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カラーブックスと言うのは大阪の保育社という出版社から刊行されていた600点を越えるカラー文庫のシリーズで1970年代から80年代にかけて全国どこの本屋さんでも売られていた人気の出版物だった。
![Photo Photo](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/7f/62111685aea813ff595eb657c32c46bb.jpg)
このブログを追っていくうちに、何とそこには1974年(35歳のとき)に出版した「手づくり遊び」が紹介されていて、今の年齢の半分だった過去の私が居た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/bz/chick.gif)
この本は昔の手づくり遊びをそのまま紹介したのではなく、<当時の都会生活の中で遊べる手づくり遊び>をテーマにして、我が家の中で実際に親子で遊んでいた(今風に言えば育メンをしていた)ことをまとめたものだった。
そしてその本のーはじめにーで「いわゆる伝承の遊びとか手づくりのおもちゃというものは、古くから伝わるもの、最近になって普及したもの、そして今忘れ去られようとしているものなど、いろいろあり、時の流れ、時代の変化によって消えてゆくものと、その中から生れてくるものがあります・・・」と書いている。
その本を出版した時点では現在の工作おじさんを目指していたわけではなく、誰かがまた新しい工作や遊びを考案してくれるだろうと漠然とした気持ちを表現したに過ぎず、その当時は毎月のイラストの締め切りに追われていて、そんなことを書いたことすら忘れてしまっていた。
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しかし、あらためてその文章を目の前に突きつけられ、現在の自分の姿をかえりみたとき、その気持ちが潜在的意識の奥深くにずーっと残っていて、それが現在のライフワークとなっている「おもしろ工作ランド」につながっていたのだと思う。
「三つ子の魂百まで」なんていうが、35歳の魂も百まで続くらしい。
![Photo_2 Photo_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/c0/4cadfece7acca0842b0d81c6983be734.jpg)
●割り箸鉄砲のページの写真の子どもは私の息子だが、この息子も今ではすでに40歳を過ぎて、私は当時の息子と同じ年齢の孫とまたおもしろ工作で遊んでいる。
まるでデジャブー現象のように・・・。
毎年5月に長芋と里芋の植え付けと11月にはその収穫にやって来るボーイスカウトのリーダーからメールで今年の年間プログラムが送られてきた。
そして5月の予定には「孟さんの畑で種付け」と書いてある!
「うちの畑では種付けなンぞはしないぞ!」・・・とリーダーに電話をする。
種付けというのは牛や馬などの繁殖のために人工的に行う繁殖行為で、種芋の植え付けのことではない。
ところで今年の冬は一段と寒くて、種芋の保存に不安があった。
保存をしておいたところから出してみると寒さには強い長芋は無事だったが、里芋は心配したとおり低温で全部腐ってしまっていた。
この里芋はもともと種芋として購入したものではなく、5年ほど前に食用として農家の直売所で買ったものだが、それがとても美味しい里芋だったので、明くる日にまた買い足してきてそれを種芋として毎年更新してきたものだった。
さて、あのときの里芋は今でも売っているのだろうか、車のハンドルを握ると直売所に急いだ。
(*いつものことですが、私の言う車は自転車ですから)
あった、1袋200円の里芋を3袋買ってきて、その中から芽の部分がつぶれていない15個を種芋に選び、5月にボーイスカウトの子どもたちがやって来るまで保存をする。
残りは夕食のおかずだ。
展覧会の最終日にボーイスカウトの上進式を終えた息子の家族3人が、その足で展覧会の片付けの手伝いに来てくれた。
小学校の2年生になってまだ1週間目の孫も手伝ってくれるという。
<猫よりまし>と言う言葉があるが、孫の手伝いはそんなお遊び的な手伝いではなく、きっちりと任せられる仕事をしてくれた。
大恐竜の解体は無理だったが、解体された恐竜のパーツをひとつずつプチプチの梱包材で包んでテープできっちりと留めてくれた。
「次は何をしたらいい?」
「じゃあ、説明のパネルを全部集めてもらおうかな」
「片付いた箱はドアの外に運んでくれるかな」
「爺ちゃん、僕が手伝うと助かる?」そういって家庭菜園の手伝いをしてくれた1年半前にはまだまだ手足まといなところもあったが、2年生にもなると頼んだ仕事はきっちりと一人前にこなしてくれて本当に助かった。
「今日はお前が手伝ってくれたおかげで、早く片付いて本当に助かったよ、ありがとう」
我が家で夕食を済ませたあと一緒に風呂に入り、おだてではなく孫に感謝の言葉を述べると、孫も爺さんの役に立てたことの誇らしさを感じたような笑顔を見せてくれた。
こうして家族の絆がまた一段と強くなれたのも、展覧会の効果だった。
*
ブログのテンプレートをまた変えてみたら、アクセスカウンターがどこかに消えてしまった。
また当分これでいきます。
私たち普通の人間でも人生のうちで2度主役になれることが出来るといわれ、その1回目が結婚式で、2度目は葬式のときだそうです。
しかし、私は幸せなことにもう少し何度も主役をさせてもらっています。
・・・かといって、何度も結婚式をしたわけではありません。
展覧会、私にとって結婚式と葬式の他にこれが主役になれる時間なのです。
見知らぬ方々からも賛辞を戴き、快適な幻想にひたれるひとときなのです。
心配をした誰もいないギャラリーで時間をもてあますこともなく、会場いっぱいの満員状態こそなかったが、4日間の入場者数は348名となり、終日切れ目のないお客さんの来場で、初日と二日目は昼食を摂れたのは夕方5時半を回った頃だった。
日中は心地よい幻想の中でハイテンションだが、お客さんのいなくなったギャラリーを後に家に帰る頃には初日から腰痛で腰が痛い。
腰痛で<腰が痛い>と言うのでは言葉がダブっている!
いやいや、言葉がダブルほど痛いということだ。
つい30分前までは普通に歩いていたものが、お客さんの姿がなくなるとヘッピリ腰でなければ歩けない。
こんな姿をあまりさらしたくない、知った人に会わなければいいのだが・・・
ギャラリーを出ると明日に備えて整骨意に寄ってから帰宅。
期間中を通してお客様方の会場滞在時間は普通の絵画や彫刻などの展覧会のように一通り目を通して出て行かれるのことはなく、展示作品の中をを行きつ戻りつ30分以上も、長い方は2時間以上も時間をかけて楽しんでくださいました。
また会期中に一度ならず二度もご来場いただいた方、4日間皆勤?お出かけくださった方もあり、この展覧会ではB級アートの世界が子どもたちだけではなく、大人の方々にもご理解をいただくことが出来たことの確認が出来、今後大人の工作教室構想を展開しようとしている私の活動の大いなる励みとすることが出来ましたが・・・それと共に前述のように、やはり年齢は争えないようで、あらてめて体力、気力の衰えを自覚させられた展覧会でした。