同じ団地に住む5歳になる孫は自分の誕生日のパーティーをするのだと電話を掛けて来た。
パーティーは皆でするのだから、婆ちゃんの家で爺ちゃんも一緒に・・・という。
なぜ<婆ちゃんの家で>なのか判らないが、ま、孫の希望通りにしましょう。
パーティーの飾り付けなどを自分でしたいのかと思ったが、自分は招かれる方だから「それは爺ちゃんと婆ちゃんにまかせるよ」などと大人びた口をきく。
パーティーのやり方などどこで憶えて来たのだろう?
折り込みの広告を切って作ったチェーンに100円ショップで買って来た風船などで、孫の好きなブルーを基調にした飾り付けで孫を迎えることにした。
パーティーの方は型通りのケーキに立てたロウソクを吹き消し、ジュースで乾杯、これまた100円ショップの宴会グッズのくす玉割りで盛り上げた後、私はこの孫に初めて割ばし鉄砲を与えてみた。
パーティーのゲームとして皆でマト当てをして遊ぶつもりだったが、孫はこの割ばし鉄砲が面白かったようで、誰にも鉄砲を渡さず、一人でターゲットを撃ち続けた。
この割ばし鉄砲には、私が今の工作おじさん(正確には工作爺さんだが)に至る最初のエピソードがある。
詳しくはホームページの遊びの歳事記の第1回割ばし鉄砲とクルクルターゲットをご覧いただきたいが簡単に話すと、今から40年近く前のことだが、当時4歳だった息子と割ばし鉄砲を作って遊んでいるうちに思いついたのがクルクルターゲットと名付けた回転式のマトで、このマトが<アイデア工作>の最初の考案だった。
当時息子もこの割ばし鉄砲がかなり気に入って、連日割ばし鉄砲遊びをしたことが思い出されるが、果たして孫も40年の時空を越えて幼かった息子と同じ反応を示し、明くる日もまた「きのうの バーンってやるやつで あそぼう」と我が家にやって来た。
いつごろ誰が最初に考案したのかわからないが、子どもたちにとって永遠の遊びだと思われた割ばし鉄砲は今も古くはないが、これを伝える人が少なくなってしまっている。
全国のお爺ちゃん、お婆ちゃん今のうちにお孫さんたちに伝えておいてくださ~い!!
パーティーは皆でするのだから、婆ちゃんの家で爺ちゃんも一緒に・・・という。
なぜ<婆ちゃんの家で>なのか判らないが、ま、孫の希望通りにしましょう。
パーティーの飾り付けなどを自分でしたいのかと思ったが、自分は招かれる方だから「それは爺ちゃんと婆ちゃんにまかせるよ」などと大人びた口をきく。
パーティーのやり方などどこで憶えて来たのだろう?
折り込みの広告を切って作ったチェーンに100円ショップで買って来た風船などで、孫の好きなブルーを基調にした飾り付けで孫を迎えることにした。
パーティーの方は型通りのケーキに立てたロウソクを吹き消し、ジュースで乾杯、これまた100円ショップの宴会グッズのくす玉割りで盛り上げた後、私はこの孫に初めて割ばし鉄砲を与えてみた。
パーティーのゲームとして皆でマト当てをして遊ぶつもりだったが、孫はこの割ばし鉄砲が面白かったようで、誰にも鉄砲を渡さず、一人でターゲットを撃ち続けた。
この割ばし鉄砲には、私が今の工作おじさん(正確には工作爺さんだが)に至る最初のエピソードがある。
詳しくはホームページの遊びの歳事記の第1回割ばし鉄砲とクルクルターゲットをご覧いただきたいが簡単に話すと、今から40年近く前のことだが、当時4歳だった息子と割ばし鉄砲を作って遊んでいるうちに思いついたのがクルクルターゲットと名付けた回転式のマトで、このマトが<アイデア工作>の最初の考案だった。
当時息子もこの割ばし鉄砲がかなり気に入って、連日割ばし鉄砲遊びをしたことが思い出されるが、果たして孫も40年の時空を越えて幼かった息子と同じ反応を示し、明くる日もまた「きのうの バーンってやるやつで あそぼう」と我が家にやって来た。
いつごろ誰が最初に考案したのかわからないが、子どもたちにとって永遠の遊びだと思われた割ばし鉄砲は今も古くはないが、これを伝える人が少なくなってしまっている。
全国のお爺ちゃん、お婆ちゃん今のうちにお孫さんたちに伝えておいてくださ~い!!