナと思ってしまう。

  若いころには夢も希望も、やりたいこともいっぱいあったが、企業というところは、そんな個人の願望など全く関係なくチーム作業で効率を上げる社会で、ある意味ではパーシャル共産主義とも言える構造になっているような社会で何10年も生活をしているうちに、豊かだった人間性はいつの間にかスポイルされてしまい、定年待っていました・・・と、若いころからの願望を枯らすことなく持ちこたえて、再びイキイキとした人生を取り戻せる人は少ないようだ。

  そんな中で、私が東京暮らしのころの友人で、人もうらやむ公務員で将来の不安もまったくない男なのだが、どういうわけか子どものころからの料理好きという病気?を持っていて、晩年には年末になると近所のお節料理も引き受けるといういうほどの重症になっていた。

  その友はあろうことか、定年までの2年残して退職し、世田谷にある自宅を立て直して魚料理のお店を開店してしまった。

 お店は繁盛して、リタイア後の彼は在職中より充実した日々を送っていた。
 しかし、そのお店の開店後わずか2年で不幸なことに彼は病に倒れ帰らぬ人となってしまった。

 やっと希望がかなって、宮仕えから足を洗い、マイペースの日常を手に入れられたのに・・・と思う反面、もし彼が定年まで勤務をしていたら、夢を果たせないままにこの世を去らねばならないことになっていたのだと思うと、短い人生ではあったが、最後はキョウイクもキョウヨウのあるいい人生を送ったのだと思う。

 そんなことを考えながら、私自身の「キョウイクとキョウヨウ」を振り返ってみると、仕事+アルバイト+ボランティアが重複していて、この夏は収拾がつかない状態になっていた。
  
八王子子ども科学館・海老名市の小学校でのサマースクール・綾瀬市での工作教室

 ようやく展覧会という峠を越えたあとも、海老名の隣の綾瀬市文化会館での工作教室、そして一昨日と昨日の二日間は地元の小学校でのカカシ作りの仕上げのボランティアがあって、やっと長かった今年の夏が終わった。

  
災害現場ではなく、15体のカカシ作り指導の現場です。
 2~3日休養をした後は、雑草に占拠されてしまっている家庭菜園の手入れを済ませ、秋野菜のタネを蒔いたり、苗を植える準備をせねばならない。
  
*わが町の「中新田かかしまつり」は、9月3日の午後から飾りつけが始まります。
 
24歳で東京に出て来て以来、ずっとフリーランスで仕事をしてきた私の定年の区切り目は定かではないが、76歳の今も当分は死にそうもない元気さで、充実したというより、むしろ過剰なキョウイク、キョウヨウのある余生が送れていることに愚痴など言ってはいられない。