除草、種まき、畝作り・・・この時期、まだまだしなけりゃぁならない農作業は数々あれど・・・。
病院で何人もの年寄りが熱中症で命を落とすほどの猛暑の中で、命をかけてするほどのNO作業でもない。
こんな日は<ガンバラナイ>精神でのんびりしよう。
どうせ、おいらは毎日が日曜日のG-3(爺さん)なンだもん。
こんな日は<ガンバラナイ>精神でのんびりしよう。
どうせ、おいらは毎日が日曜日のG-3(爺さん)なンだもん。
いやいや、今回もブログの間隔が空き過ぎてしまった。
まずは、本題に入る前に、前回投稿をした白花タンポポのその後の報告をしておきましょう。
上の写真があれから一か月後の今日(6月10日)の写真で、前回の姿に比べればそれなりに育ってはいるが、花が咲くまでにはまだまだほど遠い・・・。
というところで、本来のライザップモドキの話に戻しましょう。
畑にいると、ここ1年ほど会っていない茶飲み友達から携帯に電話があった。
「モーさん、最近痩せた・・・?」
畑に向かう私の姿をマンションの5階のベランダから見かけたらしい。
確かにこの1年半ほどかかって、7~8kgほど私の体重は落ちているが、遠くから見てそれが判るのだろうか?
上の大根とキュウリを手にした写真はその日の畑で収穫物を手にした私の写真だが、それまでの私をご存じない方には痩せる前の写真など比較するものがないと判らないであろうが・・・。
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以前(2017年3月)このブログに新品同様と言うタイトルで、私が罹ったリュウマチ性多発筋痛症という高齢者特有の原因不明の奇病らしく、この奇病の症状の中に食欲不振があり、このおかげとでもいうのか、1年半ほどで体重は無理なく4~5㎏は落ちて、74kgくらいになっていたところに・・・。
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この3月の健康診断で不整脈が見つかり、その後総合病院での精密検査で狭心症の疑いが出てカテーテルによる2泊3日の検査入院プラス3泊4日の手術を終えた。
入院中の食事
その入院中の食事は普段の生活の半分程度の量しかなく、さらに、手術前の食事は、そのまた半分という量で、文鳥のエサ程度の量だった。
手術直前の食事
もっとも、私の場合は前述の多発筋痛症特有の食欲不振という症状があるので、病院食の量の少なさに苦痛はなかったばかりではなく、検査入院と手術の7日間でさらに減量が出来、退院の日の体重はどれだけ努力をしても達しえなかった70kgを簡単にクリアしていた。
さらに言えば、ウエストサイズも6センチも落ちて、ベルトの穴も開け直した。
退院後の家の食事量は少し増えてはいるが、病院で寝ているだけの生活ではないので、退院後もう10日以上も経つが、まだ68キロを保てているが、減量だけならライザップとやら並みだが、ライザップは落ちた脂肪は筋肉になるようだが、私の脂肪は何かに替わったわけではないので、体重の落ちた分だけ一度膨らませた風船の空気を抜いたときのように、腹も腕も醜いシワになっているが、なぁに、誰かに見せるわけでもないから、服さえ着ていればカッコいいお爺さんだ!
次の血糖値の検査が楽しみだ・・・。
こころみに
https://www.facebook.com/akieabe
に友達申請してみた。
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上記はフェースブック上で見つけた投稿で、私と同年代(70代後半)のKさんというアーティストの投稿です。
この投稿はアイロニーとして秀逸で、優れたユーモア感覚の持ち主だと思います。
私がこの手法をもし最初に気が付いていれば、私も同じことをしたと思うが、他の人のアイデアをそのまま拝借、便乗する種の人間ではないので・・・・
*ちなみに、安倍昭恵さんからは、まだ友達OKの返事は来ていないようです。
さらに・・・
知ってました?
裏という文字には表が隠れている。表があるから裏がある・・財務省?
これもフェースブックへの投稿で、保守系の党籍を持つ地方議員の投稿です。
いやいや、何とグッドタイミングなウンチクではないか。
この人は若いころ、しがらみのない政治を旗印に当選をしてきたが、そのシガラミとは業界を指すものと思っていたが、所属する政党とのシガラミをも断ち切った勇気に敬意を表したい。
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・・・というわけで、普段は政治的な発言は意図的に差し控えてきた当ブログですが、あまりにもウイットに富んだ優れた投稿に拍手を送りつつシェアをした次第です。
11月になっていろいろ喪中欠礼のハガキをいただいた・・・が、そのうち6人の方々の享年は100歳に近かった。
お亡くなりになられた方々が、いつごろから寝たきりになっていられたのか、最後までお元気だったのかは知る由もないが、まず日本人の寿命が長くなったことにあらためて驚いている。
知らないうちに平均寿命が延びていたようで、私もこれからまだ20年も生きていなければならないとしたら、嬉しいというより、このあとさらに20年をどう過ごしていいのかと当惑の方が大きい。
そして、さらに最悪の空想が頭をよぎる。
いろいろあって、あと20年が経ったのち、あぁ、これでやっとオムカエが・・・と思ったその日の新聞では日本人男性の平均寿命は120歳になったと伝えていた・・・。
*今年も年賀状は木版画にこだわり、今日やっと彫りあげ、どうやら年内投函はできそうだ。
さいわい・・・というべきか、まだ私を必要としてくれている人たちが少しはあり、海老名市の文化会館から、昨日も来年7月の作品の展示とワークショップの打ち合わせに呼ばれた。
*今年の夏の宇宙船ワークショップ
今年の夏には、市内小学校のサマースクール、その他のイベントに招かれ、まだ数年は退屈をしている暇はなさそうだが、この勢いを今後20年持続させるのは難しそうだ。
ここらで景気づけの花火を打ち上げて、少しは知名度をアップしておかねばなるまい。
ネット検索をしていて日本ホビー大賞の応募の締め切りが1月26日だと知った。
本来はこういう賞は若手の登竜門となるものであろうが、応募の規約には年齢制限はなさそうなので、よしっ!新年の吉兆占いはこれにチャレンジをして老人パワーに弾みをつけよう。
締め切りまであと1ヶ月弱というのは少しきついが、年賀状さえ出し終えれば、あとはこれだけに集中できる・・・と、応募を決めただけで気力が湧いてきたような気がする。
オリンピックと同じで、先ずは参加をすることに意義があるのだから78歳のパワーを見てもらおう・・・と思ってはいるが、何しろ応募書類の中に経歴書というのがあり、なまじ無駄に長生きをしていたために、まずこの経歴が長くて作成に手間どっています。
このところ多忙でブログの記事がたまってしまった。
そこで在庫整理のまとめ投稿ということで、失礼をします。
まずは前々回のブログでちょっと紹介をさせてもらったトンボバッジ。
地域のコミセンまつりの体験コーナーで行ってみた。
その作業のシンプルさ、素材の意外性、仕上がりの素朴な手作り感などなどが好評で、若い世代からお年寄りまで幅広い年代層に気に入ってもらえたようで、用意した25人分の材料は閉会時間の前に底をついた。
ところで、このコミセンまつりには、意外なお客さんの顔もみられ・・・・
私たちの大人の工作教のメンバーである伊東さん(代議士Aさんに説明をしている背中だけが見えている人)はこのあと、17日には隣の綾瀬市文化会館で開催された、昔懐かしい駄菓子屋さんのように 、自分の好きなものや得意なものをおみせ形式で見せ合う「だがしや楽校」に招かれて、大人の工作の面白さを披露してきました。
上の写真の絵は、小学生のR君がこの夏休みに全農主催のお米に関する絵のコンクールに出品をして上位入賞をしたものですが、この絵のタイトルは「じいちゃんかかしとぼく」
実は彼が描いたかかしのモデルは昨年の9月に開催された地元のかかしまつりに 私が出品したものなのです。
これがその時のかかしと私です。
ところで、このR君は私が直接何かを指導しているのではなく、臨床美術という分野で彼の絵や立体などの指導をしているフェースブックの友達が、私が20年来ボランティアで世田谷のボーイスカウトの子どもたちを招いて、長芋などの収穫体験をさせているが、その芋掘りの仲間にR君も入れてもらえないかと連れてきたものである。
そして、今年も12月4日、ボーイスカウトの子どもたちがやって来て、いろいろな野菜の収穫体験をしていった。
*上の3枚目の写真は、予定外の収穫物で、カブトムシの幼虫も出てきた。
さて、これで今月の予定が終わり、残るは年賀状作りだけだ。
今年も飽きもせず木版画にこだわろう。
しかし、下絵までは描き上げたが、長年使い古した彫刻刀の切れ味が悪くて、そこから先の作業があまり気分が乗らない。
年に一枚しか彫らない版画で、寿命からいえば今後10枚も彫るとは思えない。
子ども用の物でいいから、今回は新しいものを買って来よう・・・と家を出て、ホームセンターに行く前に、リサイクルショップがあった。
お店で尋ねてみると、店員は店の奥の方から長い時間をかけて探し出し、中古品ですけど・・・といって出してくれた。
「中古」と書いてはあるが、誰かが一度は使ったものではなく、単なる売れ残り商品で、6本入りで値札には398円となっている。
今時彫刻刀などあまり売れるものではないらしく、この値段は少なくとも15年から20年前に仕入れられたままの在庫品と見受けられる。
彫刻刀に賞味期限など聞いたこともないので、これは掘り出し物・・・と喜んで家に帰り、試し彫りをしてみると、版画の板は軽いタッチで彫れる。
去年まで使っていた古い彫刻刀では年賀状一枚を彫りあげるのに4~5日もかかっていたが、この分では2日もあれば彫りあがるであろう。
・・・というわけで、何かと遅れ遅れになっていた今年ですが、年末近くになってやっと帳尻があって来たようです。