もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

シシャゴシャ?

2009年06月29日 | 雑感
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 本文とは関係のない写真だが、もう色づきはじめた畑のホオズキ。
 50歳代で家庭菜園を始めた頃は、60歳まで元気に畑を続けられるだろうかと心配をしていた。
 これは24才で東京に出てきたときと同じ気持ちだった。
 
 東京に出てきてイラストレーターの卵として1ヶ月が過ぎた頃、1ヶ月暮らせたのだからあと3ヶ月くらいはまだ大丈夫だろう。

 そして3ヶ月が過ぎて、あと半年くらいは大丈夫だろう。
 1年東京で食って来れたのだから、もう1年くらいは食っていけるだろう・・・の延長で、東京暮らしが30年も続いてしまった。

 海老名市に転居をして始めた家庭菜園も、全く同じ気持ちで早や18年になり、四捨五入すればもう70歳と言う歳になったが、まだ元気にやっていられる。

 しかし、自分ではまだまだと思っていても、70歳という年令は客観的に見ればどう足掻いてみても高齢者に違いがない。
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 ブラックベリーが実をつけ始めたが、この実が真っ黒になると食べごろ。

 四捨五入・・・極めて大雑把な数値の把握法で、どうせ大雑把な要約なら四捨五入でなくて、三捨四入でも一捨九入でもいいのではないか。

 いやいや、いっそ四捨五にしてしまえば私は一気に60歳まで若返ることができる・・・などとバカなことを考えるが、表現をどう言い換えてみても気力、体力の実体が60歳まで戻るわけではない。

 東京に出てきたときに例え数年でも東京で食うことができれば・・・と思っていた初心に還れば、もうこの世から引退をしてもいい年令になってしまった。 

 いつだったか、私がまだ老人として初心者だった頃に70代、80代の先輩諸氏の枯れた風格を寿司屋のメニューになぞらえて、松、梅、並みの老人と見立て、早く自分も<松の老人>になりたいものだと思っていたが、風格は伴わないが年令だけはどうやら<梅の老人>になってきた。



この花は何の花?

2009年06月23日 | 家庭菜園
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今 私の隣の畑に今まで見たこともない花がいっぱい咲いている。
 これ何の花だか判りますか?

 もっとアップで見れば判るかも知れないって・・・。
 それじゃあ、アップにして、こんな花とか・・・。

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 こんなのもあるよ。

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 もっと大きくして確かめたい方は、それぞれの写真をクリックしてください。
 色合いは地味だが、結構存在感のある花でしょう。
 でも花屋さんでは売っているのを見たことがない。

 実はこれは人参の花なんです。
 そう、あのニンジンです。

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 くどいようですが、野菜のニンジンです。

 ニンジンにこんなにきれいな花が咲くなんて、農家の人でもあまり知らないようです。
 そりゃあ、農家でニンジンに花なんか咲かしていては売るものがなくなってしまうもんね!

 私の隣の畑のおじさんが収穫しないままにしていたニンジンが花をつけてしまったというわけです。

 家で料理に出て来るニンジンは食べないわけではないが、あまり積極的には食べたくない野菜なので、これまで私の菜園で作ったことはないが、来年は花を咲かせるためにニンジンのタネを蒔いてみようと思う。



高校の同期会

2009年06月19日 | 雑記
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 16日、久しぶりに名古屋まで墓参りに行き、そのついでに、高校の同期会にも出席をしてきた。

 決して同期会のついでに墓参りをしてきたわけではない。
 そんなに力むと余計に言い訳がましいぞよ・・・
  あ、ご先祖様もこのブログを読んでくれていたのですか? 本当はついで参りでした。ゴメンナサイ。

 名古屋の墓のほとんどは名古屋の東方に360°見渡す限り墓石が並ぶ丘陵地帯の平和公園にある。

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 私が中学生から高校生のころ、区画整理のために市内278寺の墓地は尾張徳川藩の歴代藩主や忠臣蔵の片岡源五右衛門など由緒のある墓も移転させる徹底ぶりでここに移された。
 
 
 ところで、高校時代の集まりは毎年開催される「同窓会」の他に、不定期で行われる「同期会」「クラス会」「柔道部の集まり」がある。



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 今年の同期会は古希を記念して開かれ、そしてこれが最後の同期会となる。
 卒業後50数年、ほとんど一人で同期会の幹事をしてくれたO氏はまだまだ元気だが、なにしろナマもののこととて永久にやっていられることでもなく、とりあえず元気なうちに一旦中〆めということか・・・。

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 50年も昔のことで1クラス50人学級が9クラス、同期の仲間は450名以上もいたから、在学中は毎年クラス替えがあったが知らない顔の方が多い。
 もっとも、卒業後50年以上も経つと同じクラスの仲間でも同級生だったのか恩師だったのか判らないのもいる。

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 ちなみにこの写真の中央に後ろ姿で写っているハゲ頭の人ただ一人がかっての先生で、あとは恩師にも見えるが皆同期生。

 450名中連絡がとれるのは360名とかで、そのうち最後の同期会には96名の多数の参加があった。
 このブログをご覧の方で、転居などでこれまで同期会の連絡のなかった愛商5回生がありましたらホームページからメールをください。
 同期会は一旦は終わりになりましたが、ハプニング的にまた開かれる可能性がありますので・・・。






家庭菜園におけるangler systemの導入

2009年06月09日 | 家庭菜園
 3月の横浜と5月の能代で開いた展覧会準備のために1~4月はほとんど畑に行けず、冬越し野菜に追肥が出来なかった。

 その影響が今如実に現れて、ジャガイモ、玉ねぎは大きく育っていない。

 今日掘り出したジャガイモも小さなものばかりで、このまま家に持って帰れば「どうしてうちでは小さな芋しか出来ないの!」と罵倒されるだけで、このままでは持って帰れない。
 かといって、これから肥料を与えても芋は大きくなるわけはない。
 さりとてジャガイモの出来が悪いだけで、家出をするほどのことでもない。
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人間はひとくきの葦にすぎない。
自然の中でもっとも弱いものである。
だが、それは考える葦である。

 中学校の教科書だったか、高校の教科書で習ったのか定かではない
が、突然にフランスの哲学者・ブレーズ パスカルの言葉が頭の中をよぎった。

 深い意味などは全く憶えてもいないが、人間は考える葦であるということは、私も考える葦なのだから、ここは大きく育ったジャガイモを持ち帰る方法を考えねばならない。

 で、考えた。
 それはangler(釣り人)方式を導入することだった。
 
 つまり、釣り人が釣果のなかった日には、帰り道の魚屋に寄って家路につくというあの方式である。
 農協の直売所に自転車を走らせ、泥付きのジャガイモを購入して自作のジャガイモと混ぜてしてしまえば、ほらこの通りたちまちジャガイモの豊作となった。



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 これが、家庭菜園における釣り人システムの導入である。

これは内緒話だから、あまり他人には言わないでヨ。
 ましてインターネットなどで、公開しないでネ!





アラカン2

2009年06月04日 | 映画
 アラカンといっても、アラウンド還暦のアラカンなどという昨日や今日に流行りだした薄っぺらなアラカンなどではなく、チャンバラスター本家アラカンの嵐寛寿郎のことである。

 昨年2月26日の記事に嵐寛寿郎のDVDを見つけたという話をこのブログ書いたが、それは私が子どもの頃に憧れたヒーローの鞍馬天狗でも右衛門捕物帳でもなく、アラカン演じる桂小五郎や近藤勇だった。

 それはそれで、久しぶりに出会えたアラカンに痺れさせてもらったが、それでもアラカンの鞍馬天狗に会いたい願望はますますつのるばかりだった。

 あれから1年3ヶ月バッタもン屋でついにアラカンの鞍馬天狗を見つけた。
「横浜に現われた鞍馬天狗」というタイトルには聞き覚えもないが、昭和17年の製作というから、私がまだ3歳の頃の映画で私が知っているわけもないが、あらためてそんなに昔から鞍馬天狗は存在したのかと感慨が深い。

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 時代劇の父と言われた伊藤大輔監督の鞍馬天狗は、私が小学校時代から中学生のころに観た活劇映画の鞍馬天狗とは違って、推理仕立ての映画だったが、何せ大昔のフィルムだから台詞が聞き取りにくい。
 途中でフィルムが切れているのか画面が突然に飛び、その空白の部分はこちらでいろいろ推測をしてストーリーをつなぎ合わせるという鑑賞眼ならぬ鑑賞技を必要とした。

 でも、それでもアラカンの鞍馬天狗に会えただけで嬉しいような気もするが、トレードマークの宗十郎頭巾姿で現れるのはわずか1シーンだけで、全編を通して探偵・倉田典膳としてしか登場しないのが物足りない。
 アラカンフリークとしてはちょっと複雑な気持ちになる映画だった。
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これが私の中にあるアラカンのイメージで、こんな鞍馬天狗の勇姿をもう一度見たいものだ。