もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

折り返し展・その8

2007年11月27日 | 雑記
 ほとんど原画が残っていない<ルポ物のイラスト>
 一番コンビ期間の長かった阿奈井文彦さんとの同行ルポは「面白半分」「オール読み物」「夕刊フジ」「諸君!」の他にホンダのPR誌など広範に及んだが原画は数枚しか見当たらない。

 同行取材の場合は、ライターの文章に合わせた絵を描くというのではなく、たまたま取材の対象が同じというだけで、阿奈井さんは阿奈井さんの感性で、私は私なりの内容で絵を描いてもいいという裁量が与えられていたから、遅筆の阿奈井さんとコンビでのルポはいつも私の絵が先に仕上がっていた。

「2000円亭主の週末」は<オール読み物>に連載をしたもので、1977年当時サラリーマンの1日の小遣いが500円と言われたとき、その4日分を溜め込んで2000円でお父さんたちはどんなことが楽しめるか・・・という企画だった。
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  開高健氏が編集長をしたときの<月刊面白半分>に6回連載をしたもので、四ッ谷にある「モランボン料理学校」に編集者と3人で半年間入学し、終戦時に朝鮮からの引揚者だった阿奈井さんが昔の想い出と共に朝鮮料理を紹介するという内容だった。
 このタイトル画の他に料理の手順などを描いた原画は1枚もなく、これは掲載誌からのコピー。
 イラストの左下の隅にある<あほうどり>とは、阿奈井さんの俳号。

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「本と歩く」というタイトルのルポ、前の「2000円亭主」から20年後にまた阿奈井・牛坂コンビを復活しませんかという編集者からの誘いで「諸君!」に1年半ほど連載した本にまつわる同行取材のルポの内の1枚。

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「日本海銭湯急ぎ旅」
 1973年に「面白半分」に描いた新潟、魚津、富山、福井 京都などの銭湯めぐりのこのイラストルポは、絵と文の一人2役だった。
 たまにはナマのままのスケッチで見せたこともあった。

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折り返し展・その7

2007年11月15日 | 雑記
 今、段ボール3個分の原画のスキャンをほぼ終えたが、阿奈井文彦さんとの同行取材のルポ、田辺聖子さんの挿し絵も多く描いたはずだが手許には数枚しか残っていない。
 半村良さんのエッセーに描いた挿し絵は1枚もない。
 ひょっとしたら編集部から戻っていないのではなく、我が家のどこかに4個目の段ボールがあるのかも知れない。
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 今回も「退職刑事」シリーズより。
 カラーのものも、単行本になった表紙の原画だが、背景の水の部分に色指定をして刷り上がりには色が着いているのだが、印刷上がりの表紙は見当たらない。

「牛坂浩二」のペンネームー4
 牛坂浩二のペンネームも、平成3年に海老名市に転居をした時の工房の住所が<中新田>という住所だったことから一時<牛坂も助>と替えて<中新田のも助>という語呂の良さで悦に入っていたこともあったが、現在はまた元の浩二に戻して、エッセーなどの雑文とイラストを描く時に用い、クラフト関係は<ゴト-孟>と仕事の内容でペンネームの使いわけをしている。・・・この話やっと終わり・・・





折り返し展・その5

2007年11月01日 | 雑記
 ある日横溝正史エンサイクロペディアというホームページの中に私のもうひとつのペンネーム(牛坂浩二)をみつけた。

 そこには1976年「別冊問題小説」の横溝さんの文章に私が絵を描いていることになっているが、私自身には横溝さんの文章に絵を描いた記憶は全くない。
 そのときは何かの誤記かと思っていたが、この「折り返し展」を掲載するにあたって、昔の原画を整理していたら・・・あった! 確かに横溝さんを描いたイラストの原画が4枚出て来た。
 ここに掲載した絵はそのときのもので、今から30年前のこととは言え、その記憶がまったくないということは、ここまでボケが進んでいることに愕然とさせられた。

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 他の2枚はムツゴロウさんで、1986年ころ週間小説に描いたもので、長い連載小説だったのでしっかり記憶に残っている。
*長い連載だったわりに原画は2枚しか残っていないのはどうしてなのだろう?

「牛坂浩二」のペンネームー2
 長じて、出版物の絵を描くようになったとき、シャレ心もあって当時の浅丘ルリ子さんの夫君だった石坂浩二氏にあやかったペンネームにしたが、その頃は石坂氏も絵を描くと言うことを知らなかった。
 私が牛坂の名前で仕事をし始めて2~3年程した頃に、石坂氏が自由が丘の画廊で個展を開いたと言うニュースに接したが、そのときには私は牛坂浩二の名前ですでに多くの仕事をしていて、途中で名前を変え難い状態になっていた。・・・この話はもうちょっと続く・・・