もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

久々の取材に応じる

2009年10月31日 | 雑記
 タウン紙の取材を久々に受けることになり、卵の生みっぱなしになっていた(産卵→散乱という駄洒落)仕事場の整理をしてみたら春の展覧会の製作以来、狭くなっていた部屋が半年ぶりに広くなった。
 ー駄洒落の説明をするなヨ!ーPhoto
掲載されたタウン紙の記事

 久々の取材と言うのは、実は1年ほど前に「ぶらり各駅停車の旅」という番組から取材をさせて欲しいと言う申し込みがあった。

 その頃は春の展覧会を控え、製作準備のために多忙な時期だったことと、工房中が製作途中の作品でごった返していて、TVの取材クルーとタレントを合わせると10人前後の人間の入れるスペースなどなかったのでお断りをすることにした。

 海老名という街は人口12万人程度の市だが、地形上JR相模線、小田急線、相鉄線と3本の鉄道が走っていて、一度断ったにもかかわらずその後ふたつの路線から相次いで取材の打診を受けたが、やはり同じ理由で断った。

 先方には伝えていないが、お断りをしたもう一つの理由として以前にこの番組を見た記憶では、ぶらりと立ち寄った街でおもしろいお店や変わったことをしている素人さんを訪ねるという設定が多かったようだ。
 私もその変わったことをしている素人として扱われることに私の自負心が許さなかったこともあった。
*私の仕事を理解してくれていた神奈川TV、関西TVなどの取材には応じたこともある。
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 私の家庭菜園のすぐわきを走るJR相模線

*どうやらTV番組の製作会社は、同じ番組でも路線別に別の会社か別のチームが作っているらしく、私が取材を断ったという情報は社内で伝わっていないようだった。

 こうして3回断って、もうないだろうと思っていたら4回目があった。
 ハテ? この海老名にはもう路線はないはずだが・・・と思っていたら、何と!今度は東海道線の旅だという。
 我が家は東海道線で一番近くの駅は<茅ヶ崎>でそこまではJR相模線に乗って30分はかかる。

「いやぁ、それくらいの距離はテレビ的にはカバーの出来る距離です」と先方ではいうが、やはりお断りをした。

 不況真っただ中という時節がら、選り好みをしていないでどんな媒体の取材でも宣伝だと思って受けた方が・・・といってくれる友人もあるが、若い頃に出版物という活字文化の世界で仕事をしてきた私には、テレビ界の一部にある不遜な一面に馴染めない何かがある。




しみじみとインターネット

2009年10月25日 | デジタル・インターネット
 先日このブログの「面白半分同窓会」(9月7日)の記事に対してベトナムに住む日本人からのコメントが寄せられた。
 コメントと言うより、40数年前にサイゴンで一緒だった阿奈井さんに関する記事を見つけて、その連絡先が知りたいという個人的な伝言だったので、コメントそのものは非公開扱いにして、その内容を阿奈井さんに取次いだ。

 思わぬところで写真を見て懐かしくてという男性からのメッセージを阿奈井さんに取次ぐと「エーっ! 懐かしい人だなぁ、彼とは20歳代の頃サイゴンで一緒に仕事をしたんだと、私の電話と住所も教えてやって下さい」と言った後、パソコンを使わない阿奈井さんはインターネットの不思議さをしきりに驚いていた。

 私のブログをペンタゴンでも北の将軍様の館でも見られることは理屈では私も理解をしているが、実際に外国で阿奈井さんの消息を探している人が、どう言う経路をたどったのかは不明だが、私のブログがヒットして連絡がとれたなどということは私自身も驚きの事態だった。

 さっそくベトナムにメールを返信して1時間後、今度は阿奈井さんから私に電話があり「彼から電話があって、12月にはベトナムで再開することになった」そうだ。

 私がベトナムにメールを返して、何日か経って電話がかかって来るだろうくらいに思っていた阿奈井さんはすぐにかかって来た電話に驚いていたが、私だって如何にインターネットとは言え、外国までのメールだから、そんなに早く届くとも思っていなかった。
 インターネットというものはこういうものなのだ・・・と今さらながらにしみじみと感じ取っている。

 10数年前に阿奈井さんと二人で、ある雑誌の取材で、インターネット上の古書店という取材をしたことがあったが、その頃は私もまだパソコンを使っていなくて、二人ともインターネットと言う概念すら把握出来ず、取材はしたものの、なかなか原稿がまとまらず途方にくれていたことを思い出す。
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1977年、阿奈井さんと私のコンビで「オール読み物」に連載をしていたルポと「面白半分」に連載した料理学校でのルポの原画で、共に30代阿奈井文彦さんの似顔絵。




稲ワラ

2009年10月20日 | 家庭菜園
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「すみませーん、ワラを少しいただけませんか?」
 10月に入ると天気のいい日は市街地を離れて田んぼ地帯に愛車(自転車)を走らせる。

 日本海側や高冷地などではすでに稲刈りの終わった地域もあるが、この辺りでは10月に入ってようやく稲刈りが始まる。

 広い田園風景のを遠くから眺めて、コンバインが動いている田んぼを見つけると愛車を走らせるが、そこで必ずワラが手に入るわけではない。

 遠くから見ているとわからないが、稲の穂を付けたまま刈り取り、それを田んぼで干したあと脱穀をする方法。
 また、穂は摘み取ってしまうが、ワラも細かく刻んで田んぼに撒いてしまう稲刈りなどもあって、私の欲しい長いままの稲ワラを残す稲刈りばかりとは限らない。

 自転車で1回で運べる稲ワラの量はたかが知れている、日に2~3回は運んでも私が必要とする量を確保するにはまだまだ数日はかかりそうだ。
 やっとワラを譲ってもらえる田んぼを見つけたときは、私の畑から5~6キロも離れたところだったりこともあって、1日に1回しか運べない日もある。
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 もらって来た稲ワラを何にするのかと言うと、いくつかの稲束を縛って11月に長芋掘りにやって来る子どもたちの弁当を食べるときのベンチ代わりにしてやれば、街からやって来た子どもたちにとってはそれだけでも田舎の風情が楽しめる。
 稲わらのベンチの役目を終えた後は、冊に架けて冬越しの野菜の風避け、細かく刻んで玉ねぎの苗の間にすき込んだり、来年のスイカの蔓を這わせるところの敷きわら、そして最後に堆肥にしたり灰にして酸性土壌の改良材するなど家庭菜園では多目的にそして無駄なく利用出来る。
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ワラ運びの途中で見かけた燻炭作りの風景

 今日もコンバインの動いている田んぼを探して私は愛車を走らせる。
  



試し堀り

2009年10月14日 | 家庭菜園
 今年の天候は梅雨明けから変な天気の連続で、夏の家庭菜園の収穫は散々だった。
 秋になって台風が去ってから、ようやくまともな秋の空が戻って来てサツマ芋の試し堀りをしてみた。

 天候不順の今年の芋の出来が心配だったが、サツマ芋はまずまずの出来栄で安心した。
 願わくば、長芋、里芋もこれくらい育っていて欲しい。
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 品種は種子島の安納芋(アンノウイモ)黄金千貫(コガネセンガン)で、このうちの安納芋は掘り上げてから40日前後熟成させると甘味が増してより美味しくなると言われているが、熟成前と熟成後の味の変化を見極めるためにも、掘りたての芋もとりあえず試食をしておく必要がある。

 気候風土の違った神奈川県で育てた安納芋だから、種子島産と同じように美味しいかどうか判らないが・・・。

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 んっ! このオレンジ色の見事な美しさに加えて掘りたてでもこの辺りで採れるベニアズマと比べても遜色のないうまさだ!!
 これがもっと美味しくなると言う40日後が楽しみだ。

 どちらの芋も昨年の秋に芋を購入し、タネ芋として腐らせないように春まで貯蔵、芽だし、苗とり、植え付けと手をかけて育てて来ただけに、大きな芋が出て来たときの気持ちは新しい工作をホームページにアップしたときのような感動があった。

 そういえば、しばらく新しい工作のアップをしていない。
 家庭菜園ばかりでなく、本業にも力を入れなくっちゃ~ ならなくっちゃあ、いけなくっちゃあ・・・。
 
 ということで、年内には1~2個の新しい工作を掲載の予定です。
 あまりあてにしないで、ご期待下さい。



孫の運動会

2009年10月10日 | 雑記
 今日は中学校の校庭を借りて孫の幼稚園の運動会があり、観に行ってみた。W

 東京の小学校や幼稚園では校庭が狭くて親たちが観る席もあまりなかったが、ここらでは一家+爺・婆+親戚まで揃って応援をしてやれる広さがあった。
 これは、まだ開会式の時間で、競技の始まる頃にはビニールシートは一族?で埋まる。
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 前もって親たちに配られたプログラムには、こんな注意書きがあると言うことは、やはり前日から席取りに来る親もいるのだろう。

 もっと驚いたのはこんな光景で、校庭の周囲にはビーチパラソル、テントで埋まり、一族で楽しくお弁当を食べる場所になるらしい。

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 あいにく孫のかけっこを観たところで腰痛が出てしまった。

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 明日からは連休になってしまう整骨院に今日の午前中に行きたいので、
後の競技は、後日息子のビデオで見せてもらうことにしよう。

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 駆けっこの子どもたちが正面で見られる場所はビデオ席が設定してあった。

 それにしても幼稚園の先生方は、どうして一様にキャラクターショーの司会のお姉さんのような声で話すのだろう。
 これも今風なのかナ。