ほとんど原画が残っていない<ルポ物のイラスト>
一番コンビ期間の長かった阿奈井文彦さんとの同行ルポは「面白半分」「オール読み物」「夕刊フジ」「諸君!」の他にホンダのPR誌など広範に及んだが原画は数枚しか見当たらない。
同行取材の場合は、ライターの文章に合わせた絵を描くというのではなく、たまたま取材の対象が同じというだけで、阿奈井さんは阿奈井さんの感性で、私は私なりの内容で絵を描いてもいいという裁量が与えられていたから、遅筆の阿奈井さんとコンビでのルポはいつも私の絵が先に仕上がっていた。
「2000円亭主の週末」は<オール読み物>に連載をしたもので、1977年当時サラリーマンの1日の小遣いが500円と言われたとき、その4日分を溜め込んで2000円でお父さんたちはどんなことが楽しめるか・・・という企画だった。
開高健氏が編集長をしたときの<月刊面白半分>に6回連載をしたもので、四ッ谷にある「モランボン料理学校」に編集者と3人で半年間入学し、終戦時に朝鮮からの引揚者だった阿奈井さんが昔の想い出と共に朝鮮料理を紹介するという内容だった。
このタイトル画の他に料理の手順などを描いた原画は1枚もなく、これは掲載誌からのコピー。
イラストの左下の隅にある<あほうどり>とは、阿奈井さんの俳号。
「本と歩く」というタイトルのルポ、前の「2000円亭主」から20年後にまた阿奈井・牛坂コンビを復活しませんかという編集者からの誘いで「諸君!」に1年半ほど連載した本にまつわる同行取材のルポの内の1枚。
「日本海銭湯急ぎ旅」
1973年に「面白半分」に描いた新潟、魚津、富山、福井 京都などの銭湯めぐりのこのイラストルポは、絵と文の一人2役だった。
たまにはナマのままのスケッチで見せたこともあった。
一番コンビ期間の長かった阿奈井文彦さんとの同行ルポは「面白半分」「オール読み物」「夕刊フジ」「諸君!」の他にホンダのPR誌など広範に及んだが原画は数枚しか見当たらない。
同行取材の場合は、ライターの文章に合わせた絵を描くというのではなく、たまたま取材の対象が同じというだけで、阿奈井さんは阿奈井さんの感性で、私は私なりの内容で絵を描いてもいいという裁量が与えられていたから、遅筆の阿奈井さんとコンビでのルポはいつも私の絵が先に仕上がっていた。
「2000円亭主の週末」は<オール読み物>に連載をしたもので、1977年当時サラリーマンの1日の小遣いが500円と言われたとき、その4日分を溜め込んで2000円でお父さんたちはどんなことが楽しめるか・・・という企画だった。
開高健氏が編集長をしたときの<月刊面白半分>に6回連載をしたもので、四ッ谷にある「モランボン料理学校」に編集者と3人で半年間入学し、終戦時に朝鮮からの引揚者だった阿奈井さんが昔の想い出と共に朝鮮料理を紹介するという内容だった。
このタイトル画の他に料理の手順などを描いた原画は1枚もなく、これは掲載誌からのコピー。
イラストの左下の隅にある<あほうどり>とは、阿奈井さんの俳号。
「本と歩く」というタイトルのルポ、前の「2000円亭主」から20年後にまた阿奈井・牛坂コンビを復活しませんかという編集者からの誘いで「諸君!」に1年半ほど連載した本にまつわる同行取材のルポの内の1枚。
「日本海銭湯急ぎ旅」
1973年に「面白半分」に描いた新潟、魚津、富山、福井 京都などの銭湯めぐりのこのイラストルポは、絵と文の一人2役だった。
たまにはナマのままのスケッチで見せたこともあった。