もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

天国の余り風

2015年09月19日 | 家庭菜園


 三遊亭円生の「夏の医者」という噺の中で、 峠を越えて隣村の爺さまを見舞う途中で一服をして汗を拭いていると、いい風が吹いてきた。
「あ~、いい風だなぁ、こういうのを天国の余り風ちゅうだよ」というセリフがある。

 今年の夏はいろいろ多忙な夏で、すっかり雑草に占拠されてしまった菜園に久々に行ってみると、どこが畑で、どこが通路かさえわからない状態になっている。

 最優先でしなければならないのはダイコンの種まきで、とりあえず1畝分だけを耕し、青首ダイコンと聖護院ダイコンのタネ
を半分づつ蒔く。


 
・・・というのもこのダイコンは、毎年11月下旬に下北沢から収穫体験に来るボーイスカウトの子どもたちに、長芋、里芋と一緒に持ち帰らせるためのダイコンで、種まきが遅れると収穫予定日に間に合わなくなってしまうのだ。
 このボランティアはもう20年にもなるが、毎年この時期の夏野菜と秋野菜の入れ替え時期には多忙を極める。
 
 一段落ついたところで、一休み。
 いちじんの風が 私のハゲ頭をかすめる。
 秋の乾燥した風が心地よい。
 天国の余り風というのはこういう風のことを言うのだろうなぁ。 

◍オマケのウンチク 
 
 この時期の 野良仕事は蚊が多くてやりきれない。
 そこで私流の防虫対策。
 練りわさびを手のひらに1~2センチ出し、それを 耳の後ろ、首、オデコにも顔中に塗り広げる。

 蚊はこのにおいを嫌うのか、寄って来なくなる。
 但し、効果のあるのは30分くらいで、匂いが飛んでしまうとまた寄って来るから塗りなおす。

*油気はないから水で洗えばすぐ落ちますが、落とすのを忘れていると、顔のあちこちに練りわさびをつけたまま人に会うことになる。 
 


かかしまつり

2015年09月13日 | まち歩き

 
 台風18号のは各地に甚大な被害をもたらして去っていった。
 海老名市にはさしたる影響はなかったが、何日ぶりに晴れだろう。
  
 当地のかかしまつりも 今年で23回目となった。
 第1回のかかしまつりも、ついこの前のようにも思うが、ここ10数年、毎年参加をしていてくれる小学校の子どもたちから見れば、自分が生まれてくる前からのかかしまつり という存在でもある。
 
 第11回のかかしまつりから地元の小学校では毎年5年生になると、かかし作りをして参加をしてくれているが、子どもたちのかかし作りは、夏休み早々からはじまる。
 この町のかかし作りの名人と私の二人だけでこの指導に当たっているが、15チームの指導は約1週間かかり、まずは木、塩ビのパイプ、ワラなどでかかしのスケルトンのみを作り、服を着せたり色を塗るのは夏休み明けの学校が始まってからになる。
 
 9月になると、全チームがそろっての仕上げ作業が2日間にわたって 体育館ではじまる。
 
  
   
 さながら事件の現場の様相で、一時はどうなることやらと心配になるが、この工程になるとお母さん方の応援も入り 徐々に格好がついてくる。

*実は我家の孫もこの小学校の5年生で、今年はかかし作りの一員になっているが、その孫が誕生したときに最初に思ったのは「この子が5年生になって、一緒にかかし作りをしたいものだが、私はこれから11年も生きてはいられないだろうナ」と思っていた。
 ところがドッコイ、孫たちのチームの指導も出来て、まだまだ当分死にそうにはない。
  
 そして、子どもたちのかかしは台風にもめげず、青空の下で今日も元気にスズメを追い払っている。 
 
 で、私のかかしはというと・・・これ。

 そして、今年は孫の母親がPTAの役員をしていて、PTA出品のかかしは実写版のシンデレラ
 つまり、今年のかかしまつりは親子3代の出品となった。
 
  


がらくた宇宙船繁盛記-2

2015年09月03日 | 工作教室

 小惑星探査機・はやぶさ人気の影響があるのか、私のところに来る今年の工作教室の依頼の80パーセントは「がらくた宇宙船」作りである。

 前回このブログで 書いた・・・これまでとは少し違った雰囲気というのは、昨年もアップした写真も含めて、以下の写真をご覧いただきたい。
   
 このがらくた宇宙船の工作は、私自身は男の子向きの工作だと思っていた。

最初にこの工作のアイデアが浮かんだのは、スターウォーズ第1作が公開された1977年のことで、当時はやはり男の子とそのお父さんにウケていた。

 しかし、それから40年近く経った現在では、ファン層は母親たちにも広がっている。
但し この場合のファンというのは、私のファンではながらくた宇宙船のファンである。
   
 
ご覧のように、展示物に向ける視線の熱心度、工作教室内での子どもの作品への参加意欲(または手出し?)、一昨年くらいからの現象だと思う。
もちろん、子どもの作業に手を貸す母親はこれまでにも皆無ではなく、毎回一人や二人の母親には見られた現象ではあった。

 それが、昨年の秋に某住宅展示場での工作教室では、二人のお孫さんを連れた70歳前後と思しきご婦人が付き添いとして来てくださった。
  そして 今年の8月行った別の住宅展示場での工作教室だったが、お孫さんを連れた私と同じくらいの年配のご婦人は、ただ付き添いとして来られたのではなく、お孫さんより自分が参加をしたかったようで、お婆ちゃまは一切お孫さんの工作には手も口も出さず、黙々と自分の作品作りを楽しんで帰られた。


 その一例だけなら、ま、そんなこともあるでしょう・・・で済んでしまう話なのだが、それから一週間後に私は宇都宮のあるボランティア団体の皆さんのところに工作研修に行くことになった。 

 前もって係りの人から先方の希望を訊いておいた中に、やはりがらくた宇宙船の希望もあったので、ボランティア団体の皆さんの中には当然男性も居られるものと思っていたが、行ってみると全員女性ばかりで、それも熟女の面々ばかりだったことに驚いた。
 かく言う私も熟爺ではあるが・・・ 
  
 この年代のご婦人から宇宙船のリクエストをいただくとは思ってもいなかったが、ここにもがらくた宇宙船の面白さを理解してくださる方々が大勢あり、先週の住宅展示場のご婦人一人が特別な例ではなかったようだ。
 
 宇宙船の最後の仕上げのラッカースプレーの作業で、それまではただのがらくたたちが見事に変身をする様に熟女の皆さんたちは大喜びだった。
 
 私は、子どもたちだけではなく、大人もお父さんだけではなくお母さん方にも支持され、さらにもっと年配の女性たちにもそれが広がっているのが、とても嬉しかった。

 あのスターウォーズ第一作から約40年、ついこの前のような気もするが、振り返ってみるとずいぶん長い年月だった。

 わが子がらくた宇宙船は大きく育ってきたものだ。