もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

大峰山その2

2010年04月27日 | 旅行記
 さて、N社の業務研修を終え、先達の後に続く18才と22才の8人の若者8人プラス私は、まずバスの終点、吉野郡天川村の洞川(どろがわ)温泉で下車したときは小雨の中だった。
 
 午前10時、般若心経を唱え(といっても、般若心経など知らない一行だったが、あらかじめ渡されていた登山のしおりに総ルビの経文が添えられていた)、いよいよ女人禁制の結界門をくぐるとそこはもう修験道の行場で、様々な難所が人が入るのを拒んでいる。Photo
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 傾斜のきつい一枚岩の<油こぼし>、ほとんど直立した岩場を鎖に掴まって登る<鐘掛岩>、<西の覗(のぞき)>と呼ばれる高さが300メートルはあろうかと思われる絶壁から身体を突き出されて誓いをする恐怖のポイントをクリアして山頂の宿坊に到着したのは午後2時。
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 背中のロープ一本だけを頼りに谷底に身体を突き出されて誓いをさせられる「西の覗き」
 もう次の写真の方が状況が分かりやすいかも・・・
写真をクリックして拡大サイズでご覧下さい。
Photo_4 写真は「龍泉寺のしおり」(修験道研究会編)より

 ホっとする間もなく、宿坊で一旦荷物を置くと、<裏行場>と言われるさらなる難行のコースを経て大峰山寺に向かうが、先達の指示に従って岩にへばりついていなければ谷底に転落をしてしまうコースで、撮影が禁止されているわけではないが、絶えず両手は岩に張りついているから、最初の一枚を撮っただけで、あとはカメラを手にするゆとりがなかった。




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裏行場はここから始まる。
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 下は深い谷で、命綱もなく、もし落ちれば必ず死につながる。
2枚の写真は「龍泉寺のしおり」(修験道研究会編)より


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 海抜1719,5mの山頂にある大峰山寺(ルポに掲載したもの)



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 翌朝は午前3時起床で、幾重にも重なる山々を越えて、弥山(みせん)までの苦行が待っている。

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 宿坊での夕食は、麩、昆布巻、山菜、福神漬、味噌汁の質素な精進料理。
 山頂には水場はなく、お茶沸かすもご飯を炊くのも、顔を洗うのも、宿坊の屋根の雨水を雨樋で樽に溜めた水を使う。

 ここまでは2日目に起こるアクシデントの気配もなかったのだが・・・。
 引っ張って申し訳ないが、今日もここでオシマイ・・・最終回の結末をご期待下さい・・・。

 



大峰山その1

2010年04月24日 | 旅行記
 またまた昔話のネタが出て来てしまった。
 仕事部屋で深夜に探し物をしていて懐かしい資料が出て来た。
 ついつい昔の写真を見返したり、資料を読みふけっていて肝心の探し物は見つからなかった。

「今度うちの会社で読売新聞から発行する<THE・奈良>の編集をすることになったから、そこで何か書いてみませんか」
 ある編集プロダクションから電話があったのは平成5年、私もまだまだ生きのいい49才の時だった。

 奈良公園や大仏という、ありきたりの修学旅行コースの取材などはしたくないが、大峰山(おおみねさん)なら興味があるから取材をしてみたいが、この山に入る手続きなどを調べておいて欲しい・・・と私の希望を出しておいた。
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*イラストは掲載記事のタイトルページ。
 一般の多くの人々は山上の大峰山寺だけをお参りをして下山をするのに対して「奥駈け」は、宿坊に泊った翌朝から次々と熊野連峰を巡って山伏の修行をすることをいう。
 牛坂も助という名前は当時イラストと雑文を書くときに使っていたペンネーム。


 半月程して編集部では、奈良県内のある企業の新入社員研修の仕上げに行う3泊4日の「大峰山の奥駈け」に同行して取材をするという段取りをつけてくれた。

 大峰山は役小角(えんのおづぬ)ゆかりの修験道の行場で、物見遊山気分で出かければ命に関わるかも知れないという表現も決して大袈裟ではない険しい山で、今なお女人禁制の山である。
但し大峰山のすぐ脇に、女人大峰といわれる稲村ケ岳という男子禁制の行場がある。


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 当初、一緒に取材に同行しますといっていた編集長は、その後に大峰山の厳しさを知ることになり恐れをなして、別の予定ができて取材に同行出来なくなったから、あなた一人で取材をして来て下さいということになり「もし取材の途中でリタイアとなっても、そのまま書いてもらえばそれだけ厳しい山だということが読者に伝わりますから...」といわれたが、リタイアなぞするものかと取材の3ヶ月前から足腰を鍛えるトレーニングを始めて大峰山に臨んだ。
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第一日目の大峰山の山頂に立つ49歳の時の私の頭髪はこんなに健在だった

 ここまで書いて来たが、この話はまだまだ長くなりそうなので、続きは後日・・・。




移動性高血圧

2010年04月18日 | 雑感
 通常はかろうじて140/85くらいを保っていた上の血圧が、白内障の手術をした2月には190を越えていて、とうとう医者から血圧降下剤を出されてしまった。
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 北の寒気の南下と爆弾低気圧による春の嵐などで異常に寒かった気候もやっと去ったようで、薬を飲んでいても下がらなかった私の血圧も暖かさと共に下がって来た。

 気温の低いときだけの一過性の高血圧はさしずめ移動性高血圧とでも言うのだろうか。

 ところで、この異常な寒さで血圧だけでなく、野菜の値段も上がってしまったが、テレビのワイドショーである経済にくわしいセンセイはこの高騰した野菜の対抗策としてアリガタイというべきか、またアリエナイとも言える3つの提案をしたいた。
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 その1野菜を直売所で買いましょう。
 直売所のあるところはいいけど、日本中ではそんなもののない町の方が多いんじゃあない?
 それに流通の値段が上がっているのではなく、野菜そのものが品不足なのだから、直売所だって値上がり前の値段で売っているわけではなく、往復の交通費をかけて買い出しに行く価値があるのかどうか・・・?

 その2共同購入で安く買いましょう。
 共同購入と言っても、近所の数軒が少しくらいまとめ買いをしたって、生協などのように大量の仕入れをするわけでもなく・・・
 キャベツ5個をまとめて買うから安くして・・・などと中途半端なまとめ買いに応じてくれるところなんてあるのかなァ?
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 その3家庭菜園をやりましょう、本格的な家庭菜園でなくてもベランダなどで簡単に・・・。
 タネを蒔いて二十日大根などの早いものでも収穫までに1ヶ月はかかり、普通の大根はこの季節80日くらいもかかる。

 来月になれば値段も落ち着くであろう野菜の不足にはとても間に合わない。
 それにプランターに植えられたくらいの野菜は、一家4人のおかずにしたら1食分に足りるのだろうか?

 センセイの役立たずのアイデアの開陳に、なるほどいい考えだとばかりのあいずちを打つ司会者もいい加減な人なのか、あるいは的を得ていない話だと思ってもゲストとして招いた人は持ち上げねばならない役目なのか・・・。

 話の方向がそれてしまったようだが、脱線ついでに農政大臣にも一言。

「野菜の出荷を前倒ししてもらう」だと!
 野菜というものは、天候が回復しないのに残業をしたり人手を増やしたりして収穫の前倒しなど出来るものかどうかも判らないものかなァ。

 もしそんなことが出来ると思っているのなら、小沢ガールだか小沢<喜び組>だかの1年生議員を農家の手伝いに出してみたらいい。




トマトの栽培

2010年04月12日 | 家庭菜園
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 ミニトマト、中玉トマトはほとんど放っておいても収穫が出来る初心者むけだが、大玉のトマトは一気に上級者向けの野菜となり、家庭菜園ではなかなか栽培が難しい。

 農家のトマトは根元から上段まで樹の太さが同じ太さで変わらないが、私のトマトは途中から急に曲がりくねったり、太くなったりしてさらに樹はゴツゴツと暴れだす。

 家庭菜園を始めて4年目くらいであまりの難しさに大玉トマトの栽培を数年止めてしまった時期があった。

「もーさん、無肥料で植え付け植え付けてみねぇナ、それからトマトは一番花が咲いてから植え付けねぇと、実がつきにくくなってしまうヨ」

 当時仕事場として借りていた借家の大家さんはトマト農家で、植えつけのときに前作の肥料の残りだけで、新たに肥料を入れないで様子を見ながら追肥だけで栽培をした方がいいということと、若い苗を植えてしまうと樹ばかりが育って実が着かなくなってしまうから、必ず一番花が咲いてから植えるように・・・。
 あわててまだ花の咲いていない苗を買ってしまったら、手間はかかるがすぐには植付けないでポット苗のまま毎日水やりなどの管理をして、花がつくのを待ってから植えるようにとアドバイスをしてくれた。

 こうしてまた私の家庭菜園ではトマト栽培も復活して、大玉のトマトの樹は当面暴れることもなくある程度は収穫出来るようになって来た。
 
 しかし<ある程度>という前提がつくのは、やはり追肥のサジ加減が難しく、3段目くらいまでは収穫出来るが、追肥の後にまた樹はゴツゴツと太くなってその後の実着きは悪くなってしまう。

 年によって、追肥の量を加減したり、また最後まで無肥料のままにしてみたり、いろいろ試みるがうまくいっても5段目くらいまでの収穫で終わり、家庭菜園を始めてもう17年くらいにはなるが、トマト作りは今尚難しい課題だ。

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 折から、新聞の折り込みで4月の7日、8日と続いて近所の2軒のホームセンターのチラシが入って来て、もう夏野菜の苗を売り出しているようだ。
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 数年前からこんなに早い時期に野菜の苗を売り始める傾向にあるが、本来この時期の苗はまだハウスの中で育てられている頃の幼苗で、一番花の蕾みどころか花芽も着いていないものが売られている。
 日曜日にホームセンターをのぞいてみると、広告にひかれて何人かの客がトマト、ナスの幼い苗を買っている姿が見られたが、これらの苗の植時は早くてもゴールデンウィークの頃で、気温の安定しない今年は今から幼苗を植えてしまっては、5月になってまた苗を買い直すことになりそうだ。
 
 こんな幼い苗を売るのは、人間だったら淫行条例に抵触するか児童虐待にあたるだろう。



光が、光が・・・!

2010年04月07日 | 旅行記
 デジカメをコンクリートの上に落とした。
 壊れはしなかったが、カメラの中心から前と後ろの結合部が少し開いてしまった。

 あ! 光が入ってしまったかも・・・。

 カメラ自体はしっかりと前と後ろを押さえてやるだけで元に戻ったが、撮った写真は光が入ってしまってダメになってしまったかも知れない。

 スイッチをONにして液晶画面を確認をしてみたら、画像は無事だった。

 フィルムカメラじゃあないんだから、光が入ってダメになるなんてことはないヨ!

 考えてみればそうなんだけど、37年程前の経験を思い出して昔のフィルムカメラ時代の反応をしてしまった。
 お恥ずかしい・・・。

 その37年前の経験と言うのは・・・。
「面白半分」という当時のサブカル雑誌に掲載した「日本海・銭湯急ぎ旅」というイラストルポの取材で、新潟市を出発点に日本海側の魚津、富山、福井、京都などの銭湯巡りをしたことがあった。
Photo新潟市・みどり湯

 ひとつの町で3~4軒の銭湯に入り、それも1軒ごとにゆっくり身体を洗ってフルコースを連続で入ると、思考力が低下をしてカメラのフィルムを巻き戻さないまま裏蓋を開けてしまったことがあった。



Photo_2魚津市・源平湯

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 エーッ! どうしよう・・・。
 今日の取材写真の1本は全部ダメになってしまったと慌てふためいた。

Photo_4福井市・栄湯

 幸い写真は2台のカメラで撮っていたので、取材はもう1台のカメラの写真に頼ることにしたが、結果的には感光してしまったのは最後の2~3枚分だけ、巻き上げ部分に収まったフィルムには光は入っていなくて助かった。
 今回のデジカメの一件もこのときの気持ちと同じだった。
Photo_5京都市・山田湯

 文中の写真と取材メモは1977年頃、3泊4日で15軒の銭湯に入って来たうちの一部だが、現在は何軒の風呂屋が残っているのだろう。

 こんな昔語りを始めるようではどこかから<もーさん老いたり>という声が聞こえて来そうだ。

 ちなみに、私の干支はウサギで、昔から文部省唱歌でも ♪うさ~ぎ 老いし かの山~・・・♪って歌われているから、私はもう昔から老いていたのです。