もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

大人の長芋掘り

2019年01月30日 | 家庭菜園


 この長芋掘りはもともと、下北沢のボーイスカウトのための収穫体験の場として平成6年ころからボランティアで続けて来たものですが、最近はボ-イスカウト入団の子どもが少なくなって、昨年から10数本の長芋が余るようになってきたので、それを体力と好奇心のあるフェースブックのお友だちに声をかけて、大人の芋掘りをして遊んでいます。

       

 

  昨日の芋掘りは、アート系美熟女と、B級アート系男子の合コン的長芋掘りでした。         

          
ちょいと大根を抜く、トマトをもぐというように手軽には収穫できませんが、いい大人が1本掘りあげるには30~40分土まみれになって、童心に帰って夢中になれるのもいいものだ。

 

ミニミニ県人会

2019年01月19日 | 交遊録

 50年前の東京オリンピックのあった年の前後に、名古屋からそれぞれが相前後して東京に出て来た三人。

 この3人が仕事を通して出会うことはなかったが、東京で再会をしたのをきっかけに、数年に一度3人だけで県人会と称して食事会をしていた。

 昨日、その3人が久しぶりに集まってランチを共にしてきました。

 Oさんは、名古屋ではすでに戦時中(関ヶ原の戦いではなく、太平洋戦争です)から洋裁塾を開いていた、草分け的な存在だった私の父の弟子だった人で、50年前は栄の交差点にあったオリエンタル中村(現在は三越になっていいるところ)、明治屋婦人服部などのデザイナーをしていて、後に東京に出て来た人で現在89歳となるも、現在も以前のお客さんのファッションアドバイザーとして月に数回は西船橋から日本橋、銀座に出てくるという健康体で現役。
               

 Iさんは、76歳。
名古屋の洋裁学校を卒業後、ファッションデザイナーを目指して新宿の文化服装学院で学び、そのまま同校教員を務め、定年後に和服のリメークにはまり、数々の作品を作ってきた人で、私との接点は・・・。
 Iさんが20歳くらいの頃、ファッション画を描きたくて絵画教室に入ったが、今から50年以上も前の名古屋ではファッション画はおろか、イラストレーションという言葉も存在せず、現在のグラフィックデザインはイラストレーションもレタリングも一緒くたにされて、商業美術と称されていた時代で、名古屋にはファッション画、スタイル画などを描いている人などはいなかった。
                            
 そのIさんは、まったく偶然の機会から私の小中学校の同級生で当時は電機メーカーで工業デザインをしていたS君と出会い、当時はまだまだファッション画は勉強中だった私のところに連れられて来た人で、指導をするというより、私の仲間たちでモデルを頼んでクロッキー会などで一緒に勉強をしていた人だった。

 
 Iさんも、今も和服のリメークの指導を中心としてまだまだ現役として活動中。

 そして78歳の私も、今では仕事30%、ボランティア70%ながら、マイペースで退屈をしない日々過ごしています。

この3人は、名古屋時代のファッションの世界という共通点をもってはいたが、東京に出てくるにあたっての共通点はなく、時期も同じではなかった。
 あえて言えば、当時の名古屋には自分の仕事を受け止めてくれる環境がなかった・・・という不満からの脱出だったのかもしれない。
              今ではトンボもお友達

 いずれにしても、この歳となった今もそれを続けていられるのは健康と、それぞれに他人から求められる<something>を自分の中に作り上げてこられたことが要因かと思います。

 ちなみに、この日のランチで出て来たグラスワインの一杯が私には今年口にした最初の酒でした。
             


ぴーなっつ人形一座

2019年01月15日 | 展覧会

 ぴーなっつ人形の修復をすべく、人形を作る素材を探していたら、思わぬ昔の資料が出て来た。

 ぴーなっつ人形一座の旗揚げ公演をしたのは、40年くらい前と思っていたが、これを見ると、正確には34年前の1985年4月のことで私が45歳の時だった。
    

 展覧会の案内状には、作家の田辺聖子さんが言葉を添えてくださいました。

 展覧会・オープニングパーティーもにぎやかで、写真の右端の男性は、展示の作品「忠臣蔵」義士の中の一人、潮田又之丞という絵図奉行の末裔という知人で、作品の吉良邸の門前に勢ぞろいをした赤穂浪士の人形には、この人の体形に似せて、ずんぐりと丸みをおびた落花生で潮田又之丞を作ったことを思い出す。

            
 次の白黒の写真は、当時まだ45歳だった私で、黒々とした髪があったという証拠写真。
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 ところで、人形の保管状態は・・・

 写真ではそれほどでもなさそうに見えるが、人形も大道具、小道具もホコリ焼けとでもいうのか、精彩がなくほとんど作り直しをせねばならない状態だった。

 これは古典落語の「禁酒番屋」いう作品だが、これは比較的保存がよくケースを洗い、人形のホコリを払う程度で人前の出せるものも出て来てきてホットするものもある。

 今のところ、まだ全部の人形たちを見つけ出して点検をしたわけではないので、安心はできないが、さいわい、1~2月の工作員としても、家庭菜園も比較的ヒマなこの時期に、なるべく作業を進めておきたい。

 



明けましておめでとうございます

2019年01月02日 | 展覧会

            明けましておめでとうございます

 新年のご挨拶が遅れまして申し訳ありません。
 とうとうモーさんも川を渡って向こう側に・・・と早とちりをさせてしまったかもしれませんが、どっこい、引っ越しはまだまだです。

 新年のご挨拶が遅れましたのは、やはり廊下現象は否めません。
 家の廊下をウロウロと・・・いやいや、廊下ではなくて老化現象でした。
             

 年末は何かと多忙で、やっと年賀状の版画が出来たのは大晦日の夜になってからで、その前に宛名だけでもプリントを・・・などと考え、機械任せにしていたところ、あろうことかハガキの裏表を間違えてセットをしてしまったようで・・・全部アウト!
              
 
郵便局の開くのを待って、はがきの交換に駆けつけるも、元日の投函受付はしますが、はがきの取り換えは2日からとのこと・・・。
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 話はかわりますが・・・
 大晦日に下北沢の北沢八幡神社のお焚き上げの手伝いに行っていた息子と孫が、宮司さんからの預かり物を届けに寄ってくれた。
                                  

 開けてみる一辺が128センチもある<四幅>と言われる大風呂敷で、神社の鎮座五百五十年の記念品の風呂敷で、図柄は私が描いた絵だ。

 

 このサイズの風呂敷というのは、時代劇に出てくるドロボウが盗み取った衣類などを包んで背負う場面の唐草模様の風呂敷のサイズで、現代ではあまり実用サイズではなく記念品、装飾品として下北沢近辺の氏子の家々で長く保存される品物となるのだろうが、私にとっては名誉なことである。          

             
 
ン!・・・これは 
 今年は大風呂敷を広げて宣伝をしなさい・・・という神様からの啓示かも知れない。

 ともあれ、今年の目標は約40年前に銀座の伊東屋ギャラリーで展示をして、連日満員の大好評を博したぴーなっつ人形一座という殻つき落花生を人形に仕立てて作った忠臣蔵・古典落語の世界の修復にかかる予定です。