![W W](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/95/dd89491910d69f65ef4dea8cb6df4de1.jpg)
本文とは関係のない写真だが、もう色づきはじめた畑のホオズキ。
50歳代で家庭菜園を始めた頃は、60歳まで元気に畑を続けられるだろうかと心配をしていた。
これは24才で東京に出てきたときと同じ気持ちだった。
東京に出てきてイラストレーターの卵として1ヶ月が過ぎた頃、1ヶ月暮らせたのだからあと3ヶ月くらいはまだ大丈夫だろう。
そして3ヶ月が過ぎて、あと半年くらいは大丈夫だろう。
1年東京で食って来れたのだから、もう1年くらいは食っていけるだろう・・・の延長で、東京暮らしが30年も続いてしまった。
海老名市に転居をして始めた家庭菜園も、全く同じ気持ちで早や18年になり、四捨五入すればもう70歳と言う歳になったが、まだ元気にやっていられる。
しかし、自分ではまだまだと思っていても、70歳という年令は客観的に見ればどう足掻いてみても高齢者に違いがない。
![20 20](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/ea/2f6b3d59b82d951d0c52aa9dd9f25802.jpg)
ブラックベリーが実をつけ始めたが、この実が真っ黒になると食べごろ。
四捨五入・・・極めて大雑把な数値の把握法で、どうせ大雑把な要約なら四捨五入でなくて、三捨四入でも一捨九入でもいいのではないか。
いやいや、いっそ四捨五捨にしてしまえば私は一気に60歳まで若返ることができる・・・などとバカなことを考えるが、表現をどう言い換えてみても気力、体力の実体が60歳まで戻るわけではない。
東京に出てきたときに例え数年でも東京で食うことができれば・・・と思っていた初心に還れば、もうこの世から引退をしてもいい年令になってしまった。
いつだったか、私がまだ老人として初心者だった頃に70代、80代の先輩諸氏の枯れた風格を寿司屋のメニューになぞらえて、松、梅、並みの老人と見立て、早く自分も<松の老人>になりたいものだと思っていたが、風格は伴わないが年令だけはどうやら<梅の老人>になってきた。