もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

また面白半分時代の灯がひとつ消えてしまった

2014年04月28日 | 交遊録

 有縁の方と思い、初めてメールいたします・・・という書き出しで、見知らぬ方から旧友Tさんの訃報が届いた。。

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T氏が亡くなりました。
お通夜4/27(日)18:00~   
告別式4/28(月)13:00~
いずれも〇〇・〇〇寺
04〇〇-〇〇-〇〇〇〇

私は、〇〇出版で机を並べていた〇〇と申します。

ー中略ー

個人的にブログ読者なので、大変失礼ながらメール送信した次第です。

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 私とは面識のなかった方からだが、故人を介して私のブログ「もーさんのひとりごと」をウオッチしてくれていた人のようだったPhoto

 Tさんとは70年代のサブカル雑誌として名を馳せた「月刊・面白半分」ほ編集者と執筆者という立場で、新潟から京都までの銭湯を訪ねる「日本海銭湯急ぎ旅」というルポ、アイロニーの「人の殺し方教えます」という連載などを担当してくれ、また開高健編集長の時にはノンフィクション作家阿奈井文彦さんと私と故人の3人で当時四谷(四谷三丁目だったかもしれない)にあったモランボン料理学校に半年通い「朝鮮料理入門」という連載も担当してくれた。Photo_5
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 面白半分社が倒産して廃刊になったときには、故人と阿奈井文彦さんと私それに吉行淳之介さんの支援をいただいて、「面白半分・臨終増刊号」なるものを刊行した仲で、以前にも編集者と執筆者の関係についてこのブログで書いたことがあったが、当時の面白半分の同窓生?たちも時折新宿東口近くの「犀門」で酒を酌み交わしていた。

 ところで、昨日通夜の席のお清め所で、Tさんの訃報を別ルートで知らせてくれた面白半分仲間たちとも会うことができ、故人の思い出話に耽っていると、私の目の前の人からゴトー孟さんですか?と声をかけられた。

Photo_2 はて、面白半分時代の私を知る人は牛坂浩二のペンネームでしか居ないはずなのに・・・と思っていたら「メールをしたFです」と言われた。

 何と100人くらいの通夜の客で混み合うお清め所の混雑の中で、故人の訃報を知らせて下さった方が、目の前の席だったという奇遇はそれこそ仏のお導きというより他はないPhoto_3

 面白半分同窓会の中心的役目をしてくれていたTさんを失って、同窓会はもう開かれることもなさそうだが、今度は向こう岸で先に逝ってしまった人たちとの会をまとめてくれるのだろう。

 Tさん、これまで長い間ありがとう、やすらかにお休み下さい。-合掌-
 

 それはさておき、この日のブログのアクセス解析をみると、故人との交流を書いた面白半分時代の同窓会的な記事を誰かがバックナンバーから検索してくれていた形跡もあった。
 故人の訃報を聞き及び、その確認をしたかった人かもしれない。
 このブログがそんな方々へのお答えになることも念じつつ・・・。


あの人にあいたい

2014年04月22日 | パソコン

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  一月のブログにYouTubeで嵐寛寿郎の鞍馬天狗に出会えたという話を書いたが、その後2月になってからテレビが故障をしたことがきっかけで、NHKの受信契約を解除してテレビのない生活をはじめて約2ヶ月が過ぎたが、日常にそれほどの違和感もない。
*写真は嵐寛寿郎の鞍馬天狗と美空ひばりの杉作。

 まず野良仕事中心の生活には欠かせない天気予報は海老名市内にアメダスのあることから、テレビよりピンポイントの情報がネットで得られる。
 ニュースもネット情報の他に民放4局の映像ニュースも見られる。

 娯楽の面でいまはまっているのが、YouTubeで昔の映画、ドラマの中に懐かしいあの人を探すことにはまっている。
 懐かしいあの人とは言っても、知人ではなく私の少年時代に観た時代劇、西部劇のヒーローたちである。Photo_2
 

*長谷川一夫の銭形平次Photo_3


*市川雷蔵の眠狂四郎






 
また私たちの世代ではタイトルだけは知っているが実際ストーリーは知らない大昔の映画もある。
 大きなガマの頭にのって現れる忍術使い児雷也、川口松太郎の愛染かつら、雨月物語などもその口だったが、これもYouTubeであらためてそのストーリーを知った。Photo_4
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*若かった頃の上原謙(加山雄三のお父さん)と田中絹代





 
小津安二郎の文芸ものにも出会えた。
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 映画・ドラマでは忠臣蔵はイヤというほど何本もあって、それぞれおもしろくて感動物ではあるが、一本が長いこともあってとても全部は見切れない。Photo_10

 また当時はまだ10代だった若い頃の吉永小百合と、今は時代劇の大御所高橋英樹伊豆の踊り子もあった。Photo_11

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 映画の他にも力道山、浪曲最盛期のころの2代目広沢虎造も現役時代の長島茂雄見られた、探せば野村克也も出てくるかもしれないが、私はこの人の姿など見たくはない。
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 それだけではない、 ゲーリークーパー、アランラッド、ランドルフスコットの拳銃さばきも見られる(ただし吹き替えでもなく字幕もない)、徹夜の仕事ではこの西部劇の映画音楽メドレーを聞きながらテンションを上げて仕事をしている。
 ただし、これらの一本丸ごとみられる映画だけでも相当な数があって、よほどの長生きをしないと全部は見終わりそうもないが、それ以上に予告編だけだとか、あらすじだけというのも無数にあって、この中から丸ごと映画を探し出すのに手間がかかる。


夏休み工作教室の準備-1

2014年04月16日 | 工作

 夏休み工作の準備がもう始まった。
 昨年、横浜の子ども科学館では昨年に続いて今年の夏も「がらくら宇宙船」の工作教室を行う方針を決めているが、問題は昨年7倍という抽選に漏れて参加できなかった1700人以上の子どもたちの対策をどうするかという課題を解決しなければならない。
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*科学館のエントランスで公開制作をした宇宙船。

 

 答えは簡単で、も~さんが昨年並みに8日間の工作教室の他にあと40数日だけ出てくれれば解決できる話です。

 バカを言うんじゃあないよ。
 あの猛暑の夏を夏休み期間をもオーバーする日数も科学館まで通ったンでは、大事に使えば一生持つ身体が途中で終ってしまうかも知れないではないか。

 ついうっかり話しに乗ってしまいそうになってしまった。

 もう少し実現可能な話をしようよ・・・というわけで、今年は昨年と同じがらくた宇宙船他に、新たに「も~さん流のがらくた工作」3点を開発して、それを科学館のスタッフが指導をする体制が取れれば館内では同時開催で私のがらくた工作教室を開催することで対処をしたい・・・ということになった。、

 で、新たなテーマの一つめはは小惑星探査機「はやぶさ」ということで今年の夏休み工作教室で作る「がらくた工作」の試作が出来た。

 手のひらサイズの小惑星探査機「はやぶさ」のミニチュアだPhoto_5

 しかし、一応の形は出来たが、私の作品として世に出すにはもうひとつグレードが低いのは太陽光パネルの素材だ。

 まる一日考えて頭に浮かんだのはホログラムの折り紙だった。
 さっそく100円ショップで購入したホログラムの折り紙、108円だった。●幻想的に光るホログラム
 もう数日早く気がつけば105円で買えたのに・・・。

*今回は話が長すぎるので、以下は後編(一挙公開)に続きます。
このまま画面をスクロールして続きをご覧下さい。


「夏休み工作教室の準備-2」

2014年04月16日 | 工作

 さて、前回からの続きです。

 この際3円くらいどうでもいいから、早く試作の2号機を作れよ!

 そうだった、締め切りまで時間がないのだ。

 徹夜の仕事でしあげたはやぶさ2号機のグレードは数段上がったが、予定の工作に仕上げるには少し大きすぎたが、窓の外は白々と明けはじめたので一旦睡眠をとることにしたPhoto

 かくして夜も寝ないで昼寝をして、よりコンパクトな手の平サイズのはやぶさ3号機が完成して、これならどこに出しても恥ずかしくはない完成度になったと自己満足Photo_2 Photo_3

 ここまでの作業は試行錯誤をしているから、子どもたちに作らせた場合どれくらいの時間で作れるのかわからない。
 そこで最後の仕事は工作教室の時間設定のために製作時間の計測をしながら3号機を作る

 このはやぶさの工作はここで終わりではなく、さらにこれをどう飾るのかということになるが、それと二つめ、三つめの工作の紹介はまたの機会に・・・。


花いかだ

2014年04月11日 | 雑記

 この一ヶ月は春の工作教室、夏休み工作教室の企画と試作・・・といつも〆切に追われていて、世間では賑わっていた桜もゆっくり眺める間もなく終ってしまった。Photo_3

 ふと気がつくと、ほとんど散ってしまった桜の木が水路の水面(みなも)に写り、上流から流れてきた花筏がその枝に重なり水面に写った枝に再び花を咲かせた。

 風情のある光景だ。Photo_4










そこで一句。
 花筏 海老名の里の 侘び住居(盗作)