もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

人を惚れさせる男

2009年09月25日 | 本と雑誌
「人を惚れさせる男」・・・私のことではない。
 
 誰がお前のことと思うか!

 このブログの9月7日に掲載した「面白半分同窓会」という記事までスクロールして欲しい。
 その記事の中の写真の左端のタバコを手にしたちょっとうさん臭い男が今日のブログの主人公なのだが、さりとて、この男が「人を惚れさせる男」でもない。

 元「月刊・面白半分」の発行人佐藤嘉尚というのがこの人で、この佐藤さんが書いた吉行淳之介伝のタイトルが「人を惚れさせる男」なのである。
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 ところで、この佐藤さんは風貌のうさん臭さと違って、心の底には若かりし頃の文学青年魂がまだ残っているようで、師と仰ぐ吉行淳之介さんの初の伝記を書き上げた。

 本の中味に関しては紀伊国屋書評空間などをお読みいただくとして、佐藤さんは1971年に吉行さんの<肩の力を抜いた生き方>を精神的な支柱とする「月刊・面白半分」を創刊し、初代編集長に吉行さんを迎えるなど、吉行さんに心酔、密着期間も長かったことからもこの伝記を書く適任者だった。

 ここまで書いて来て思い出すのは「面白半分」が倒産した後に<面白半分・臨終号>を発行したのは、奇しくも9月7日に新宿の居酒屋に集まったメンバーだった。
 そして、その折にも吉行さんからいろいろとアドバイスや出版社からの広告をとってもらったこともあった。
 そして、臨終号が苦難の末に発行を終えたとき、吉行さんから私たち臨終号に携わった仲間の労をねぎらって帝国ホテルの近くの中華料理店でごちそうをしていただいたのが今は昔の想い出である。




面白半分同窓会

2009年09月07日 | 本と雑誌
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阿奈井文彦さんから<書籍在中>と書かれた封筒が届いた。
「サランヘ 夏の光よ」(文藝春秋社刊)は阿奈井さんの半自伝的小説で、私はその冒頭の10行に目を通しただけで、不覚にも涙をこぼして私は慌てて本を閉じた。
 2ページ目から先は女房の外出を待って読むことにする。

 いい歳をした爺さんが、小説を読んで涙をこぼしている図など家人に見られてなるものか。

 その冒頭の10行には、27歳の母親が5歳と3歳の子どもを残して結核でこの世を去る場面が描写されていた。
 たった5歳で母親の死に直面しなければならなかった子どもの不安に思いをはせたのか、また、幼い兄弟を残してこの世を去らねばならない母親の未練に同情したのか自分でも涙の理由は判然としない。

 氏とは40年くらい前から、当時のサブカルチャー雑誌として名を馳せていた「面白半分」という雑誌でコンビを組んで連載を持っていた他に、「オール読み物」「産経スポーツ」「諸君!」などで氏のルポに私がイラストを描くと言う形でいろいろな取材を楽しませてもらった。

 氏が朝鮮半島からの引揚者であることは聞き及んでいたが、かの地でそんな悲しい母親との別離をしていたことはこの本を読むまで知らなかった。

 で、この本の出版をダシにして、久々に昔の仲間でいっぱいやろうではないかと音頭をとってくれた編集者がいて、先日新宿のある居酒屋に集まった。

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 暗い店内での撮影で状態が良くない写真だが、左から元面白半分社長(現在はフリーライター)のS氏、カメラマンの石山貴美子さん、編集者T氏、阿奈井さん、私。
 他にもう一人元編集者(現在こまつ座のスタッフ)W氏も来てくれたが、この写真を撮る前に仕事のために中座した。


 当時の面々は、30歳前後の活きのいい若者たちだった。
 40年後の現在も少しは活気は衰えたが、全員まだまだ元気に現役で仕事をしている。

 思わぬ同窓会気分の飲み会となったが、居酒屋での3時間は瞬く間に過ぎ、それぞれ夜の新宿に散って行った。
「夜の新宿へ散って行った」などと書くと何か意味がありそうだが、そうではなくて住んでいる方向がそれぞれに違うから、地下鉄の駅に向かう者、JRの駅、私鉄の駅にそれぞれが散って行ったと言う意味で、皆もう高齢者ですから深い意味などありません。