もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

高齢者向き簡単工作「おひな様」

2011年01月29日 | 工作

 昨年末に「冬バージョン」の工作をこのブログにアップしたところかなり好評だったので、今回はまだホームページではアップしていない「おひな様」をいろいろ紹介します。

 ピンポン球のお雛様-1

W1 W2 

   まず胴体から先に作ります

幅1,5センチ 長さ 20センチの色画用紙をラップの芯などに巻いて

雄雛用と雌雛用の二つを作ります。

3b W3

  ②     胴にリリアンなどの紐を巻きます。

W4    

③ピンポン球にマジックインキで顔を描きます。

Photo

   ④     胴の上にピンポンの頭を乗せ、雄雛の冠にはWクリップ(一番小さいサイズ)を乗せ、雌雛の髪飾りにはスパンコール、おはじき、ボタンなどで工夫をします。

   

   それぞれの箇所は木工用ボンドでは接着できません。

 合成ゴム系の「Gクリヤー」を使用します。

ピンポン球のお雛様―2

胴体にワインの栓を使い立ち雛にしてみました。

B

作り方は簡単ですから、紹介しませんが写真を見ながらチャレンジしてみてください。

袖、帯の部分は千代紙を使用しています。

*胴体はワインの栓の他に細い竹、紙筒など身近な材料を探してみましょう。

殻付落花生で作ったお雛様

暖かな春の日差しの中で戯れる雄雛、雌雛を殻付の落花生で作ってみましたが、

作り方はちょっと複雑ですから参考作品としてご覧ください。

W Photo_2

 2月上旬に「紙コップのお雛様」「ペットボトルのお雛様」をアップする予定でいます。

 もうしばらくお待ちください。

*お雛様以外の簡単工作は「本家おもしろ工作」⇒「おもしろ工作展示室」をご覧ください。


お詫びのしるし・・・

2011年01月28日 | 工作

「風さそふ 花よりもなほ我はまた 乙女の姿しばしとどめむ」

 あんさん、下の句が間違ごうてまっせ。

 私としたことが、何たることをサンタルチア・・・。

 古いねエ そりゃあ昭和20年代のギャグでんがな。

 詳しい事情をここでは話せないが、あるところに不始末のお詫びに行くことになってしまった。

 手ぶらでは行きにくいが、さりとてあまり仰々しい手土産を持って行っても、かえって先方に気遣いをさせてしまいそうだ。

 無い知恵を絞って考えたあげく、先方に行く前に新橋駅に近いある和菓子屋に立ち寄ることにした。

浅野内匠頭が切腹をした田村右京太夫(一関藩主)の上屋敷跡にあるというこの和菓子店には、お詫びに持って行くのに最適な菓子がある。

その名も「切腹最中」と言い、「本人に成り代わりまして腹掻っ捌いてお詫びを申し上げます」という写真のように餡とユーモアがたっぷりの最中です。

W_8

そして、この切腹最中を手に先方に伺い、無事お詫びの口上を伝えることが出来ました。

但し、あまり深刻なお詫びには向きませんので、念のため・・・。

W_7

 


キムチにチャレンジ

2011年01月19日 | 食・レシピ

「久々に白菜キムチを漬けてみたが、どうも前のときと同じ味にならないのだが・・・」

 新聞に載っていたレシピを元に漬けてみたキムチは、昔漬けたことのあるキムチとはまるで違った味になってしまいノンフィクション作家の阿奈井文彦さんにでアドバイスを求めた。

 この前漬けたとき・・・というのは、もう30数年前のことで、月刊・面白半分という雑誌の取材で阿奈井文彦さんと当時四谷にあったモランボン料理学校に半年通ったことがあり、阿奈井さんはその後日常的にキムチを漬けているが、私はユッケジャンスープは度々作るがキムチはそのとき以来初めてのことである。

W  

  イラストは月刊・面白半分にその当時掲載されたタイトルページ。

一番手前の左側が阿奈井さん(アホウドリは阿奈井さんの俳号)

「アミの塩辛は入れた?」

 リンゴは? ニラは?・・・一通りの点検を受けたが、手順に問題なさそうだった。

     ・・とすれば、唐辛子の種類と材料の配合に問題がありそうだ。

 私は自分の畑で栽培をした唐辛子を使ったが、これはやたらと辛いだけで味に深みがなかった。

 キムチ用の唐辛子を手に入れるにはやはり上野のアメ横まで行かないとダメかなぁ?

 上野に行かなくても今は新大久保周辺のコリアンタウンで買えるよ、と言うことで新宿に出るついでに新大久保に寄って細・荒2種のキムチ用唐辛子を買ってきた。

W_2 

 

  

  一袋が200gもあって、これだけあれば一年中キムチが漬けられそうだ。

 さらに昔の取材を探し出してきて、モランボン流のレシピに従って漬け直すことにした。

W_3

仕事場の隅から発見?した30数年前のノートは紙の色が変わっていたが、レシピの内容は古くはない。

切ったりすりおろしたりした素材を混ぜ合わせ、キムチのベースを作る。

新聞に載っていたレシピのものとは配合量が少し異なり、唐辛子の違いもあってこの段階ですでに色の味も違っていて、このまま食べても充分に旨い!

やっぱり本場のレシピだ。

仕上がりは少し塩が効きすぎた感があるが、味の深み、まろやかさでは納得の行く味に仕上がった。

その勢いで、ハクサイキムチの経験から塩の量を少し控えて続けて大根のキムチも漬けてみた。

 これはもう言うことのない完璧なキムチと自画自賛。

 畑でキュウリの収穫が出来るようになったら、今度はオイキムチも作ってみよう。

 オイ オイ!この絵はバナナで、キュウリではないよ!

 ごめん、キュウリの絵文字が見当たらなかったから・・・・。

W_5

W_4


水仙ロード2

2011年01月14日 | 旅行記

W_3 

 というわけで、前回の続きで、コーヒータイムの後いよいよ水仙ロードに向かう。

 約3キロの江月(えづき)地区の緩やかな坂の町道の両脇は野菜の植えてある畑の隙間まで、山側の斜面のかなり高いところまで一面水仙が咲き、我々爺さん連れではあまり似つかわしくはないかもしれないがが、親子連れの散策は絵になる風景である。

W_4                                  

ポカポカと暖かい陽だまりには梅がほころび始めていて「のどか」という言葉を絵に描くとこういう光景になるのだろう。

Photo_3

ロウバイと紅梅が並び咲いていた。                   

水仙ロードの脇にはところどころに農家の直売所が出ていて、切り花の水仙、球根、山芋、フキノトウ、ミカンなどの他に梅干、漬物、干し柿など手製の加工品が売られている。

 のんびり歩いて1時間ほどのどかな風景の中に心を泳がせたあとは、花より団子で、ブスケ邸に上がりこんで一献傾けながら昔話に花が咲く。

 学校時代の教員仲間の消息が話題の中心だ。

  連絡のつく他の仲間も誘って、今度は泊りがけでここに集まろう。

 「食飲(しょくいん)会議」ってぇのはどうかネ。

そんな話で盛り上がり、つい1杯が2杯・・・となり、気が付けばもう外は真っ暗になっている。

急がないとフェリーの最終に間に合わない。

名残は尽きないが、話の続きは食飲会議で・・・・ということで帰路に着いた。


水仙ロード1

2011年01月10日 | インポート

 寒さも一時的にやわらいだ8日、フェリーに揺られて、旧友で元建築家のブスケさんの隠居所に近い水仙ロードを訪ねて房総の鋸南(きょなん)町まで行ってきた。

W_2

フェリーから見た富士山

 

 もう一人の旧友、洋画家の内山さんは東京駅から列車でやって来ることになっている。

  3人の接点は今を去ること40年くらい前に遡るが画家、建築家そしてイラストレーターとしてはまだレッスンプロだった20歳代の後半に同じデザイン学校の講師として過ごした仲間である。

3人はその後度々会っていたわけではなく、私と内山さんとは10年ぶり、私とブスケさんとは3年ぶり、内山さんとブスケさんにいたっては40年ぶりの再会である。

3人の中では一番年長者のブスケさんと片仮名で表現をするが、外人ではなく本当の名前は武助と書くのだが、昔からブスケさんで通っていて、今は現役を退き、鋸南町で絵を描きながらの隠居暮らしを楽しんでいる。

再開の挨拶もそこそこに、とりあえず保田漁協直営の食事処「ばんや」へ急ぐ。

ここは最近TVの旅番組などへの露出が多く、数年前より客席の増築をしているが、それでも追いつかないようで、私たちが11時を少し過ぎて行ったときには店内は満員ですでに行列が出来ていた。

W_3

 新鮮な魚が売り物の店だが、「大根の姿煮」が珍しいので写真を撮っておいた。

何日も煮込むのか、芯まで味がしみていて美味しかった。

 食事のあと土産物の干物などを売る店の一角にある喫茶店でコーヒーを飲むことにしたが、この喫茶店で版画展をしていた人の顔に見覚えがあった。

 今井俊さんという版画家で、20年ほど前に南房総を紹介する「ネプチューン」という季刊誌で私がイラストルポを描いていたときに彼も同じ雑誌で版画とエッセーを書いていた執筆者仲間だった。

 さらに何と!今井さんとブスケさんは地元の美術家協会での顔見知りだったという奇遇なめぐり合わせとなった。

4_2

左からブスケさん、内山さん、私、今井さん

話が長くなりすぎたので、水仙ロードの話はまた次回にしよう。