もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

昔の苗作り再現

2010年05月27日 | 家庭菜園
 春の海 ひもなす のたりのたりかな

 ン!・・・どこか違ったかナ。

 というわけで、今日はヒモナスの話。

 そろそろ夏野菜を植え付けるための畝作りを始める4月になって、また病気が出た。
 病気と言っても医者や薬で治る病気ではない。
 さりとて、恋の病などという粋な病でもなく、何か変わった野菜を栽培したいという「野良者病」である。

 そこで見つけて来たのが「ひもなす」なる珍しいナスだ。Photo

 ナスは発芽温度が高いが、もう4月の下旬だから昨年までならそろそろ種を蒔いてもいい季節だが、今年の春はなかなか気温の上がらない異常な天候だった。

 そこで・・・。
 この種をティッシュペーパーで包んで水に濡らす。
 それをビニール袋に入れて、肌に貼付けて体温で温める・・・と1週間か10日くらいでが出て来る。
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 根の出た種をポットの土に入れ、1週間くらいで芽が出て、約1ヶ月でここまで育ったが、まだ一番花の咲く定植時までこのままトンネルで育てる。 
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種から1ヶ月めの「ひもなす」

 これは、農家から教わった昭和の中頃まで行われていた苗作りの方法を再現してみたもので、その頃は濡らした新聞紙に包んだ種をさらに油紙に包んで体温で温めたそうだ。
 
 今年はこのやり方ですでに「食用ホオズキ」の苗を作っている。
 さらに、5月に入って「オクラ」と「ウリズン」(四角豆)も試してみることにした。

 どちらも高温性の植物で、しかもオクラの殻は硬いから発根までに相当日数がからるものと思ったが、意外にもオクラもウリズンも3日で根が出て、それをポットに入れたら又3~4日で発芽をして、どうやら先に発芽をしたヒモナスより先に定植が出来そうだ。
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体温で温めて3日で発根したウリズン

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 写真の赤いポットは「食用ホオズキ」、左側の黒い2個のポットは「ウリズン」ホオズキとウリズンはこの写真を撮った後で定植した。
 少し小さめの3個のポットは「オクラ」。




ガンベルト

2010年05月20日 | 家庭菜園
 畑で草刈りをしているときにスギナが目立つのが気になり出した。
 根の深いスギナは鎌では取れないので、道具をスコップに持ち替える。

 畑のあちこちから顔を出しているスギナを掘っているうちに、そろそろスイカの畝に敷きワラをしなければ・・・と気が変わる。

 敷きワラを終えてまた、もとの草刈りに戻ろうとすると、最初に使っていた鎌をどこに置いたのか見つからない。

 最近はこんなことが多くなって、野良仕事をしている時間より道具を探している時間の方が長くなって困っていた。
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 そこで、こんなベルトを100円ショップで買って来て、作業をすることにした。
*正確に言うと、105円で買って来たのは黒い袋の部分だけで、ベルトは10年ほど前にDIYショーで工作指導をしたときにクライアントから衣装として貸与されたものをそのまま貰って来てしまったものだ。

 道具を持ち替えるときに地面に置かないで、この袋に納めるようにすれば、もう鎌もハサミも無くすことはない。
 どうしてこんな簡単なことに、これまで気が着かなかったのかなア。
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 私が中学生の年代には、ジョンウエィン、ランドルフスコット、アランラッド、ゲーリークーパー、ジェームススチュアートなどの西部劇が全盛で、学校の休み時間にはノートの端にそれらの西部劇スターの似顔絵を級友と描きあっていたものだが、そんな頃なら西部劇スターのガンベルトとの連想ですぐに思いついたであろうが、最近は映画もTVも西部劇などやってくれないからなぁ。

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 そうだ、今日は久々にアランラッドの「シェーン」のDVDでも観てみよう。 

 ところで、ガンベルト?を着けて畑仕事は効率が上がったかと言えば、なかなかそうはいかない。
 というのも、腰にこれを着けているということを忘れてしまって、つい地面に道具を置いてしまい相変わらず鎌もハサミも迷子になっている。

 ま、そのうちに慣れればうまく使いこなせるようになるだろう。




ボランティア畑

2010年05月16日 | 子育て
 というわけで・・・・。

 どういうわけだ!

 話は3月26日の「種芋」の話の続きになるが、長芋の種芋を植え付けた日の夜に、ボーイスカウトのリーダーから今年はスカウトたちに種芋の植えつけをさせてもらえないかという電話があって、明くる日に一旦植え付けた芋をまた掘り上げて来た・・・というのが前回の話。Photo
今日の空に現れたニジというより彩雲という現象らしい。
何かいいことがありそうだ。

 ・・・というわけで、5月16日になってカブスカウト(小学3~5年生)7名、リーダー4名、親1名が種芋の植えつけにやって来た。

 せっかく下北沢(世田谷区)からやって来て、種芋を植えるだけで帰らせては気の毒だと思って、連絡の電話をもらってすぐに二十日大根とリーフレタスの苗でもお土産に持たそうと種を蒔いておいたが、今年の春の低温続きでどちらも今日までに育っていなかった。

 ところでもうひとつ秘密にしていたのは、いつもスカウトたちが来る畑とは別の畑でイチゴを60株ほど栽培をしていて、5月中旬はちょうどその収穫期にあたる。
 これも提供してもいいと当初から思っていたが、問題は当日の参加人数だ。

 子どもの数が20人も来たら、ひとり頭の割り当てがすくなくては、がっかりするだろうから<イチゴ狩り>は未定にしておいたが、前日のリーダーからの連絡では、多くても10名くらいと聞いて、急遽それなら・・・と、種芋を植える前にイチゴ狩りもすることにした。
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15kg


 イチゴは1kgほど収穫出来、これはお弁当の後のデザートにすることにして、次は味噌汁の具用にキヌサヤと大根を採る。

 キヌサヤは例年この時期には終わっているのだが、皮肉なことに春の低温が幸いして今日までまだ残っていた。

 今日の収穫を終え、スカウトたちは本日のメーンイベント、種芋植えのためにボランティア畑に移動。

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この木わくの中に40本くらいの長芋を植え付けました。
11月の収穫が楽しみ。



 11月に掘りに来る長芋と、同じときに来るビーバースカウト(年長~2年生)のための里芋を植え付けたあとは、リーダーが作ってくれた暖かい味噌汁でお弁当と楽しみのイチゴが待っていた。

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 学校と塾通いの学習だけに追われて過ごす小学生の不自然な生活の中に、少しでも潤いの有る体験の時間を持たせたくて、平成5年(53才)から始めたボランティア畑だったが、子どもたちが帰った後ちょっと身体を横たえたら、そのまま2時間近くも熟睡してしまった。

 さすがに年令を感じるが、彼等のためにあと何年続けてやれるだろう・・・。 


検索審査会?

2010年05月08日 | ブログ
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 最近ブログにアクセス解析がつくようになって、検索エンジンから私のブログにたどり着く人が毎日4~5人はいる。

 どんなキーワードで検索をしているのかを見てみると、私がIT講習会で教わったような単語での検索ではなく、文章を書いて検索をしている人がかなり多い。
 今回は当「検審査会」がその一部をご紹介しよう。
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「横浜で家庭菜園がしたい」
「山梨県内で似顔絵を描いてくれるお店がありますか?」
この検索でなぜ私のブログに辿り着けたのだろうか。
「浸透圧をもとに植物に肥料をやり過ぎると枯れる理由を説明せよ」
入試の問題じゃあないんだから。
「菜園11月に白菜を植える」
「畑を借りる 海老名」
「ピーナッツ殻で人形の作り方」
「老人でも出来る工作は?」
文は短いが、切実さを感じてしまう。

「金魚草 タネ植えから発芽まで」
「ペットボトル工作教室栃木」
「むらからまちから館で売っていた さんま」
「桂小五郎と近藤勇 竜虎の決戦」
これはかなり古い映画のDVDの題名で、確かに私はこのDVDのことを書いてはいるが、こんなに具体的なタイトルを正確に知っている人が今さら何を知りたいのだろう?

A

「東武池袋 旭屋 イベント 5月2日 2010」
講習会で習ったように1文字づつ区切られた単語での検索だが、これほど具体的な内容なら、直接旭屋のホームページを見た方がいいのでは・・・?
「大玉ゴトのやり方」
意味不明の検索で、私も同じ用語で検索をしてみたら、パチンコ系のゴト師についての記事が多くヒットした。
 この検索で私のブログには、孫が来たときに近くの養鶏所に大玉の卵を買いに行ったときの話に行き着いた。
 
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「海老名に引っ越して来て」
「白内障 手術 水が入る 痛」
これも単語を区切っているが、最後の「痛」という文字が相当痛そうだ。
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「先日なくなった遅筆で有名だった小説家・劇作家」
持って回った言い方をしなくても「井上ひさし」で簡単に検索できるのに。
 それに、私も井上さんともいろいろな場面でご縁はあったが、このブログにそれを書いた記憶はない。
 で、私も同じ言葉で検索からたどってみると・・・。
 私が以前ブログに書いたのは、関西の劇作家で遅筆では井上さんと1・2を争うばかりか、かなりの悪筆で有名作家H・Kさんのことだったが、この作家は<先日なくなった>人ではなく、もう25年以上も前に亡くなっている。




大峰山その3

2010年05月02日 | 旅行記
「ざ~んげ、ざんげ ろっこんしょうじょう」(懺悔 懺悔 六根清浄)まだ夜の明けやらぬ午前4時、朝食を済ませ、身繕いを整えた一行は行場特有の掛け念仏を唱えながら懐中電灯の灯を頼りに宿坊を出発した。
*懺悔は仏教用語としてはサンゲと読むようだが、ここではザンゲと発音されていた。Photo

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 出発してから2時間、前日とは反対側の<結界門>で小休止、それでもこの辺りはまだ全員余裕の表情。

 一日目の行程はほとんど上り坂でかなり険しい山だったが、2日目の奥駈けはそれにも増して鎖場、急斜面、道のない原生林という行程で、いくつもの山々を登ったり下ったりで、山入り前にトレーニングをしてきたつもりだったが、脚はもつれ、呼吸の乱れは激しい。

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 さらに1時間、<小普賢岳>の山頂で小休止。
 若者たちにも疲労の色が・・・・。


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 さらにさらに一枚岩の鎖場の崖を登り、原生林を抜けて、今朝からいくつめの山頂だろうか、<七曜山>の山頂に着いた頃、私は体重の付加が重荷となってヒザが痛み始めた。



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 七曜山山頂からのからの風景、弥山までの道程はまだ遠く、下り坂の度にヒザの痛みは増し、私一人が一行の姿が見えなくなる程遅れるようになって来た。




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 11時半<行者還り>に着いて昼食。
 宿坊を出発して7時間半、極限の疲労で青年たちも食後は身体を横たえて休息をとる。
 
 ここで先達4人が合議の上、歩行困難となってしまった私を下山させることに決まり、ついに無念のリタイアと言うことになってしまった。 
 
 一口に下山と言っても、ハイ皆さん私はお先に失礼をしますと一人で下山出来るわけではない。   

 ヒザを痛めた私を原生林の山から村に下ろすために一人の先達が付き添い、私の身体にロープを結び、ロープの先を杖に縛り付けて、万一私が転がってしまっても杖が樹木にひっかかって止まれるようにと万全の配慮で私のために多くの人たちに迷惑をかけてしまった。

 現役の頃、「四畳半裁判傍聴記」「銭湯の釜炊き体験」「銭湯急ぎ旅」「房総の職人探訪」「南房総温泉巡り」「飛行船搭乗記」などなど、いろいろなイラストルポをさせてもらったが、この大峰山の取材が一番思い出も深く、途中リタイアながらも仕上がりに満足できたルポだった。

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房総の職人さんを取材した「名人列伝」より。

 あれから21年の歳月が流れ、私はすでにイラストレーターおよびルポライターとしての現役を終え、今は子どもたちを相手にのんびりと工作爺さんをしているが、あのとき山で一緒だった青年たちは今ちょうど働き盛りの40才前後になっていて企業の最前線で頑張っている頃だ。
 皆元気でいるのだろうか。

 ところで、深夜の探し物はまだ見つからない。
 というより、この取材の資料を読みふけっているうちに、何を探していたのか忘れてしまった。
 そのうちまた別のものを探しているときに思い出すだろう。