第1話/割り箸鉄砲とクルクルターゲット

2006-08-10 13:36:49 | Weblog
「ひもじさと 恋いのつらさを比ぶれば、恥ずかしながらひもじさが先」
 昔人の戯れ歌のように、すべての生き物の本性として食べ物への執着が何にも勝るようで、我が家の子どもたちも私は女房と変わりなく可愛がっているつもりでも、毎日食事を与えてくれる女房の方によりなつくようになって来た。

 寝つけぬ夜は散歩に連れ出して気分を変えてみたり、小児喘息で苦しむ息子を夜中に抱きかかえて背中をさすってやったりしても、やはり食事担当の力には及ばない。
 その食事代だって誰が稼いで来るのかまでは幼児の理解の範囲を越えることであろうが、父親という立場は損な役割だと思った。

 息子が4才になったある日、少しは父親の存在に気付いてもらおうと、割り箸鉄砲を作って息子の気をひいてみた。
 予想通り息子はこの割り箸鉄砲に反応を示してはくれたが、4才の幼児には弾にする輪ゴムをかけることすら自分で出来ず、倒れたターゲットのマッチ箱を起こすのも私がしてやらねばならなかったが、息子の方はこの割り箸鉄砲がいたく気に入ったようで、何度も何度も輪ゴムかけをさせられた。
 
 子どもを遊ばせるとき、同じことを20回以上繰り返して遊んでやる気がないなら最初から手を出すな・・・といわれたことがあったが、息子はこの割り箸鉄砲の気に入り様は10回や20回では済まず、あくる日もその次の日も付き合わされた。 

 自分が仕掛けたことと言え、毎度の付き合いに私は少し面倒になって来た。
 弾の輪ゴムをかけるのを自動にすることはむつかしそうだが、ターゲットが倒れても自分で起き上がるようにするのはそれほど難しい話ではなさそうだ。

 思案の末に、ハガキの半分くらいの大きさのケント紙2枚を用意し、この一枚に怪物の絵を描いて、ストローを水平にはさみ込んで2枚の紙を貼り合わせる。
 次にストローに竹ヒゴを通して、ヒゴはなるべく底の深い箱(茶筒や焼きのりなどの入っていた紙製の箱)に取り付ける。
 これでいいはずだ。
 パシッ!弾が当たるとターゲットの人形はマッチ箱の的より心地よい音をたててクルクルと回転してまた立ち上がった。

 さらにこのターゲットの利点は、撃った輪ゴムがあまり飛び散らず、大半は箱の中に納まっていて輪ゴムの回収が楽だった。
 ただ困ったことは、息子は子の回転する的がさらに気に入ってしまい、また数日割り箸鉄砲につき合うはめになってしまった。
 ともあれ息子は予想以上の反応を示してくれて、数日はこれで遊んだが、同じものではいずれ飽きて来る。

 父親の存在感を強くするためには、また別の遊びを工夫せねばならなかった。
 これが、我が家の子どもたちが小学校を卒業する前後まで続く手づくり親子の遊びの歳事記が始まるきっかけになった遊びだった。

 このときのターゲットのアイデアは、私の最初の著書となった保育社のカラーブックス「手づくり遊び」(1974年)に発表して以来、子どもの雑誌などにも書いたことがあったが、それから数年して別の人が書いている割り箸鉄砲の作り方には、私の考案したクルクルターゲットは割り箸鉄砲の当然のセット物として紹介されていた。
 振り返ってみると、現在ガラクティストを名乗って子どものクラフトの開発がライフワークとなっている私の原点がここにあったが、当時はわが子にこちらを向いて欲しいだけのことだった。
             
 ところで、2001年9月に栃木県の「放課後児童指導員研修会」に招かれたとき、先方からのリクエストで、私のオリジナルクラフト2点の指導の他に、割り箸鉄砲も教えて欲しいという希望があった。
 私は割り箸鉄砲は永遠の定番で、誰もが知っている遊びだと思っていたがいつの間にか時代の波に飲み込まれてしまいつつある存在となっていたようで、試しに海老名市で指導員をしている知人に尋ねてみたが、50才代の女性指導員は私も作れませんと言った。

 ところで、研修会は250名の多人数となるため、一つの見本を手に持って話をしても、会場の後方の人からは見えにくいであろうと、受講者たちのグループのテーブルに1丁ずつサンプルを置けるようにとあらかじめ30丁の割り箸鉄砲を作って宇都宮へむかった。
 宇都宮への道のりは、先ず新宿に出て埼京線で大宮に向かい、そこから東北新幹線で宇都宮まではノンストップで30分程で到着するが、新幹線のドアが閉まってから荷物がひとつ足りないのに気がついた。

 割り箸鉄砲とはいえ30丁もあるとかなりの量になり、それを入れた大きな紙袋を埼京線の網棚に乗せたままだった。
 新幹線は途中で降りて引き返すことも出来ず、やむを得ず宇都宮の駅ビルで材料の割り箸、輪ゴムそれにカッターナイフを買い揃え、駅員の不審そうな目をよそに、迎えの人が来てくれるまで待ち合い室のベンチで割り箸鉄砲のサンプルを作り続けることとなった。

 その日の研修を終えてロビーに出てみると、そこに設置してあるテレビではまるで映画のシーンのようなニューヨークのビルに飛行機が突っ込むニュースを流していた。

 網棚に忘れた割り箸鉄砲は、研修の終わった今となってはもう用の無いもので、駅に届け出ることもないまま帰って来てしまったが、ニューヨークで大規模なテロのあった日に東京でも大量の鉄砲の忘れ物・・・とJR関係者には怪訝な思いをさせてしまったのかも知れない・・・・・反省。

 ここまで書いてきて、娘の方の孫がもう6歳と4歳になっていることを思い出して、次に遊びに来たときに割り箸鉄砲を作ってみた。
 回転式のクルクルターゲットには、怪物人形の他に私のキャラクターも加え、怪物に捕まっているお爺ちゃんを助けるゲームにした。

 弾がそれてお爺ちゃんの人形に弾があたってしまったときには、私は大袈裟なポーズでひっくり返ってやると、孫たちは大喜びで遊んでくれたばかりか、次に遊びに来たときも、その次のときも日中は外遊びに夢中だが、夕食後のひとときは割り箸鉄砲遊びが定番になっている。



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