もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

折り返し展・その11

2007年12月29日 | 雑記
 今回はいわゆるハウツー物と呼ばれる新書、文庫など実用書に描いたカットである。
 サラリーマンの処世術、社交術、エチケット入門、カブト虫の飼い方、熱帯魚入門などなどいわゆる雑学本だが、これらの本の絵を何十冊も描き、そのために当然原稿を読むわけだから描く度に雑学が自然に身に着いた。

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 こうしたいろいろな実用書の絵を描いた中に「◯◯麻雀入門」という本があった。

 それから10年くらいして、ある雑誌でムツゴロウの畑正憲さんの「花の名人戦」という麻雀小説の連載が始まり、私のところにその挿し絵の依頼が来た。
「折り返し展・その5」(11月1日掲載)の2枚がそのときのものです。
 北海道のある小さな町の活性化のために役場が主催で麻雀の名人戦を開催しようと言う内容で、そしてこの小説の中には頻繁に麻雀用語が出て来て、私など知らない上がり手が出てくる。
 
 麻雀のよく判らない私の役に立ったのが10年前にイラストを描いた実用書だった。
 本棚の隅から昔の本を探し出して来て「花の名人戦」の連載中は毎回その本を参考に上がり手の絵を描いていたせいで、今でも点数の数え方は判らないが、基本的なルールは理解できるようになりゲーム機相手の麻雀くらいはできるようになった。




折り返し展・その10

2007年12月21日 | インポート
 今回の絵は妙高で開催された第10回の日本ジャンボリー記念のTシャツやその他のグッズにプリントをした時の原画である。
 とは言っても、ボーイスカウト日本連名の公式グッズではなく、世田谷8団というただ一団だけのグッズを作ったときのものである。
 ジャンボリーに参加したスカウトたちは期間中このTシャツを着たり、全国からやってくる他の団のスカウトたちと交流をはかるための記念品として使うものだった。
*絵の端に一見サイン風にT.Setagayaと書いてあるのは、東京・世田谷の団を表示している。
 これはボランティアで描いた絵で、仕事で描いているアクのある絵とは一線を画し、なるべく一般受けのする絵を描いて、サインも個人的な色を消すための手段だった。

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 最初にTシャツのプリントをしたのは実はこれに先立つ8年前、1982年の第8回の日本ジャンボリーのときだった。
「世田谷8団は贅沢をしている」
 後に誤解は解けたが、質素を旨とするボーイスカウト活動に、お金をかけてTシャツを業者に作らせていると思われて他の団から批判をされたことがあった。
 しかし、これらのTシャツは業者に作らせたものではなく、原画を描いて写植を貼り、シルクスクリーン印刷の製版までを私がボランティアで行い、リーダーが安売りのTシャツを探してくる。

 そして神社の大広間を借りてスカウトたちの手で1枚1枚プリントをし、お母さん方がアイロン掛けを手伝うなど団をあげての人海戦術で作ったもので、ロットを考慮することもなく、かかったお金はTシャツ代+インク代の実費だけで、決して贅沢にお金をかけて作ったものではなかった。
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 スカウトも手伝いに来た親たちも、Tシャツのプリントが自分達の手でいとも簡単に出来てしまったことに感動して、以来10年くらい私が世田谷をから海老名市に転居するまでことあるごとに、記念のTシャツやワッペン、手拭いなどにプリントをして楽しんでいたが、現在原画はほとんど散逸して残っているのはこれだけだった。


折り返し展・その9

2007年12月08日 | 雑記
 今では1973年の「四畳半裁判」といっても判る人たちはめっき少なくなってしまったが、非合法手段によるイラストルポで話題の法廷内の様子をはじめて絵で公開した。(掲載誌からのコピー)
 今でこそ新聞もTVも写真撮影が許されない法廷の記者席に画家を入れて法廷の様子を絵で表現をするのが普通になっているが、当時はその発想がなく、私はメモをとることも許されない一般の傍聴席で厳しい廷吏の目を盗んでスケッチをしていた。
 このイラストルポがきっかけとなって、その後マスコミ各社は有名裁判ではメモやスケッチをすることが許される記者席に絵描きを入れて、合法的に法廷スケッチなどを見せる形が一般化した。
 
*他の人がまだやっていないことを最初にやろうと言う発想が、現在の「おもしろ工作」の考案と同じなのでしょう。


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 1枚目/法廷内の左側が野坂、佐藤の両被告とその後ろの並ぶ6人の弁護団(5人の弁護士と特別弁護人の丸谷才一氏)。
 右側は検事さんと証人席の開高健さん。
 これだけの中身を係員から退廷を命じられる前にスケッチしてくるのは大変だった。
 法廷の係員が足音もなく近付いて来て、TVのゴチバトルの敗者のように背中をコツコツと叩かれたときには、ほとんどのメモは採り終えていた。
 2枚目の絵は法廷外の寸景、ここではメモもカメラもOK。


「牛坂浩二」のペンネームー番外ー
 旦那! 実は牛坂浩二のペンネームについてまだお話をしていなかったことがあるんです。
 何だい突然に! この際だから全部吐いちまって早く楽になりな。
 石坂浩二さんの<イ>の字はアイウエオ順のカードでは2枚目にあるのですが、牛坂の<ウ>の字は3枚目にあるんです。
 それが何だって言うんだ!
 つまり、先方様は2枚目、あっしは3枚目ってわけだったンです。
 そうだったのかい、そんなオチがついていたとはちっとも気がつかなかったナ。
 へい、長い間そのことを誰も気がついてくれなかったことが気掛かりでしたが、これであっしも楽になれます。
・・・本当に終わり・・・ 

 折り返し展はまだまだ続きます。