もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

音痴貴族

2014年10月19日 | 音楽

 

私はこの歳になるまで自分は音痴だと思っていた。

 

音程が外れ、低音から急に高音になったりすると、声がかすれて出ないなどの症状を自覚しているから、人前で歌うことはめったになかった。Photo

 

冒頭で、<音痴だと思っていた>と過去形で書いたのは、長年自分が音痴だと思っていたが、あることから自分はそうではなかったことが判った。

 近所のバーで相客がマイクを持って完全に陶酔した表情で歌っているがその音程は完全に外れていて、それを聴いていた私の友人Hさんは、そのハズレっぷりに業を煮やして「俺にマイクを貸せ!」とマイクを取り上げてその歌の続きを歌いだした。

 
 
然るに何としたことか、Hさんの歌も前の客とまったく同じで完全に音程は狂っていた。


「あんただって同じゃあないか」と突っ込んだ私にHさんは、真顔で調子外れを否定した。


後日、Hさんの奥さんに会ったとき、その話をして「家族で誰か忠告してやらないの?」と尋ねたら「だって、言うと怒るんですもの・・・」とあきらめ顔でそう言った。

 歌は上手ではない人は音程のハズレは誰でも自覚しているものだと思っていたが、この一件で、自分で音程の外れの自覚できていない人がこの世に存在していて、それが音痴だということがやっとわかった。

 それが分かったと言っても、私が歌えないことに変わりはないが、少なくとも私は音痴ではないという確信が持てた。

 
 冒頭のレコードジャケットは、その昔ポリドールというレコード会社からこの手の音痴集団のLPレコードジャケットの依頼を受けて私が描いたものだが、この時点ではまだ私は音痴の実態を知らず、私同様にただヘタだけの人だと思っていた。

 本文とは何の関係もないが、後期高齢者まで残り39日


過去の私を再発見

2012年04月23日 | 音楽
 ひょんなことから「カラーブックスの達人BLOG」という見知らぬ人のブログにたどり着いた。

 カラーブックスと言うのは大阪の保育社という出版社から刊行されていた600点を越えるカラー文庫のシリーズで1970年代から80年代にかけて全国どこの本屋さんでも売られていた人気の出版物だった。

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 このブログを追っていくうちに、何とそこには1974年(35歳のとき)に出版した「手づくり遊び」が紹介されていて、今の年齢の半分だった過去の私が居た。

 この本は昔の手づくり遊びをそのまま紹介したのではなく、<当時の都会生活の中で遊べる手づくり遊び>をテーマにして、我が家の中で実際に親子で遊んでいた(今風に言えば育メンをしていた)ことをまとめたものだった。

 そしてその本のーはじめにーで「いわゆる伝承の遊びとか手づくりのおもちゃというものは、古くから伝わるもの、最近になって普及したもの、そして今忘れ去られようとしているものなど、いろいろあり、時の流れ、時代の変化によって消えてゆくものと、その中から生れてくるものがあります・・・」と書いている。
 
 その本を出版した時点では現在の工作おじさんを目指していたわけではなく、誰かがまた新しい工作や遊びを考案してくれるだろうと漠然とした気持ちを表現したに過ぎず、その当時は毎月のイラストの締め切りに追われていて、そんなことを書いたことすら忘れてしまっていた。

 しかし、あらためてその文章を目の前に突きつけられ、現在の自分の姿をかえりみたとき、その気持ちが潜在的意識の奥深くにずーっと残っていて、それが現在のライフワークとなっている「おもしろ工作ランド」につながっていたのだと思う。

「三つ子の魂百まで」なんていうが、35歳の魂も百まで続くらしい。

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●割り箸鉄砲のページの写真の子どもは私の息子だが、この息子も今ではすでに40歳を過ぎて、私は当時の息子と同じ年齢の孫とまたおもしろ工作で遊んでいる。
 まるでデジャブー現象のように・・・。