もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

40年前の私宛に届いたメール

2010年08月29日 | デジタル・インターネット

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はじめてメールを差し上げます。
 私どもは、○○○○の書籍を刊行している○○○という出版社で・・・という書き出しで、1970年代に某社から刊行された数学者・遠山啓氏の著作のシリーズ絵本を復刻したい、ついてはその著作権許諾を受けるためと、ゴトー孟という名前をからの検索で40年後の現在の私を探し出してくれたようだ。

当時の私は、イラストレーターとしてはまだまだ駆け出しで原稿料だけではご飯が食べられず、東京をはじめで名古屋、四日市、白河市など7~8数校のデザイン学校、洋裁学校の講師としていわゆるレッスンプロをしていて、まだ自分の画風も定まっていなかった20代の後半に描かせてもらった算数の絵本で、あのころはゴトー孟の名前でイラストを描いていた。

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 今の年齢のちょうど半分の35歳のときにこの本を出し、これが工作おじさんとしてのスタートラインとなったが、当時は単なる余技にすぎなかった。

インターネットってすばらしいね!

インターネットがなかったら、この40年間に4度の転居をし、さらにイラストレーターとしては途中から別のペンネームを使い出した私の捜しようはなかったであろう。

また、インターネットがあっても、私が当時と同じ名前でホームページを持っていなかったら、これまたたどり着いてもらえなかったであろう。

40数年前に描いていたイラストは現在描く絵とはまったく違って稚拙な絵だったが、このメールの主によって、タイムカプセルを開けたように昔の自分に対面をさせてもらえたが、何しろ古い話で私の手元にはもう原画はもとより掲載誌もない。


しみじみとインターネット

2009年10月25日 | デジタル・インターネット
 先日このブログの「面白半分同窓会」(9月7日)の記事に対してベトナムに住む日本人からのコメントが寄せられた。
 コメントと言うより、40数年前にサイゴンで一緒だった阿奈井さんに関する記事を見つけて、その連絡先が知りたいという個人的な伝言だったので、コメントそのものは非公開扱いにして、その内容を阿奈井さんに取次いだ。

 思わぬところで写真を見て懐かしくてという男性からのメッセージを阿奈井さんに取次ぐと「エーっ! 懐かしい人だなぁ、彼とは20歳代の頃サイゴンで一緒に仕事をしたんだと、私の電話と住所も教えてやって下さい」と言った後、パソコンを使わない阿奈井さんはインターネットの不思議さをしきりに驚いていた。

 私のブログをペンタゴンでも北の将軍様の館でも見られることは理屈では私も理解をしているが、実際に外国で阿奈井さんの消息を探している人が、どう言う経路をたどったのかは不明だが、私のブログがヒットして連絡がとれたなどということは私自身も驚きの事態だった。

 さっそくベトナムにメールを返信して1時間後、今度は阿奈井さんから私に電話があり「彼から電話があって、12月にはベトナムで再開することになった」そうだ。

 私がベトナムにメールを返して、何日か経って電話がかかって来るだろうくらいに思っていた阿奈井さんはすぐにかかって来た電話に驚いていたが、私だって如何にインターネットとは言え、外国までのメールだから、そんなに早く届くとも思っていなかった。
 インターネットというものはこういうものなのだ・・・と今さらながらにしみじみと感じ取っている。

 10数年前に阿奈井さんと二人で、ある雑誌の取材で、インターネット上の古書店という取材をしたことがあったが、その頃は私もまだパソコンを使っていなくて、二人ともインターネットと言う概念すら把握出来ず、取材はしたものの、なかなか原稿がまとまらず途方にくれていたことを思い出す。
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1977年、阿奈井さんと私のコンビで「オール読み物」に連載をしていたルポと「面白半分」に連載した料理学校でのルポの原画で、共に30代阿奈井文彦さんの似顔絵。