もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

賀状欠礼・その2

2009年12月28日 | 雑記
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 年賀状を書く頃には賀状欠礼の御挨拶をいただくが、その末尾に手書きの文字で「でも、もーさんの年賀状は集めているので下さい」という内容の添え書きをされてくるものが数年に一度ある。

 世田谷時代の子育ての頃には、小学生の子どもたちと一緒にいろいろな技法の年賀状作りをしていたこともあったが、それ以後はまた木版の原点に戻り、以後30数年も毎年木版画の年賀状を出している。
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 海老名に転居して来た平成3年頃の年賀状に彫った貫抜川の風景だが、現在この橋と川の護岸工事中で、来年にはこの景色は変わってしまう。

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09年12月現在の工事中の様子。

 以前にも書いたが、ことさら干支だの縁起物の図柄でなくても静物でも風景でも木版画にしてしまえばそれだけで年賀状らしくなってしまう。
 木版の年賀状は<プリントごっこ>の大流行でほとんど姿を消し、さらに<プリントごっこ>自体もパソコンによる賀状が全盛となって時代の彼方に淘汰されてしまった今、かえって木版画の年賀状が喜ばれているのだと思う。

 年賀状を集めていていただいているというのは光栄な話だが、それは私にとっては困る事情があるのです。
 
 ここだけの内緒話だが、毎年新しい風景を彫っていたような顔をして賀状を出していたが、実はこの30数年間にどうしても木版を彫っているヒマがなく、何年か前に彫った版を流用したことが数回あり、普通に1年くらいで前年の年賀状を処分されていれば、この絵柄はいつか見たような気がするなァ?と思う程度で終わる話が、集めていられると一目瞭然とこれは何年前の版と同じだと判ってしまうのです。


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 そんな内緒話しをバラしたあとで、実は今年も・・・というわけにもいかないので、今年の賀状は古い版ではなく、里芋の収穫をするお爺さんの姿を今、新しく彫っています。
 上の写真は、そのお爺さんの向こうに見える大山と富士山を描くための参考にした風景です。
 



賀状欠礼・その1

2009年12月23日 | 雑記
 11月から12月にかけて、賀状欠礼のご挨拶のハガキをいただく。
 その中の1枚でNさんからのハガキにこんな挨拶文があった。Photo

 いわく、・・・新年のご挨拶はしつれいさせていただきますが 年賀状の全くないお正月はさびしいので 皆様の年賀状はいつものように 楽しみにしております・・・と。

 Nさんは、30年来の私のファンで、手紙と年賀状だけのおつき合いで、お目にかかったことはないが手紙の内容から、かなり年輩の女性と思われる。

 皆様の年賀状はいつものように、楽しみにしております・・・という一文に年輩の女性ならではの心配りが感じ取れる。

 年賀状を出した後に賀状欠礼のハガキをもらってエ~ッ! もう年賀状を出してしまったのに、どうしよう・・・とNさん自身も気に病んだ経験をこれまでに何度もされたのかも知れない。

 自身が喪中欠礼の挨拶を出す側になったとき、それを受け取った人への心遣いはやはりそれなりの経験を積んだ人でなければ思い至らない文面だと思った。

 私も女房が他界したときには、こんな挨拶文を出そう。

 どうして、私が先に逝って、アンタが残ると決まっているのよ!!!

 そうか、その反対の事など考えてもみなかった。 ゴメン!
 




冬ごもり

2009年12月18日 | 雑記
 私の冬ごもりではない。
 子どもの頃には血圧が低かったようで、冬は火鉢にかじりついていて、冬眠をする動物がうらやましかったが、今では血圧も少し高めになったことと、皮下脂肪というヒートテックを着込んでいて寒さにも強くなり冬眠願望はなくなった。

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 3年前まで金魚、ザリガニ、観葉植物、シークァーサーなどの越冬室となっていた部屋は、現在では私の仕事部屋となっている。
*老夫婦がなぜ冬の室内でザリガニの飼育をしていたのかというと、越冬のための保存食にするためではなく、孫が来たときの遊び相手にするためです。

 行き場のなくなった10数匹のザリガニは秋には川に戻し、金魚は寒い玄関で、観葉植物類はちょっと寒いが南向きのベランダに置いたままで冬越しをしてもらっているが、沖縄生まれのシークヮーサーだけは畑の一画にやっと一鉢だけが入れるビニール張りの木わくを作ってその中で冬ごもりをしてもらっている。

 今週はこの冬一番の寒気が訪れ、最高気温が10°を下回るという天気予報に、15日慌ててミニビニールハウスの整備をし直すことにした。
 シークァーサーの葉は心持ち黄色味を帯びてきたような気がする、急がねば・・・。

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 木わくの中に穴を掘り鉢を埋め込む。

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 木わくの内側と外側に包装材のプチプチとゴミ袋を2重に張ったミニビニールハウスにさらに寒気から樹を守るための断熱材代わりに稲ワラを入れ、根元には落ち葉を積み上げておく。

 海老名市のアメダスによる記録では1~2月の最低気温でマイナス3~4°という日が数日あり、シークァーサーはこの状態でふた冬を過ごしているが、秋には順調に実を着けてくれているからマイナスの気温でも短い期間なら耐えられるようだ。

 シークァーサー君、来年までしばらくのお別れだね。
 来春に冬ごもり出て来るときは、伸びた枝の剪定が待っているヨ。




激痛!・その後

2009年12月13日 | 健康・病気
「痛みが無くなったのなら、もう診察をしないでもいいんじゃあないですか?」と医者は言う。
「でも、あの痛みの正体は何だったのか知りたいンです」
 月曜日の朝になって医院を訪ねたときには、診察を受けるのが恥ずかしいくらいまったく痛みは消え去ってしまっていた。
 金曜日の夜から日曜日の午前中まで、期間限定で私を襲った骨が軋むような激痛は何だったンだろう。

 取りあえずレントゲンを撮るも骨には異常は見つからず、あまり聞いたことがなかったが腱膜炎の症状で、筋肉や腱の異常緊張や収縮で骨の異常のような激痛が起きたようだ。

 2年前の9月にも同じようなことがあったことを思い出した。
 あれは栃木県の青少年センターで「放課後児童指導員研修会」を行っているときに、数日前から多小の違和感があった骨盤と大腿骨の接点に骨が直接こすれ合うような痛みが出て、明くる日には痛みで杖に頼らなければ歩けなくなっていた。W_3
その痛みは宇都宮で工作研修会の最中に突然に起きた。

 いい医者だと知人から紹介された医院で診断をしてもらうと、レントゲンと触診の結果、骨の異常ではなく、これも筋肉の異常緊張ということで、これといった治療らしいこともせず、1ヶ月くらいストレッチに通っているうちにやはり骨の障害だと思っていた痛みは消えてなくなり、今日になるまで同じところに異常は起きていない。

 筋肉や筋の緊張だといわれても、あの痛さは骨が上げている悲鳴のような痛さだったが、思い起こしてみれば捻挫や骨折の時のような腫れも熱もなかった。

 歳をとると自分の身体でありながら、まだまだ我が身に知らないことが次々に起こる。
 次にはどんな現象が現れるのやら、怖いようでもあるが少し楽しみでもある。
 
 カカトの痛みが消えたが、まだ心理的な不安があり、9日には足慣らしの試運転として東銀座と川崎のギャラリーへ友人の展覧会を観に出かけた。

 東銀座のギャラリーから新橋に出て、例のアンテナショップせとうち旬彩館に立ち寄り讃岐うどんをいろいろと買い込んで来た。
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 寒い冬の夜はうどんがうまい!
 賞味期限が来年の2月まであるのを確かめ、かなりの量のうどんを買って来た。

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 肩にかかる讃岐うどんの重さにも耐えてカカトに変化はなく、予定通り川崎の駅の近くのギャラリーにも立ち寄り、友人のハワイアンキルト展を観て来た。
 慣らし運転にしては、ちょっとハードな行程だったが、今日も元気に野良仕事に禿げんでいる。

 私同様にパソコンも古くなったせいか、誤変換が多くなったような気がするが気のせいかな?




激痛!!!

2009年12月09日 | 健康・病気
 地元の小学校で毎年行われているPTA主催のイベント<もちっこ広場>。
 ボーイスカウトやガールスカウトのゲーム、自治会の餅つき、図書ボランティアの紙芝居、お母さん方のバザー、青少年指導員の工作指導などが集結する大イベントがある。

 今年は12月6日に開催され、私も4年ほどボランティアで作品展示と工作教室でこのイベントに参加している。
 青少年指導員の行う工作指導と多少かぶるところもあるが、工作好きの子どもたちは工作のコーナーはいくつあってもいいようで、毎年どちらも行列ができる。
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この写真はPさんのブログ四季こもごもから拝借しました。

 ところで、今年はその2日前に思わぬアクシデントに見舞われた。

 4日(金)夜になって小学校で展示をする作品の仕分けの作業をしているときに、突然に左足のカカトに激痛が走り、爪先立ちでしか歩けなくなってしまった。
 いつもの年より展示品は少ないが、これ以上作業は出来ないので展示品の仕分けは中断。

 5日(土)、今朝は壁に手をついて伝い歩きをせねばならないくらいカカトの痛みは激しい。
 まもなく学校から展示品を運ぶ車が来るが、とても2階から階段を降りて荷物を運ぶことは出来そうにもなく、息子に電話をして応援に来てもらうことにした。

 車への積み込みまでは息子に頼めたが、展示のレイアウトは自分でせねばならないから、杖に頼りながら作品と共に学校に赴き、展示を終えたときには何故かかかとの痛みはわずかだが和らいで来たような気がする。

 医者に診てもらう暇もないまま、明日の工作教室を行うには不安があるがこの期に及んでドタキャンも出来ない。

 いよいよ6日の朝イベントの当日。
 ありがたいことに痛みはかなり治まっていて、爪先立ちながら壁などにつかまらなくても歩けるまでに回復している。
 しかし、いつまた痛みがぶり返してくるか不安があるから、念のため杖を持っての工作教室となった。
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 工作教室は小学校の子どもたちだけでなく、卒業生や親子で工作を楽しんでくれる姿も見かけ、2時間で150人ほどがこのコーナーに集まってくれた。

 これだけの参加者になるととても私一人では対応出来ないが、学校の先生と海老名1団のボーイスカウトのお姉さんたちの応援を得て工作教室は無事に終わりました。

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約10年ほど前にボーイスカウトの規約が改正され、女の子もボーイスカウトに入団出来るようになり、当時ビーバースカウトとして入団した女の子がもう中学生になってお手伝いをしてくれました。
 終わってみると、混乱の中ですっかり忘れていたが、カカトの痛みはほとんど消え去っている。
 あの激痛は一体何だったんだろう?

 このカカトの痛みについては、月曜日になって医者に行き原因は判明しましたが、この話はまた長くなるのでいずれあらためて・・・ということにしますが、ご心配をかけてはいけないので結論だけを先に言っておきますと、何の治療をすることもないままに、今はあの痛さは夢だったのかと思うくらい全く消えて、全く普通に歩いています。