もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

復活の日

2019年11月23日 | 工作
前回のブログからまたまた何日も過ぎてしまったが、この間も仕事と目まいの連続に振り回されていたが、ようやく20日ころから目まいも治まって復活をしました。

 目まいさえ治まれば、遅れていたお節料理を早く仕上げなければ・・・。
 で、本日やっと仕上がったお節料理がこれです。
 ま、一部手直しをせねばならない部分もありますが、重箱に詰める中身はこれでオシマイ。

 また、先日折り紙教室の作品展を見て来たが、そこで教えてもらってきた<菓子皿>がタコ焼きの容器に見えたので、さっそく発泡スチロールの玉(25㎜)でタコ焼きを作ってみました。

 
 いやいや、上手に出来たね・・・というホメ方だけはゴカンベンください。
 私はイラストを描いていたときも、工作を作っている今も、上手な絵を描いていたいたのではなく、他の人の描かない生活感のある男や女を描き、B級アートの工作を作っている今も他の人が作らないものを考案し、普通では工作の範疇に入れないモノでも工作にしてしまう厚かましさが取り柄なのですから・・・

 もしホメてもらえるのなら、おもしろいねと言ってください。

死ぬかと思った・2

2019年11月05日 | 健康・病気

「苦しい・・・とか、痛い・・・ということさえなければ、もういつ死んでもいいよナ」
 高齢の野良友との話題はいつもこんな話になる。


 この歳(あと20日とちょっとで80歳になる)になっても、まだ私を必要としていてくれる人たちがあって、招いてくださるのはありがたいことだが、30歳を過ぎたころから半世紀、やりたい仕事をそれなりにさせてもらって生きてこれた。

 しかし、この激しいめまいに多少の不安感はあるが、痛いわけでも苦しいわけでもなく、万一これでアチラに逝けるのなら、ま、こんな楽なことはないかも・・・と密かに思わぬでもなかった。


 この期に及んで、アタフタとあわてることもないが、当面抱えている仕事の手当てだけはしておかねばならない。

 思いつくことだけは一応息子に伝え、いよいよ救急車を呼んでもらう。

 付き添いとして救急車には一度乗ったことはあるが、自分が主役で乗るのは初めてだ。

 病院と我が家の距離は300mくらいで、ふらつきさえなければ歩いていける距離ではあるが、まずその300mさえ歩けないことと、夜の10時を過ぎた診察時間外には救急車でなければ病院の門を叩いても開けてはくれないだろう。

 20数年前にここに転居してきたとき、まだ50歳代の半ばだったが、駅と大きな病院が近いということが、転居先をこの団地に決めた理由だった。

 話が長引きそうなので、救急病棟での様子は省くが、なかなかおさまらない目まいの不安をよそに、最後にMRIを撮ってみたが、脳梗塞の痕もないからと、退院をうながされたのは午前3時だった。

 さて、医師からは何の支持もないまま帰らせられた・・・ということは、一晩寝れば正常に戻るものだと思っていたが、あくる日も一日中壁を伝わらなければ歩けない状態がつづき、その状態が4日も続いた。

*これは、「キラキラアート」の見本作りに一区切りがついて、食べ物工作見本の「お節料理」伊勢海老を試作品を作っている途中です。

・・・が、歩けないので病院に行くことも出来ず不安な4日間だったが、5日目にようやく病院に行けるまでめまいも少し落ち着き、耳鼻科の診察を受け、単なる目まいですという診断で多少安心できた。

 ま、そんな経緯があって、一時はこのブログもオシマイかと思った時期もありましたが、この分では、まだまだつづきそうです。


死ぬかと思った!!

2019年11月01日 | 健康・病気

 10月19日に私のパソコン音痴で、100日にも及ぶ記事の投稿不能だと勘違いをしていたことを書いたが、その後、12月に二つのワークショップを控えていて、その準備に追われまた、このブログが滞ってしまっていた。

今回の投稿内容に沿った写真がありませんので、このドタバタの間に試作と出来上がり見本を作っていた「キラキラアート・年末バージョン」の試作と出来上がり見本を文章の間に入れて、箸休めにさせていただきます。

 そんなドタバタの10月26日(土)の夜、仕事が一段落をしたのを機に、風呂に入ったが、風呂の温度を少し熱めの43℃にセットしたのがいけなかったようで、風呂から上がってめまいと軽い吐き気に見舞われた。

 伝い歩きでやっと居間までたどり着いて、身体を横たえ安静状態でいたが、めまいは治まらないばかりか、血圧も上は190を越える数値が出て・一層激しくなってきたようだ。


 ここまでくると、ちょっと不安も出て来て、救急車を呼ぼうか?・・・という女房を制して、先ず同じ団地に住んでいる息子に電話をして呼んでもらった。

 これだけ激しい目まいは初めての経験で、風呂から上がってもう3時間も経っているのに症状がおさまらないことに、万一の事態に備えて、先ずはあと
一ヶ月ちょっと先に控えている2か所のワークショップ依頼者名・電話番号・担当者名などをメモってもらう。

 横で女房が早く救急車を呼ぼう・・・と焦っているが、救急車が来る前に万一の段取りは決めておかねば・・・と女房を制し、なお息子にメモを取ってもらうことを優先した。

 こういう時にもかかわらず、救急車を、救急車を救急車を・・・としか気が回らない女房より、私の方が冷静に物事が考えられ、コミセン講座の受講者への連絡先などを教え・・・話の順としては、いよいよ葬式はどうする・・・と言う話にまで及ぶ。

 この辺の話になって来ると、息子も「これは本人の直筆でなければ・・・」というが、ま、とりあえず急場の判断ながら一応の段取りをメモってもらい、ようやく救急車を呼んでもらうことにした。

・・・と、ここまで書いてきましたが、まだ長文になりそうなので、病み上がりの高齢者・・・ということで、続きはまた先(早ければ本日の午後ということもあり得ますが)ということにさせてください。