おや!今日はクリスマスだったのかい?
今年はなぜか年の瀬感のない年末で、まだしなければならない用事はあるが、これまでの暮れのような緊張感もない時間が過ごせている。
毎年、今頃は年賀状作りの他にいろいろな雑事に追われていた気がするが、今年はその緊張感がまるでなく、マイペースで障子の張替え、年賀状の版画彫りがやけにすんなりと終った。
これまでだってクリスマスだといって、何かをしたわけでもないが、今年はまったく気がつかないままにクリスマスが終っていた。
去年と今年の違いは何なのだろう?
あ!もしかしたら、・・・と思い当たったのは、今年の2月からテレビをやめたことかもしれない。
テレビからの情報を遮断したことで、世事には疎くなったが、無駄にあくせくすることもなくなった。
自分の仕事で忙しいのではなく、情報番組という世間話を大げさに扱うテレビ番組の影響から遠ざかることが出来た分だけ自分のペースで過ごせるようになったのだろう。
それはともかく、この年賀状の木版を彫る作業に、目の疲れか歳のせいか焦点が合いづらくなって、最後の賀正という文字を彫る日には老眼鏡のWがけの技?を使うようになっていた。
実は年内にもうひとつ仕上げなければならない仕事がひとつあり、例年なら残り少ない日数を数えながらイライラしているのだろうに、なぜか穏やかな気持ちで落ち着いていられる。
この一年、時間に振り回されていただけで、いつの間にか今年も残りの日数は2週間になってしまった。
昨日、今年最後の大人の工作教室を終えた。
この熱帯魚は、なるべくリアルにしたいためにサイズも5~15cmと小さくて子どもにはちょっと難しいので、これまで工作教室で教えたことはなく、今回が初めての指導だったが、とても評判が良った。
・・・が、このトロピカルフイッシュを以前に作った麦藁帽子のアクセサリーのような使い方をしたい・・・という希望が出されてしまった。
しかし、この熱帯魚の素材は発泡スチロールとアルミ箔で作っているので、ブローチにするには強度の点をクリヤーせねばならず、その課題は私の冬休み期間の宿題となった。
このあと年内2週間ですることは、年賀状作りと、長年製作を頼まれたまま手をつけていなかったレリーフ作りと障子の張り替えだけだ。
とは言え、年賀状はもう40年来、毎年木版画を彫っているが、まだやっとその下描きのさらに下絵を描いている段階で、年内に投函出来るかどうか微妙な段階にある。
08年9月のはじめこのブログに「秋風」というタイトルで掲載した記事に、野坂昭如さんの唄「新古今集・春夏秋冬」の<秋>ことを書いた。
作曲/桜井順・作詞/能吉利人・歌/野坂昭如の「新古今集・春夏秋冬」は洋楽器プラス琴の旋律という和のテ-ストを持った曲に乗せて、歌う歌詞は「黒の舟歌」をもっともっとビターにした怨念ソングの野坂節だ。
40年くらい前に神田の共立講堂(だったと思うが、記憶違いかも知れない)のライブで聴いて以来、私の中には現在に至るもこの野坂節が染み込んで消えない。
この新古今集のうち<夏>の♪・・・・・手の中に消えた、暑い暑い夏の日 冷たい冷たいホタル♪ という一節は、野坂さんの直木賞受賞作「火垂るの墓」を彷佛させ、口ずさむだけで不覚にも涙が滲んでくる。
春・夏・秋・冬を通して巧みなかけ言葉の妙と、強烈なまでにビターな味わいで人間の本質と生死感を語る歌は聴く人のハートに直に語りかけて来る。
その怨念の過激さ故にかTV、ラジオの電波に乗ることも無かった歌はライブ版が「野坂昭如不浄理の唄」としてLPレコード化されているのみで、仮にそのレコードを見つけてもCD時代の今ではほとんどそれを聴く手段も無い。
もしあなたが何かの縁でその歌を聴くことができたら、あなたの人生観が変わるとまでは言わないが、薄っぺらな歌をカラオケなんかで歌うのが嫌になるかも知れない。
野坂さんには私の*2冊目の処女出版「わるの本」の出版に際しその序文を書いてもらい、面白半分時代は野坂編集長のもとにカリカチュアを描かせてもらい、野坂さんの小説に挿し絵を描いた他に、四畳半裁判(野坂さんが被告人だった)のイラストルポを描く(今で言う法廷画家の走り)などなどのご縁があった。
*野坂さんに書いてもらった序文とその生原稿の一部。
*2冊目の処女出版と言うのは、牛坂浩二のペンネームでのはじめての出版と言うことで、それに先立つこと2年くらい前に35才の時にゴト-孟の名前で保育社から出した「手づくり遊び」が私の本当の処女出版。
野坂昭如さんの訃報に接し、ご冥福をお祈りしつつこの一文を捧げます。
合掌
12月6日(日)は、私の住む地域にあるコミニティーセンターのイベント「コミセンまつり」が開催されました。
折り紙、絵手紙、陶芸、写真、フラダンス、カラオケなどなどのコミセン講座に混じって、おとなの工作教室・おもしろ工作も参加をしました。
他の講座の受講者は年配のご婦人たちが多い中、おもしろ工作の受講者は男性が多く、私の持つユーモアのセンスが女性には受けないのかナ・・・と思っていたが、どうやら最近は風向きがこちらに向いて吹きはじめたようだ。
昨今の私の工作教室、そして、この日の来場者の様子を見ていると、たかが工作、されど工作といった趣が出てきたようで、ちょっと大げさな表現を許していただければ、工作という創作が子どもたちだけのものではなく、大人の趣味としての地位を築き始めたのでは・・・と思えるようになってきて、女性からも熱心な質問が寄せられたりして、作品に盛り込まれたジョークのウケもいいようだ。 *会場で座り込んでしまってがらくた恐竜を見つめて考え込んでしまう人も。
以前に作品展を開くために、ギャラリーの予約に行ったとき、「分野は何ですか?」と訊ねられ、工作ですと言うと、係員はしばらく考えた末に「じゃあ、工芸ですね」と言った。
*体験教室も忙しかった。
絵画、陶芸、工芸、写真などと並んで工作という分野が認知されるまで工作員としての使命はまだまだ終らない。