もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

折り返し展・14

2008年01月29日 | 雑記
 今回は本の表紙などの原画とその印刷上がりと言う括りでまとめようと思ったが、挿し絵と違ってカラー原稿はサイズが大きかったり、イラストボードに描いたりしていて、かさ張るからあまり保存をしていなかった。

 また印刷上がりの表紙カバーなども積極的に保存をしていたものというわけではなく、何かの都合でまだ本棚に残っていたというだけです。
 そんなわけで、あまり数を揃えることが出来なかった。
スキャナーの不具合で多少色のにじみが出てしまいました。

 段ボールの中の原画と本棚の本と合致するものを選んだつもりだったが、 スキャナーで読み込んでいるときにもまったく気付かず、これをアップしようとこのテキストを書きはじめて初めて間違いに気がついた絵があった。

「旧制高校教育」の印刷上がりとその原画のつもりだったが、こうして並べてみてはじめて気がついたのだが、二つの絵は微妙に違う。
 戻って来た原画が永年段ボールの中で過ごしているうちに少しづつ変化をした・・・・なんてことはないから、これは何らかの事情で描き直したに違いなく、これは表紙の原画として使用しなかった方が残っていたのだろう。

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 そこで読者の皆さんへクイズです。
上の<旧制高校教育>の絵の中で「印刷上がりの表紙と原画が段ボールの中で眠っているうちに変化をしてしまった部分はどこでしょう」

答え
 二つの絵の中には、青年が手にしている花の色、右足の角度、背景の校舎の歪み 青年の顔が印刷上がりの方が多少老けている、左右も脚の間のマント・・・などなどの違いがありますが、これは私が描き直したものでオカルトではないから段ボールの中で変化をしたものではありません。
「段ボールの中で絵が変化をしたわけではない」と言うのが正解!





折り返し展・13

2008年01月20日 | 雑記
「最近記憶力が衰えたというボヤキが多いが、それにしては何十年も前の絵をいつ頃に描いたものだとよく憶えているね」と言われる。
 実は記憶力が衰えたフリをしていただけで、本当は・・・と言いたいところだが、記憶力は日に日に低下をしていて嘆かわしい。
 いや!ここ数年、記憶力だけでなく創造力、構成力、企画力、体力、視力、根気などあらゆる能力の退化が著しい。

 去年の秋ことだが、サヤエンドウ、スナックエンドウ、グリンピース、そら豆のタネを蒔こうとタネを入れたビニール袋を手に外に出て、車に乗ろうとしてキーを忘れていて取りに戻る。

 車のハンドルに手をかけたところで、携帯電話も忘れていることに気がついてまた家に戻る。
 最近はこうしたことが多くなって、一度で家を出られなくなっている。
 
 ようやく愛車のハンドルを握って(愛車というのは自転車ですが、何か?)畑に到着、タネを蒔く場所を整備して自転車の前カゴからタネの入った袋を取り出し、さてどのタネから蒔こうかとおもむろに袋を開けてみると、その袋に入っていたのは前日に医者からもらってきた腰痛の貼り薬だった。
 自分の間抜けさに呆れる、というより行く末が心配になってきた。


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 ところで冒頭の件に話を戻すと、いつ頃に描いた絵なのかと言う記述は記憶ではなくて、これには絵の中の暗号で判るようになっている。

 暗号と言う程大袈裟なことではないが、絵の端に<mo>というサインの後に数字が書いてあるが、この数字はその絵を描いた時の西暦の下2桁と月を表している。
 中には年だけしか書いていないときもあり、逆に日まで書いてあるものもあるが、例えば<mo8212>というサインの入った絵は1982年の12月に描いた絵ということである。

 これは後に振り返ったときのために書いたわけではなく、当時ただmoと書いただけでは間が抜けていてサインとしてのおさまりがわるいからバランスを採るために記入していただけだった。
 サインも絵のうち・・・というから。




折り返し展・12

2008年01月08日 | 雑記
 時代物の絵を描くようになったのは、1976年頃に都筑道夫さんの「なめくじ長屋捕物帳」の挿し絵を頼まれたのがきっかけだったが、もともと古典落語の世界に興味があって、江戸の資料を集めてはいた。、

 江戸のことを知りたくていろいろ本を買ったが、私には致命的な欠陥があった。
 それは名古屋から出て来た私には広すぎる東京の地理は不案内で、それゆえに出無精(デブ症ではない)になって、仕事の用のないところには出かけたことがなく、東京の地名は点でしか把握出来ず、江戸の勉強をしていても江戸の全体像を描くことが出来ていなかった。
*例えば古典落語の「百川」という噺でも百川と言う料亭のあった日本橋に当時魚河岸があったこと、噺の中に出てくる長谷川町などの位置関係が把握出来ていればもっと江戸の理解も早かっただろうが、あいにく仕事では日本橋にも長谷川町にも行ったことがなかった。


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 挿し絵などを描くにあたってさほどの資料を必要とはしなかったが、江戸時代には何故か惹かれるものがあって、老後はこれらの資料を読んで過ごそうと思い、仕事には必要以上の資料を持っていた。

 しかしよく考えてみると、私はすでに一般的には<老後>といわれる年代になったが、まだまだ仕事に追われて本を読んで暮らすと言うわけにもいかず、そのうえ昨今は女性と活字を追う気力に欠けて来た。
 昨年仕事場の移転に伴い、これらの資料はこのまま死蔵させるより必要とする人の手に渡った方がいいのだろうという判断でちょっと切ない思いをしたが、文庫本だけをを残してあとは古書店に引き取ってもらった。




明けましておめでとうございます

2008年01月01日 | 雑記
07 日本海側では豪雪との天気予報だが、神奈川は比較的暖かくておだやかなお正月で三が日は晴れの様子。

 暮れになって、今年お世話になった方々に南房総から取り寄せたポピーの花を送り、大晦日の午後には世田谷時代からの知人にポピーと我が菜園の収穫物の長芋と辛味大根を添えて配るために1年ぶりに下北沢周辺を歩く。

 下北沢から帰って、やっと年賀状を作り終えてたが宛名書きまで出来ないままに年越し蕎麦を打ち始める。
 毎年蕎麦を自分で打っているわけではなく、今回初めての試みで、インターネットの蕎麦打ちの記事を読みながらの作業だが、ビギナーズラックとまぐれのおかげで大きな破たんもなく、そこそこに食べられる蕎麦になった。

 下北沢の徘徊?と蕎麦打ちの疲労で、TVの音を聞きながらうたた寝をするうちに鳴り出した除夜の鐘に誘われて氏神様へ初詣で・・・。
 澄んだ夜空の上弦の月が清々しい。
 
 参拝の後の神社のお神酒ですっかり酔いが回ってしまったようで、賀状の宛名書きは夜が明けてから始めることにしよう。