もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

かかし無惨!

2009年09月29日 | 雑記
 26日(土)の朝早くかかしまつり実行委員長から、かかしが壊されてしまっていると電話がかかって来た。W2
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 田んぼに駆け付けてみると15体のかかしが壊された他に、題名・出品者名を書いた立て札も割られていた。

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 17回のかかしまつりのうちこれまでにもこうした被害がなかったわけではないが、今回は数も多く、壊したかかしの頭を田んぼに投げ込むなど悪質さが目立つため、集まった実行委員会メンバーが相談の上、器物損壊で警察に被害届を出そうと意見がまとまった。

 今はどんな人間が、どんな気持ちで壊して行ったのかは推測するしかないが、犯人が掴んで捨てたかかしの顔からには作者以外の指紋の検出出来るはずだから、いずれゆっくりと犯人の言い分を聞かせてもらう機会もあろう。

 ともあれ、一生懸命かかし作りをして出品した人たちの不快さを察すると、すぐにも修復作業をしなければならないが、あいにく今日は朝一番に歯医者の予約をとっていたので、まずはこちらの歯の修理、かかしの修理はその後となってしまった。

 警察からは被害届には被害の写真と修復費用を出すように言われたが、接着剤などの材料代はいかほどでもないが、修復にあたった私の日当は高いゾ~!
 犯人はその点も覚悟をしておくように・・・。



人を惚れさせる男

2009年09月25日 | 本と雑誌
「人を惚れさせる男」・・・私のことではない。
 
 誰がお前のことと思うか!

 このブログの9月7日に掲載した「面白半分同窓会」という記事までスクロールして欲しい。
 その記事の中の写真の左端のタバコを手にしたちょっとうさん臭い男が今日のブログの主人公なのだが、さりとて、この男が「人を惚れさせる男」でもない。

 元「月刊・面白半分」の発行人佐藤嘉尚というのがこの人で、この佐藤さんが書いた吉行淳之介伝のタイトルが「人を惚れさせる男」なのである。
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 ところで、この佐藤さんは風貌のうさん臭さと違って、心の底には若かりし頃の文学青年魂がまだ残っているようで、師と仰ぐ吉行淳之介さんの初の伝記を書き上げた。

 本の中味に関しては紀伊国屋書評空間などをお読みいただくとして、佐藤さんは1971年に吉行さんの<肩の力を抜いた生き方>を精神的な支柱とする「月刊・面白半分」を創刊し、初代編集長に吉行さんを迎えるなど、吉行さんに心酔、密着期間も長かったことからもこの伝記を書く適任者だった。

 ここまで書いて来て思い出すのは「面白半分」が倒産した後に<面白半分・臨終号>を発行したのは、奇しくも9月7日に新宿の居酒屋に集まったメンバーだった。
 そして、その折にも吉行さんからいろいろとアドバイスや出版社からの広告をとってもらったこともあった。
 そして、臨終号が苦難の末に発行を終えたとき、吉行さんから私たち臨終号に携わった仲間の労をねぎらって帝国ホテルの近くの中華料理店でごちそうをしていただいたのが今は昔の想い出である。




飛行船

2009年09月19日 | 雑記
「リバーサルフィルムを読み込めるスキャナー持ってる?」
 友人のデザイナーYさんに電話をしてみた。

 ひょんなことから17年ほど前に乗せてもらった飛行船の写真を探すことになった。W1_2
横浜港・大黒埠頭の基地に係留中の飛行船

 もちろん当時はデジカメの時代ではなく、また乗船記を書くための撮影のため、リバーサルフィルムでの撮影だった。

 ようやく見つけ出したフィルムは少し色褪せていたが、問題はそれより今どきリバーサルフィルムのプリントをしてくれる写真屋などはこの田舎町にはない。

 で、Yさんにお願いをしてみたら、数時間でこの写真をCDに焼き込んでくれた。
 しかも、手渡したフィルムの色褪せは見事に補正をされて17年前の色がかなり蘇っていた。

 せっかく蘇った写真だから、それにブログのネタ切れもあって飛行船の写真で息継ぎです。

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 飛行船は横浜港から東京湾を横断し、館山上空から内房線にそって東京に向かったという記憶だが、木更津辺りからだったかも知れない。

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 高度は300メートル、隅田川の勝鬨橋上空。

 地上からの撮影を担当したカメラマンは、橋の上を飛ぶ飛行船を狙っているはずだが、まだ携帯電話も普及していなかった時代で、地上との連絡もとれないので、この橋の上空を3回旋回してもらってその間に地上からの写真を撮ってもらう手筈になっていた。


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 ベイブリッジを跨いで、出発地点の大黒埠頭に戻る。


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 3時間ほどの非行ではなく、飛行を終えて地上に降りる私。

 17年前の私はまだ髪の毛が充分にあった。



かかしまつりが始まった

2009年09月13日 | まち歩き
 9月12日中新田かかしまつりの飾り付けの日は、あいにく朝から雨が降ったり止んだりの日になってしまい、実行委員会の立場では展示の準備には困った日だが、家庭菜園の野良者の立場からは久しぶりの嬉しい雨となり複雑な気持ちだ。

 孫が朝からハイテンションでかかしの最終仕上げにやって来てご満悦だ。
 アルセウスの背中にポケモンの仲間たちを乗せて、早く会場に持ち込みたい。
 そんな孫を残して、爺さんは会場準備のために先に家を出る。

 幸い、朝からの雨は小降りになり、天の助けか、受付の始まる12時頃から飾り付けを終える夕方までは雨は上がっていてくれて、かかしまつり準備と家庭菜園のどちらにとってもいい状態となった。W
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 今年はマイケルジャクソン、NHK大河ドラマの主人公、アニメのキャラクターなどなど、54点、約90体のかかしが集まった。
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 そしてこれが私と息子と孫の親子3代で作った<アルセウス>
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 受付のテント張り、看板立て、杭打ち、持ち込まれたかかしの設置手伝いなどなどで、ギックリ腰が出てしまい昨夜はパソコンの前に座ることもなくあえなく撃沈!。
 



面白半分同窓会

2009年09月07日 | 本と雑誌
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阿奈井文彦さんから<書籍在中>と書かれた封筒が届いた。
「サランヘ 夏の光よ」(文藝春秋社刊)は阿奈井さんの半自伝的小説で、私はその冒頭の10行に目を通しただけで、不覚にも涙をこぼして私は慌てて本を閉じた。
 2ページ目から先は女房の外出を待って読むことにする。

 いい歳をした爺さんが、小説を読んで涙をこぼしている図など家人に見られてなるものか。

 その冒頭の10行には、27歳の母親が5歳と3歳の子どもを残して結核でこの世を去る場面が描写されていた。
 たった5歳で母親の死に直面しなければならなかった子どもの不安に思いをはせたのか、また、幼い兄弟を残してこの世を去らねばならない母親の未練に同情したのか自分でも涙の理由は判然としない。

 氏とは40年くらい前から、当時のサブカルチャー雑誌として名を馳せていた「面白半分」という雑誌でコンビを組んで連載を持っていた他に、「オール読み物」「産経スポーツ」「諸君!」などで氏のルポに私がイラストを描くと言う形でいろいろな取材を楽しませてもらった。

 氏が朝鮮半島からの引揚者であることは聞き及んでいたが、かの地でそんな悲しい母親との別離をしていたことはこの本を読むまで知らなかった。

 で、この本の出版をダシにして、久々に昔の仲間でいっぱいやろうではないかと音頭をとってくれた編集者がいて、先日新宿のある居酒屋に集まった。

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 暗い店内での撮影で状態が良くない写真だが、左から元面白半分社長(現在はフリーライター)のS氏、カメラマンの石山貴美子さん、編集者T氏、阿奈井さん、私。
 他にもう一人元編集者(現在こまつ座のスタッフ)W氏も来てくれたが、この写真を撮る前に仕事のために中座した。


 当時の面々は、30歳前後の活きのいい若者たちだった。
 40年後の現在も少しは活気は衰えたが、全員まだまだ元気に現役で仕事をしている。

 思わぬ同窓会気分の飲み会となったが、居酒屋での3時間は瞬く間に過ぎ、それぞれ夜の新宿に散って行った。
「夜の新宿へ散って行った」などと書くと何か意味がありそうだが、そうではなくて住んでいる方向がそれぞれに違うから、地下鉄の駅に向かう者、JRの駅、私鉄の駅にそれぞれが散って行ったと言う意味で、皆もう高齢者ですから深い意味などありません。