もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

八里半

2016年06月22日 | 不思議

  
 植え付け時期から遅れていた私の家庭菜園も、やっと夏野菜が収穫できるようになってきた。
 
 まずは、万願寺唐辛子、ミニトマト、食用ホウズキ。
 食用ホウズキは数年前からチャレンジをしているが、なかなか収穫に結びつくこともなく終わっていたが、今年はどうやら収穫にたどり着いたようだ。

 万願寺唐辛子は、京都に住む婆-ルフレンドが10年ほど前に「京都では、すき焼きに万願寺唐辛子を入れるんよ」と京野菜の万願寺唐辛子を送ってきてくれた。

 え~、すき焼きに唐辛子???

 京都では 、夏場はどこででも売られているというが、その当時神奈川県では見たこともない京野菜だった。
  
 真夏のこととて、すき焼きという雰囲気でもないので、醤油と砂糖で牛肉 ・糸こんにゃく・万願寺唐辛子それにシメジ、ヤングコーンなど冷蔵庫に余っている野菜を適当に入れてすき焼き風に煮てみたら、これがバカ旨。
万願寺唐辛子は辛くはない品種で、ピーマンに似ているが、ピーマン嫌いの私にもとてもおいしく食べられた。
 以来、毎年2株ずつ植えるようになった。

  
 さらに2~3日おきにはナス、キュウリも採れるようになり、今日は大玉のトマトの初収穫となり、夏野菜はそろそろ自給できるようになってきた。
*写真のナスは白ナス。 

 今日のタイトルの八里半ってのはまだ出てこないが、いったいどんな野菜だ? 

 あ、そのことはすっかり忘れていたが、次の写真が八里半だ。
 

 なんだい、ただの未熟なキュウリじゃあないか?

 そうだ、あと か1日か2日で収穫できるキュウリだよ。
 だから、今8里半・・・ということは、もうじき九里(キュウリ)ってことだ。

 そのダジャレが言いたかっただけで 、ここまで引っ張って来たんかいな?
 アホラシ! 

  


私の宝物

2016年05月06日 | 不思議

*メジロ押し
 ボランティア・雑用・仕事・アルバイトがメジロ押しの最中だが、4月のある日、孫が小学校の最終学年に成長したことを祝い、ささやかながら家族でお祝いをすることになった。
*今回の絵は1年生だった頃の孫と6年生になった孫の絵を描いた。
 例によって、我家では高齢になっている・・・
 誰が高齢だ!
 マチガイ・・・恒例になっているおめでとうポスターに皆で寄せ書きをするところから始まる。
 それにしても、このところ我家はパーティー続きだ。まずクリスマスに始まり、お正月、孫の誕生日(1月)、そして4月になって 今回のパーティーと平均すれば月に1回はパーティーを開いていることになる。
  *1月の誕生日 
 この孫が生まれたときには、6年生になるまで私は生きているとは思ってもいなかったが、今では頭の内と外(脳細胞と髪の毛)にかなりの衰えを自覚しているが、身体は10数年前より健康になっている。

「お前は爺ちゃんと婆ちゃんの宝物だ」などといいながらの楽しい食事の後は、いつも孫と一緒に風呂に入るのも恒例になっている。

  ところで我家には昭和時代のお宝とも言える、模型の船の金属製のプロペラがあり、私が小学生だった60数年前に作って遊んでいた潜水艦を再現したオモチャで、孫に潜水艦が水に潜る原理を教えることが出来た。
 
 また、孫が面積、体積について学校で習ってきたときには、縦・横・高さを測ることがが出来ない人の身体の体積も、2000年も昔にアルキメデスというおじさんがと、アルキメデスの原理とまではいかないが、湯船いっぱいにお湯を張った中に 孫を入れて・・・。

 そして今回は、まだ石鹸がなかった昔には、ヌカ袋というもので身体を洗ったのだと教え、袋に入れた米ぬかで身体を洗う体験をさせた。

 昔の人たちは、お金やモノがなくても工夫で補っていたンだという方向に話が進み、私のおもしろ工作
もそういった工夫から始まったんだと教えた。
  *おもしろ工作
 しばらく何かを考えていた孫は発した言葉は・・・
「じゃあ、爺ちゃんにとっては貧乏が宝物だったんだね」 

 6年生の孫の洞察が当たっているだけに寂しい・・・。

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続・「付けペンって何ですか?」

2016年03月24日 | 不思議

 またまた更新に間が開いてしまって、何の話の途中だったっけ???

 そうそう、つけペンの話をしていたンだ。
 

 そんなわけで、今は机の上でペンにインクをつけて帳簿をつけている人などいないようで、文房具屋に行ってもペン先もペン軸も売ってはいない。

 ではペン先はどこに行けば手に入るのかと探してみたら、画材店で売られていた。
 

左の絵は「お茶を挽く」という言葉の語源の説明のカットを描いているところ。
     こんな小さなカットでもタッチに強弱の抑揚が欲しいからつけペンで描く。
  右の絵は依頼主から似顔のシールを作りたい・・・といわれているから、サインペンでなるべく単調な線で      仕上げる。

 それにしても、10年も絵を描いていないと、いつも描いている子どもの工作用の絵なら簡単に描けるが、大人の視線に耐えられる絵を描くための昔の勘を取り戻すためには少し猶予期間が必要だ。
 

 なぜ、それほどまでにしてペン先などを探しているのかと言うと、海老名に住むある知人が、幕末のころに現在の海老名市で起こったある事件を自費出版で小説化したいと言って、その挿絵か表紙を描いて欲しいと依頼をされたのだ。

 昔とったナンとやら、さらに江戸時代好きの私は、気軽に引き受けてはみたものの、やはり10年と言うブランクは大きく、試作を試みるが気に入ったタッチはなかなか出せない。
   

 一生懸命描きました・・・という感じが見えてしまうような挿絵は描きたくない。
 挿絵の役目は、読者に気軽に読んでみようかなと言う気にさせて、読み終わった後は絵のことなど忘れてしまうさりげない挿絵がいい。

 少なくとも、昔はそんな気持ちで挿絵を描いてきた。 

 すでに初稿のゲラ刷りは出来ているので気持ちは焦る・・・。

 


「付けペンって何ですか?」

2016年03月15日 | 不思議

ここ10年くらい子どもの工作用の絵は描いてはいるが、大人向きの小説の挿絵などは描いていない。
 
左の絵は現在工作おじさんのゴトー孟として描く絵、右は何年か前まで牛坂浩二として描いていた挿絵。

 絵ならどんな絵でも同じと言うわけではなく、工作用には太い線でざっくりと万人に向くように可愛いい絵を描いているが、挿絵を描いていた頃には、登場人物の性格から生活感までもを表現しようと思うから美男美女ばかりを描いていたわけではなく、どちらかと言えば、万人に好まれる絵ではなく、数人の作家からはこの小説の挿絵は牛坂に描いてもらってほしいと指名をされたこともあったが、一方牛坂の絵はあまりにも日本人臭くて嫌だというマイナス評価もされていた。
ただ、あまりにも日本人臭いという評価は、その人の文章には合わないが、それなりに日本人的な生活感のある人物の表現が出来ているのだと、私自身は喜んでいた。

  そんな私が挿絵を描き始めた40年も前のころの印刷事情も考慮して、墨一色の付けペンでの線描き、ベタ面は筆で塗る。

 ペン先はいろいろ試した結果、日光ペンの*〇〇〇番というペン先の太さが私が描きたい線の太さにマッチし、紙の上のすべりも滑らかでインクの延びもよかった。
〇〇〇と記したのは企業秘密として秘したのではなく、単に忘れてしまっただけである。
  

 インクもパイロットの製図用、あるいは開明堂の製図用が気に入っていた。

 紙はケント紙では滑らかな線は描けるが、私のこだわるタッチが出ないので、あえて凸凹の表面で、インクのにじみが少ない水彩紙のような紙を使っていたが、これもメーカー、品名は思い出せない。
また、当時挿絵などを描いていた原画でもあれば画材店などで訊ねることも出来るのだが、10年ほど前に原画はすべて畑で燃やしてしまっていて今はもうない。
 ここにアップした絵は燃やす前にパソコンに取り込んでおいたものである。

 この紙とインクとペン先のマッチングはすべての人に好いと言う訳ではなく、ただ私にとってベストマッチングと言うに過ぎないが、私はこのインクをこのペン先につけ、この紙の上を滑らせる。
 それもスラスラとペンを走らせるのではなく、ペンのスピードを殺して生まれるタッチに自己満足をしながら小説の登場人物を描いていくのが楽しみだった。

 先日あるところで茶飲み話としてこんなことを話していたら、付けペンって何ですか?と訊かれた。
 
付けペンを知らない若い世代の人たちのタメに、一応その写真をアップしておくが、多分私のブログを読んでいる人たちの年代には不要の写真かもしれない。
 2本のペン軸の短い方が現在も売られているものだが、下の長い方はご覧の通りの時代を感じられる昭和の頃の年代モノ。
 右側の写真は矢立といって、伊能忠敬、松尾芭蕉などが旅に出るときに持ち歩いた携帯用の筆記具で、もちろん私の時代には使わなかった、単なるオマケの写真です。
 
 えっ 付けペンを知らないの?

 ほら、郵便局でも、銀行でも、市役所でも事務員は皆付けペンで帳簿をつけているだろう・・・ほら、あのペン軸にペン先を差して・・・

 説明をするほど先方は引いていくようだ。

 も-さん、今は帳簿なんてペンなどでは書かないで、パソコンの時代ですから、それにメモなどをとるときなどの筆記具はボールペンですよ。

 ・・・と、この話は書き始めてみたが、まだまだ終わりそうにないから、続きは次回に・・・

 


35日

2016年03月07日 | 不思議

 2月1日から始まった、私にとっては嵐のようだった混乱の日々も、昨日の出会い系イベントすてきな仲間づくり相談会で、とりあえず一段落がつきました。
  
 数えて35日目 で法要の日にあたる。
 やはりここらで一息入れろと仏(フランスではなくホトケの意である)の 諭しであろう。

 これに先立つ3日前にも、もうひとつの締め切りがあった。
 上の写真がそれだが、12日(土)に東名横浜住宅展示場で行う 、宇宙船つくりの工作教室の前宣伝として、3月3日から一部の作品の展示が始まった。
   
 その展示のための修復作業が狭い工房ではままならず、頭部、首、胴、尾、脚と分解しての修理は、大げさに言えば平成の大修理といった感があり二日を要した。 

 話は冒頭の生きがい発見塾に戻るが・・・
 
 天候は曇りでだったが最高気温は16度を越える暖かい日で、人出は快調だった。
 ユーモアと遊び心をテーマとした私のブースにも多くの人が関心を寄せてくれて、30枚準備をしておいた入会案内は、閉会時間の前になくなってしまったが、その数がそのまま入会につながるというわけではなく、その1割の人が来てくれれば御の字である。
 

 ともあれ、大仕事を終えた安堵感もあり、昨夜は夕食直後にどっと疲れが出て爆睡。
 今朝目を覚ますまでタップリ13時間眠っていたようだ。
  

 これを終えて締め切りのある仕事は残すところ、12日の住宅展示場での工作教室を残すのみとなったが、これで無罪放免になったわけではない。

 締切日こそ限られてはいないが、暇になったら描いて欲しいと頼まれていることが二つある。
 どちらもアマチュアの人からの依頼で、お金をいただくつもりのない仕事なのだが、ひとつは自費出版の小説の挿絵と表紙の絵を描いて欲しいと先月のうちからそのゲラ刷りを渡されているが、今やっと封筒から出したところで、これから先ず1冊分の原稿を読むところから始まるので、絵を描き始めるまでに数日先になる

 そして、もうひとつの絵は、これも数ヶ月前から頼まれていた友人の似顔絵で、この際この二つの仕事を今月中に一気に片付けておきたい・・・。

 なぜなら、今年の8月にはまだ詳しい話は公表できないイベントの企画があり、高齢の私にはその準備には相当の期間を要する。

 しかし、その間に毎年恒例で入れている団地の芝生の刈り込みというかなりハードなアルバイトで4月、5月、7月とそれぞれ10日間づつとられる。

 それを考慮すると、8月のイベントの準備は、4月からスタートさせねばならない。