もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

知らないところで育っていたわが子

2010年01月13日 | 工作
 28才に育ったわが子は親の知らない日本の各地で一人歩きをしていて、海老名のお父さん・・・とその成長した姿を見せてくれた。

 正月早々に不穏な雰囲気の漂う話・・・と他人の不幸に期待感?をもたれた皆さんにはゴメンナサイ。
 むしろ喜ばしい話なンです。

 ひょんなきっかけから自分の作品の「がらくた宇宙船」を検索してみた。W

 検索のページには当然の事ながら、私のホームページとその関連、そして私が全国各地で開いた工作教室の記事などが多いが、そんな項目に混じって松阪市、倉敷市、亀山市、府中市、東京の大田区などなどの小学校で指導をされている話や、大学生たちがボランティアで行う工作教室でもがらくた宇宙船が作られていたという項目がチラホラ見られた。

 このがらくた宇宙船は1983年に私が考案をした工作で、そのアイデアを思いついた経緯はホームページ→遊びの歳事記→がらくた宇宙船誕生/発想の連鎖に詳しく書いているのでここでは省くが、あれから28年、「がらくた宇宙船」は親の知らないところですっかり一人歩きをしていた。

 もう20年の前のことだったが、実は私はこのようなことを予測というより妄想していたことがあった。
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 まだ我が家の子どもたちが巣立って行く前の事だったが、「いつかは私の孫が学校や幼稚園で私が考案した工作を教わって来て、実はその工作は昔おじいちゃんが・・・」という内容の原稿をどこかの雑誌の原稿に書いた記憶がある。

 そのときにはこれが現実になるなどといった予感はなく、あくまでも願望、妄想の類いとして書いていたのだが、今はその妄想に近い話になって来た。

 70才まで生きて来て、もう充分に長生きをしてしまったと思っていたが、わが子<がらくた宇宙船>がここまで育ったことを知った今は、もう少し長生きをしてみたいというが出て来た。

 そんな折に某社で出版された工作の本が中国版になって出版されるという話が入って来た。
 この工作の本は16人のおもちゃクリエーターが関わっているが、その中には宇宙船を含めて数点の私の作品が掲載されている。

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 このアイデアが生まれて、日本の中で一人歩きをするまでに28年かかった。
 このがらくた宇宙船は今、外国に向かって発進を始めたばかりだが、これからまた30年ほど待てば今度は日本のお父さん・・・といって外国で一人歩きをしている姿を見せてくれるようになるかも知れない。

 しかし、これから30年というと、私は100才になってしまっていることになる。
 そんなに長生きをするつもりはないが、ま、親はなくとも子は育つというから・・・・