もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

ファンレターが来た

2006年09月24日 | 雑記
Photo_25こういう可愛い封筒の手紙はめったに私のところへは来ない。
 4年ぶり2度め(甲子園の出場記録のようだ)のファンレターが来た。
30歳代のころ挿し絵の他に社会風刺のイラストを描いていた頃には、読者から出版社宛に抗議の手紙(不安レター)をもらったことは度々あった。

 4年前は熊本から、今度は香川からで共通点は手紙をくれたのはどちらも小学校の2年生の男の子だったことと、二人とも私(の工作)との出合いはホームページではなく私の本だったことである。
 ひとりはお母さんの代筆だったが、もうひとりの子は自分で手紙を書いてくれていた。
 そして驚いたことに、手紙をくれた二人の子たちは私のクラフトが他の本の作者たちと違うところを認識していて、そこがおもしろいと手紙をくれたのだった。
 
 私の孫も小学校の2年生になるが、他の工作の本との違いなど認識出来ないし、また著者に手紙を出したいなどという発想も無さそうだ。
 いや孫どころではなく、私自信の小学校2年生の60年前を振り返ってみても、作文、音楽、図工など自己表現に関わる科目も親や教師の顔色をうかがって主体性をもった表現などはできなかった。
 まして他人の持ち味の評価などとても出来る年令ではなかった。

 他人の評価ができるということは、その前に自分を客観的に把握していないと出来ないことで、「もーさんはすごい!」という手紙をくれた二人の小学生は、私から見れば幼くしてその違いを理解出来た能力の方がすごいと思う。

 1970年代は主に出版物に原稿を描いていた関係上いろいろな作家と接する機会があったが、その人たちの多くが早熟系だったことを考えると、手紙をくれた少年たちの将来を見届けたいという気持ちが湧いて来る。
 しかし、少年たちの能力が開花する20年先までこちらの頭がはっきりしたまま持ちこたえていられるかどうか自信がない。

*「各地出前教室」のページも本日ブログに置き換え、2004年以降掲載が滞っていた記事も今年の8月まで一挙に掲載し、あなたの街で行った工作教室、研修会もやっとアップ出来ました。
 
 




ヤバイ話

2006年09月18日 | 雑感
 いつの時代でも若者の言葉の乱れをいわれるが、最近は「やばい」という言葉の使い方が指摘されている。
 本来は危ないというような意味に使われていた言葉だが、イケメンに出会ったギャルが・・・おいしいケーキを口にした女の子が・・・
「これってヤバクない?」などという使い方をしている。
 もとは「これは嵌ってしまいそうでヤバイ」という使い方だったのだろうが、言葉の前半が省略された形で「ヤバイ」だけが残った結果、もとの意味とは真逆の意味を表すようになっていて、それでも現在はまだ前の部分を省略したことを承知して使っている人も半数くらいは存在しているようだが、あと半数はヤバイ=いいことと理解しているようで、数年もすれば前半省略派は消滅し完全にやばい事になる。

 しかし、そういうことは若い世代だけの事ではない。
 9月の第3月曜日は「敬老の日」になっていて、敬老という意味はお年寄りを敬(うやま)うという意味だ。
 この日は若い人たちの側から敬老精神を発揮しようというもので、老人たち自らが若い人たちに求めて迫るものではない。
 しかるに最近ちょっと気になるのは、老人たちの集まりを自ら「敬老会」と称する老人たちの何と多いことか。
 いわく「私たちの敬老会で、一緒にカラオケをしませんか」いわく「これから敬老会に踊りの稽古に行くのですよ」
 
 そして、老人たち自らが老いを敬う会と称してしまうと、これまで本来の意味での「敬老会」を開催していた人たちは仕方なく「敬老を祝う会」などという、より意味不明な名称の会を催すことになってきた。
 ゴロは悪くはないからついそのまま見過ごしてしまいそうだが、よく考えてみると「年寄りを敬うことを祝う会」とは年寄りを敬っている若い人を祝ってあげる会というややこしいことになり、祝う側と祝ってもらう側の立場は逆になってしまうというヤバいことになっている。

 ついでに言えば、あるTV番組で人の行為をたしなめる言葉として「ふざけろ!」と眉を逆立てて大声でわめく女性タレントの姿がみられた。
 本来他人の言動をたしなめる言葉は「ふざけるな」であって「ふざけろ」というのは逆にけしかけたり、煽り立てるときに使う言葉なのだが・・・
 
 数年前の話になるが、ある集まりの席で若者と中年の婦人の話が弾んでいた。
 たまたまそこを通りかかった私をご婦人が呼び止めて「ちょっとモーさん聞いてよ、この子ったら私の事をクソババァって言うのよ」
 もちろん本気の喧嘩をしていたわけではなく、冗談っぽい会話の中でのことだが。
「◯◯君 クソババァはないだろう、年上の人と話をするときは相手を敬って、ていねいな言葉を使うべきだよ」
「はい・・・」
「クソババァをていねいに言うと、ウ◯コお婆さんと言うのが正しい言い方だ」
「ヤーネ!その方が汚らしいじゃあないの、それなら私はまだクソババァと言われた方がいいわよ」
 
 ン! 私の話もどこかが間違っているのかな?。



わが町のかかしまつり

2006年09月10日 | ご案内
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昨日の飾り付け風景
 わが町海老名市の「中新田かかしまつり」も早いものでもう14回目となる。
 たった14年とも言えるが、小学校6年生の子どもなら生まれる前からあった町の行事ということになる。
 当時16軒の農家と水耕会という5~6人の素人の米作り(密造米?)集団で発足したかかしまつりだった。
 回を重ねるに従って、新聞各紙も記事にしてくれたり、TVのローカルニュースや天気予報のバックに使われたり、県内各地からアマチュアカメラマンが撮影に来てくれたりして、第10回のときにはとうとうNHK「昼どき日本列島」という番組が全国中継をしてくれた。
 しかし、売り込んだわけでもないのに、どうしてこのマイナーなかかしまつりをNHKが知っていたのだろう?・・・という疑問を私たち実行委員会のメンバーの誰もが思った。

 最初の打ち合わせの時、担当のディレクターにこのことを尋ねてみた。
「インターネットですよ」彼は事も無げにそういった。
「・・・・」
 私たち実行委員会でかかしまつりのホームページを持っているわけでもなく、他のホームページに私たちのかかしまつりについて誰かが書いているなんて思いもしなかったから、不覚にもそのときまで実行委員会の誰ひとりとしてインターネットをチェックした人もいなかった。

 こうして中新田かかしまつりは主催者たちの自覚もないままに、まだまだメジャーとまではいかないが、マイナーなイベントではなくなりつつある。
 今年も昨日のかかしの飾り付けの日には54点(69体)のかかしが集まって賑やかなかかしまつりになった。(最終日は9月30日の午前中です)
 今年も話題のスケート、野球、サッカーなどスポーツヒーローのかかしが多数登場しているが、あの不快なボクサー一家だけは誰も作る人はいなかったようだ。
 そして今日は市長、議会議長、小学校長、JA理事長などなどお歴々にお願いをしてかかしの審査が行われる。
 さてその審査の結果は・・・ぜひかかしまつりの会場でお楽しみ下さい。
 最寄りの駅は、小田急線「厚木」駅から徒歩10分ほどの田んぼの中です。

 ところで、かかしまつりの下準備の手伝いと、兼業家庭菜園?の種蒔きなどに追われていた私のかかしはまだ出来ていない。
 毎年、町の皆さんのかかしを飾り終えてから作りはじめるのが私のペースとなってしまっているが、これから作る私の昔ながらのシンプルかかしが加わると、かかしの数は70体となってキリのいい数になる。


Photo_24かかしの審査をする海老名市長さん(帽子の人)たち




閑中忙有り

2006年09月05日 | 雑記
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小学校の体育館で子どもたちのかかし作り



 夏休中の各地工作教室に一段落がついてのんびりしていいはずなのだが、雑用に追われてなにか落ち着かない。
 今週末から始まる、当地の「かかしまつり」に出すかかしも作らねばならないが、今日はその前にかかしまつりに参加してくれる町内の小学校にかかし作りの指導に行ってきた。
  
 各地の工作教室から戻ってきた展示品、材料の残りなどを整備、整理、分類をして片付けねば工房は足の踏み場もない。
 この夏何処で何の工作をしたのかの記録も整理しておかねばならない。 

 家庭菜園が工作教室の余波をまともにうけて、雑草が茂り放題となっている。
 初冬に私の菜園に東京から山芋掘り体験にやって来るボーイスカウト、ガールスカウトの子どもたちに山芋と共に持たせる大根のタネを蒔くために急いで耕さねばならない。

 先送りしていた家庭菜園雑誌の取材も受けねばならないうえに、新たに冬の号用に私がこだわって栽培しているあるイチゴの品種に関する原稿依頼が新たに来てしまった。

 夏休み中には忙しくて通えなかった歯の治療にも通い始めた。
 奈良も香川も歯抜けの爺さんのままで工作指導をしてきたが、これではあまりにも見栄えがしない。
 もう色気などどうでもいい年令になってしまったが、前歯の抜けた姿はいただけない!
 
 いやはや、9月の前半はこうした雑事に追い掛けられて忙中閑有りの逆の状態となっています。
 この雑事が片付いたら去年から書き込みの遅れが出ている「各地出前教室」もブログ化して、一気にアップを図るつもりをしているが・・・予定は予定のまま終わってしまうことが多くなってきた昨今です。