世田谷から海老名市に転居をして来てはじめた家庭菜園に、昔我が家の子どもがお世話になった下北沢のボーイスカウトの子どもたちに収穫体験に招待をすることになってもう18年くらいになろうか。
当初はトウモロコシの収穫に招いていたが、夏の菜園は太陽からの逃げ場がなく、途中から健康上の理由で11月の芋掘りに変更をした。
芋掘りといっても、ジャガイモやサツマイモならたいていの子どもたちは幼稚園か小学校で体験をしているだろうから、私の菜園ではビーバー隊(年長~2年生)は里芋掘り、カブ隊(3年生~5年生)は長芋を掘らせている。
そして、3年前からは収穫体験だけではなく、リーダーからの要請で、種芋の植え付け野菜の種蒔き、苗の植え方などの勉強もすることになった。
・・・で、20日(日)にやって来た彼らに、まず落花生の種蒔き、バジルの苗の植え方などの勉強をして、今日ののお楽しみはイチゴ狩り。
* 弁当のときの味噌汁に入れるキヌサヤの収穫をしてお弁当。
弁当のあとはいよいよ本日のメインイベントの長芋の植え付けだ。
しかし、このお世話が大変で、肝心のこの場面の写真を撮るのをすっかり忘れてしまっていたのに気がついたのは、バジルの苗をお土産に彼らが帰ったあとだった。
「虫だって小さな命だから、これを殺さないで・・・」
トマト、スイカの苗の植え付けを手伝ってくれていた2年生の孫が、土の中にいたコガネムシの幼虫を見つけて私にそういった。
命の大切さを学校で習ってきたのであろう。
私だってむやみに殺生をしているわけではなく、害虫として殺してしまうには充分な理由があるのだが、ここはまだ幼い孫の純な気持ちを大切にしてやりたい。
「じゃあ、ここに居てくれたんではトマトが枯れてしまうから、向こうの方にいっていなさい」と幼虫を隣の人の畑に投げ込む。
イヤ イヤ! 隣の人の畑というのは冗談!
自分の畑だが、もう収穫を始めていて少々根をかじられても影響の少ない極早生種のタマネギの畝に投げ込んでおいた。
1970年代、サブカル雑誌で何かと出版界では話題となった「月刊 面白半分」に牛坂浩二のペンネームでいろいろ描かせて(ときには書かせて)もらい、いろいろな人たちとの交流もあった。
しかし、あの頃から40年の歳月が過ぎ去り、現在交流があるのは4人になってしまった。
*これは2009年9月の写真である。
左端が「面白半分」の発行人であった佐藤嘉尚、その隣はカメラマンの石山貴美子、編集者の土屋健、ライターの阿奈井文彦、そして最後は私だが、このうち佐藤嘉尚が昨年亡くなってしまった。
そうした昔の仲間と会って話すことは現在の健康状態と昔の思い出話しかない。
若い人が聞けば年寄りたちがまた同じ話で盛り上がっていると揶揄されそうだが、年をとると喜怒哀楽を共にした仲間との昔話がやけに楽しく、かつ懐かしいものでこれがまた残り少なくなった明日の活力になるのだ。
<残党・・・>そんな単語が頭をよぎる。
「敗れ去った一味の残り」という意味と言うのが本来の意味らしいが、面白半分は敗れ去ったと言うわけではないが、時代の流れの中で消えていった文化と言う意味ではやはり過去の時代の残党なのだろう。
この昔の仲間たちと会うと「面白半分の残党」的な気分になるようになってしまった。
●日没が近い空の光はやがて静かに消えていく その様はまさに残党たちの最後の輝きなのだ。
先日も新宿の居酒屋で「面白半分」の残党が4人顔を合わせて互いの健在を確かめ合ってきた。