もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

がらくた宇宙船繁盛記ー1

2015年08月26日 | 工作教室

  
 
8月2日・八王子市こども科学館(コニカミノルタ サイエンスドーム)、そして23日・藤沢市のTVKハウジングで の工作教室は、小惑星探査機はやぶさ人気の影響か 共にがらくた宇宙船作りとなりました。


 以前にお会いした本物のロケット博士のJAXAの的川博士からは、このがらくた宇宙船「キットではなく、自分の工夫で作り上げていくこの宇宙船作りは理科好きの子どもを育てる・・・」と評していただき、以後懇意にさせてもらっていることもあって、私自身もこの工作を積極的に行っているが、実を言うと大勢の子どもたちに対応するためには、がらくたの材料集めはかなりしんどい
 
 八王子での工作教室は1日3回、各25名づつの75人分の空き箱やがらくたを調達するには数日を要して容易ではない。
  
 しかし、いざ教室がはじまると、この活気の中で私はまたハイテンションになり元気を取り戻す。

 そういった教室風景の中で、私は昨年からこれまでとは少し違った雰囲気を感じている。
 また話が長くなりそうなので、その話は次回ということで、本日はここまで・・・。


 
 

 


タイムパレット

2015年08月20日 | アート・文化



 小学校5年生になった孫が夏休みの宿題の絵を描きに我家に来ると言うので、最近ではあまり使うこともなくなった絵の具などを探していると、何と、もう50年も使った覚えのない水彩画用のスチール製のパレットが出てきた。

 遅まきながら、20歳をすぎてからはじめた絵の勉強だったが、当時はファッション界では長沢節氏と双璧をなす、スター的存在だった原雅夫先生(NHK・連続TV小説「カーネーション」の中に原口先生として登場する人物のモデルになった)の許に弟子入りすべく上京したのは1964年の東京オリンピックの前年で、私は23歳のころだった。
  
 当時の絵はもうほとんど残ってはいないが、人物デッサンやクロッキーに明け暮れていたころで、50年ぶりに出てきたパレットはその頃のものだ。
 
 今思えば、その頃が青春のまったっだ中にいた頃なのだろうが・・・。

 久々にパレットに指を通してみると、孫が使っているプラスチックのパレットとはフィット感がまるで違う。
 そして、このパレットの汚れの中には、タイムカプセルのように、当時の喜びも悩みも、そして師匠や仲間たちとの会話や笑顔まで詰まっていた。

 ところで、我家に絵を描きにきた孫に私は付きっ切りで面倒を見ているわけではない。
 まず、孫自身がどんな絵を描きたいのかを訊ね、そのテーマに沿ってどんな表現をしようとしているのか下描きを見せてもらい、よりテーマを明確にするためのディスカッションをしたあとは、もう私は口も手も出さず、仕事場に入ってしまう。


 
 その後、私はファッション画の世界を離れ、自分なりの画風も確立して、広告イラストレーションを描いたり、挿絵、イラストルポなどを描くようになって、絵の具もポスターカラー、アクリル絵の具、カラーインクなどを使うようになって、いつの間にか水彩絵の具のパレットは使うことがなくなっていた。
 *ちなみに、挿絵などの隅にmo-836とサインのあとにある数字は、その年の西暦と月を表していて、1983年6月を表しています。
  同様にmo-7610とあるのは、1976年10月に描いたものです。

  
 これらの挿絵などの原画も、工作おじさんとしてさらなる脱皮をしたときに、ほとんど捨ててしまい、もう手元には残ってはいないが、それよりもっと古い記憶をよみがえらせてくらた水彩画のパレットはまさにタイムパレットであった。
 
  


万願寺唐辛子・簡単調理

2015年08月17日 | 食・レシピ

 以前に京都の婆ールフレンドから教わった万願寺唐辛子のすき焼き風の食べ方を紹介しましたが、今回は野良友の婆ールフレンドから教わった万願寺唐辛子の油炒めの紹介です。

 
①今回は長い間雨なしの天候で、万願寺唐辛子の収量が少なかったので、伏見甘長唐辛子も混ぜました。
 ヘタを切り落とし、唐辛子は2~3個にカットします。
*赤いのは、万願寺、伏見共に過熟気味のもので、彩として使います。
 タネも辛くはないので取り除かなくても良い
  
②ハムまたはベーコンを適量入れて、フライパンで炒める。 
  
③ 万願寺唐辛子がしんなりしてきたらつゆの素をかけて 出来上がり。
 出来立ての温かいうちも美味しいが、冷蔵庫で冷やして食べるのもこれまた旨い。

●オマケの画像
 箸置きにもご注目ください。

  


この夏の忘れ物(事)・二題

2015年08月09日 | 不思議

 このところの暑さと多忙ですっかりお伝えするのを忘れてしまっていたことが二つありました。
その1

 以前(7月1日)にこのブログで「遊び心は男のおしゃれ」と題して紹介をした麦藁帽子のアクセサリーの作り方を掲載したパコマというフリーペーパー(ご自由にお持ちくださいという無料の冊子)が8月1日から各地のホームセンターに置かれています。

  

 パコマでは子どもの工作として紹介をしていますが、これが大人の間でも大変なご好評をいただいていて、私の作品の中のちょっとマニアックだった「がらくた昆虫」の普及版として、来年の夏に向けてレパートリーを広げていきたいと思っています。

その2
 
 今月23日(日)藤沢市(神奈川県)にある住宅展示場TVKハウジング・プラザ藤沢でがらくた宇宙船(円盤型)作りの工作教室を開催します。
 そのデモンストレーションとしてただ今、インフォメーションハウスにて、当日作る円盤型の宇宙船のほかに簡単に出来るおもしろ工作(テーブル1台分だけですが)と巨大メカザウルスの展示を行っています。
 お近くの方はお出かけください。
 

◎工作教室
 午前11時より15名・午後2時より15名
 

 ところで、早くもすでに来年の夏のオファーが入ってしまいました。
 
 7月の多忙を極めていたころ、某所から来年の夏にワークショップをして欲しいという電話が入った。
 
 場所だけは決まっているが、どれくらいの規模で、何日くらい行うのかまったく未定。
 
*この太陽の写真をクリックして拡大をすると、一層暑くなるかもしれないのでご注意ください。 
 ンな、バカな・・・。 

 この混乱の7~8月を避けて、9月になってから打ち合わせということになったが、来年もハードな夏になりそうだ!

 とりあえず、この夏熱中症などでは死んではいられないことになった。


快眠・快食・快便

2015年08月05日 | 不思議

 いやはや、この7月の3週間はキツかった。
  
 7月10日住んでいる団地の芝生の刈り込みが始まった。

 芝生の面積、約35000平方メートル(1万坪強)これを団地の70歳を過ぎた6人のG-3(ジースリーではなく、ジーサン➞爺さんと読みます)たちが炎天下で行うかなりハードなアルバイトである。
*6人のメンバー全員が揃うことは稀で、それぞれの仕事やボランティアなどの日程をクリアーしながらの参加だから日によっては2人か3人しか出てこれない日もある。

 それぞれの日程や、雨の日もあったりするから、この1万坪の芝生を刈り込むのに1週間から10日はかかる。

 その日も団地の中で熱中症の患者でも出たのか、私たちの作業中にも団地に救急車がやって来て病人を搬送して行った。

 それにしてもG-3の仲間は元気だ。
 これまで一人の死者も出さずに炎天下の作業を続けている。

 もっとも、午後2時半になると食後の血糖値を計って記録をしておかねばならない人もいるし、社長も同じOver70だから、これまでは午前10時と午後3時には休憩をとっていたが、最近は社長自らが1時間ごとに「ちょっと休憩しよう・・・」と声をかけてくる。

*社長も事務所でクーラーにあたっているわけではなく、他のG-3と同じ作業をしている。

 かく言う私も一日の作業が終るとシャワーだけを浴びて、整骨院に通って明日のパワーを注入して来る毎日だが・・・。
 それでも、一連の日程を終えると、体重は2kg程度落ち血糖値も下がる。


 団地の芝生の刈り込みが終ると、翌週からはかかし作りの指導が待っている。
 かかし作りと言うのは、この町では20数年前から毎年9月になるとかかしまつりが開催され、地元の小学校からも毎年5年生15チームがこのまつりに参加をしてくれる。

 とは言ってもかかしなど作ったことのない子どもたちの指導は、もう10年以上も私とこの町のかかし名人のHさんの二人がボランティアで引き受けてきた。
 
 そして今年も、10日間は農家の納屋で子どもたちとかかし作りに取り組んできた。
 
 今年の夏は特に暑く、学校から大きな扇風機が運ばれてきて、さらに熱中症計なるカラオケのマイクのような測定器が持ち込まれ、この数値が30(気温ではなく、いろいろなデータを組み合わせた指数)を越えると作業中止となるが、幸い大型の扇風機が功を奏したか、予定の7月28日まで納屋の中はこの指数を越えることはなかった。
 
 今年のハードスケジュールはこれで終ったかに思えたが、8月2日は町内の夏まつりで、家庭菜園を営む6人の野良者がそれぞれに持ち寄って野菜屋さんごっこ・・・。
  
 
このいろいろなトマトが私の菜園からの出荷?です。

 これだけあった野菜も、11時オープン・12時7分には完売、閉店。

 そして最後は翌日3日の八王子こども科学館での工作教室。
  

 これが、1日3回で75名の宇宙船作りとあって、かなりダメ押し的なハードさで撃沈した。
  

 しかし、私は不死身です。
 今日(8月5日)からまたまた快眠・快食・快便で復帰しました。

 75歳の暑い夏はまだまだ続く・・・かも知れない。