1970年代にサブカル雑誌として名を馳せていた「面白半分」
広告業界のイラストを描いていた私が出版物に発表の場を移したのは月刊「面白半分」が創刊された1972年からだった。
当時五反田にあった面白半分社の編集室に私は「亀松噺」という絵物語の原稿を持ち込んだ。
「私の判断では何ともいえないが、明日編集長の吉行(淳之介)さんとの打ち合わせがありますので聞いてみます」
「面白半分」の発行人佐藤嘉尚さんはそう言ってくれて、明くる日の夕方に電話で吉行さんからOKが出て連載が決まった旨連絡をしてくれた。
それが私の出版界へのデビューの発端で33歳のときで、その後40年近く牛坂浩二のペンネームで小説現代、オール読み物、問題小説、夕刊フジなどなどで挿絵やパロディー、社会
風刺、イラストルポなどを描かせてもらうきっかけとなった。
その恩人の佐藤さんが今日亡くなったと報せを受けた。
5日前に、新宿の居酒屋で面白半分時代の執筆者仲間だった阿奈井文彦さんと当時の編集者と一緒に酒を飲んで自宅療養中の佐藤さんの容態を気遣っていたところだったが、そんなころ彼の容態が急変していたらしい。
歴代の編集長をはじめ、面白半分の関係者たちの大半はもう三途の川を渡ってしまっているが、その中心に居た佐藤さんも向こう側に逝ってしまった今、完全に面白半分の時代は終わってしまったようだ。
しかし、佐藤嘉尚さんの急逝を残念がっているのは残っている者たちだけで、本人は意外としたたかに先に逝ってしまっている人たちと「面白半分・あの世版」の発行準備をしていて、残る私たちが来るのを待っているのかもしれない。
振り向けば 鬼籍の人が 多くなり (も助)
それでは嘉尚さん、行ってらっしゃい・・・合掌