もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

中核? 革マル?

2011年03月28日 | 雑記

 ジャガイモの植付けは終ったが、そろそろ夏野菜を植える畝の土作りを始めなければ・・・。

 バリバリバリ☆♪・★! バルルン バルル~※∮!・・・
 畑に向かう途中の交差点で暴走族の一団に出会ってしまった。
 
 自転車で横断歩道を直進しようとしている私の前を、騒音を撒き散らして交差点を右折する一団のバイクに遮られて通れない。

 彼らの通り過ぎるのを待っていると、私の自転車は横断歩道の真中で立ち往生をしたまま信号が変わってしまうことになる。

 トラブルを覚悟で、暴走族のバイクの列を横切って自転車をすすめようと前にこぎ出すと、何と彼らはバイクを止めて私の進路を開けた。

 いささか気抜けしながら不思議な気分でバイクの列の中ほどを自転車で通り抜け、交差点を出てから気が付いた。

 ここ数日の私の野良通いの姿は花粉症対策+白内障対策+地震の余震対策として、マスク+サングラス+ヘルメットといういでたちに加えて、この日はたまたま柄の長いレーキ(西遊記の猪八戒が持っている農具)を手にしていて、昔でいえばゲバ棒を持った中核派か革マル派の闘士もかくやという格好だった。
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 サングラスとマスクで顔のしわは隠れ、ヘルメットで禿を隠してしまうと、結構まだまだ若者で通りそうだ。

 今度はこの格好で原宿でも歩いてみようかナ。

 いまどきの暴走族の若者は「あさま山荘事件」や連合赤軍による壮絶なリンチ事件など知らないだろうが、それでも私の姿はコンビ二強盗などに見間違えられても仕方のない危険人物風で、暴走族が私を避けたのも無理はない。

 花粉の飛び交うこの季節の野良仕事ではこの格好をやめるわけにもいかないが、途中コンビニやホームセンターなどに立ち寄るときには、人心を脅かすことのないようにサングラスとマスクは外して店内に入ることにしている。

 もちろん普段はクワやレーキなどの農具を持って町を歩くこともない。


自身計

2011年03月24日 | 雑記
 タイトルの「自身計」というのは地震計の誤変換ではない。

 東北巨大地震からもう2週間経過をしたが、現地ではもちろん私の住む神奈川県海老名市でもまだ毎日余震がある。

 私自身の老化によるものか、また花粉症の薬の副作用かメニエル症候群のせいだかわからないが、ここ数日身体を横たえると軽いめまいがするという症状が続いていて、余震で住まいが揺れているのかめまいで揺れを感じているのかが判断がつきにくい。

 そこで考えついたのが、写真の「自身計」である。
 天井の蛍光灯に紐でオモリをぶら下げた単純なものだが、身体を横たえて揺れを感じたらこの天井の「自身計」を見てこれが揺れていたら地震だから逃げ出せる態勢を整えねばならないが、揺れていなかったら私自身が揺れているのだからしばらく静かにしていればいいという判断が出来るというすぐれもの?だ。

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 最初は30cmくらいの紐を下げていたが、紐が長いと自身計の感度が緩慢で判りにくいので、紐を10cmに短くし、さらに紐にアロンアルファをたらして固めることによって紐が揺れを吸収してしまうのを妨げて「自身計」の精度(というほどのものでもないが)は上がった。
 

 


40年目の食飲(しょくいん)会議

2011年03月15日 | 旅行記

 話は1月14日にアップした「水仙ロード」の続きになるが、40年前の東京にあったデザイン学校の教職員・事務職員だった仲間に声をかけ7人が集まり、2月26・27日と一泊で再び鋸南町(きょなんまち)へ今度は河津桜を見に行くこととなった。

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 40年前のデザイン学校では、週末には夜間部の授業が終ると「男100円、女50円、教員200円」と声をかける学生がいて、集まった金で近所の酒屋でサントリーレッドと乾き物のつまみを買ってきて、1時間くらい学校のロビーで酒を飲んで
議論を交わすという変な学校だった。

 そんなわけで、酒が飲めなくては勤まらない学校だったから、教員たちには呑ンべえが多かった。

*私は今ではほとんど酒を飲まないが、当時は少しは飲めた。

 あれから40年、まだ飲める体力が残っているかどうか疑問だったから、今回の花見は「自分で飲む酒を各自で持ってくる」ということにしたが、一升瓶、ワイン、缶ビールとさまざまな酒を抱えてやって来た。
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 *食飲会議には食べきれないくらいの保田の漁協から直行の新鮮な刺身と、さらにこのテーブルに乗りきらない猪肉のバーベキューが用意されていた

 夕方から鋸南の「竹灯篭まつり」が始まるが、その前にちょっとだけ身体を温めようと思って始めた食飲会議はつい「竹灯篭まつり」のことをすっかり忘れさせてしまっていた。

 一夜限りのまつりは、朝の散歩に出かけた午前9時にはすっかり片付けられていて、軽トラックに積み込まれた見事な竹灯篭残骸を見るだけだった。
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 あとのまつりとはこのことだ・・・。

一同反省!


死んじゃったの?

2011年03月04日 | 雑記

「もーさんは死んでしまったのですか?」なんて問い合わせるわけにもいかないからさ・・・。

 久しぶりに出かけた渋谷の街で出会った友人にそう言われた。

 これまでは4日から長くても1週間で更新をしてきたブログのアップをしないまま1ヶ月近い日数が過ぎていた。

 その友人だけでなく、多くの人からそう思われているだろうことの察しはついていたが、ブログ更新のできない事情の説明手段がなかった。

 実はパソコンが不調で、後期高齢者的なブラウザから自分のブログにログインできなくなってしまっていたのです。

 メールの送受信インターネットの検索はどうやら出来るので、不況時代を乗り切るためには手ごろな中古パソコンが見つかるまで、このまま静かにしていようと思っています。

 しかし、何らかの手段でこの状態をお知らせせねば・・・。

 ない知恵をシボッテみたら、ネットカフェということを思いついた。

 だが、ネットカフェというと、何か退廃的な匂いとオタクっぽいイメージが付きまとって入りにくい。

 勇気を出してドアを押してみると、オープンスペースは開放的でさほどの違和感はなかったが、若い店員から逆に場違いなジイさんがやってきたとばかりに「いちいちパソコンの使い方の説明はできませんが・・・」といわれてしまった。

 ともあれ、ネットカフェデビューを果たし、皆さんにブログを休んでいた説明が出来て良かった。

 そんなわけで、私は頭髪以外は元気でいます。

 またここから、あまり日をあけないでブログを発信します。