もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

ジィモ

2007年03月14日 | 家庭菜園
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ジィモ=爺芋という思い込みをプリンティングされた60年前の森先生の後ろ姿のイメージ 。



 暖冬だった今年はジャガ芋のタネ芋は早々と2月の中旬に植え、山芋の中でも寒さに強い長芋も3月のはじめにもう植え付けてしまった。
 いずれの芋の植えつけも例年より半月早い。

 次なる芋の植えつけは里芋で、タネ芋の準備はすでに整いあとは気温の上がり方と相談しながらになるが、気分はもう収穫期に飛んでいて、あのねっとり感の「八つ頭」、ほくほく感の「土垂(どたれ)」などの食感が蘇ってきて早く植えたいと気が早る。
 
 子どものころからも、里芋は嫌いな食べ物ではなかったが、里芋がしみじみと旨いなぁ~と思えるようになって来たのは歳のせいかも知れない。

 ところで、この里芋のことを私が子ども時代を過ごした愛知県の方言だったのか、あるいは昔はどこでもそう言っていたのか定かではないが、子どものころは<ジィモ>と呼んでいたことを思い出した。
 
 文字で書けば<地芋>と書くのだろうが、子どものころは音で <ジィモ>と聞くだけだから、私は長い間 <ジィモ=爺芋> と解釈をしていた。
 というのも次のようなわけがある。

 空襲を逃れて名古屋市の郊外に疎開をしていたが、その疎開先で入学した小学校に森先生という禿頭のお爺さんの先生がいて、森先生の後ろ姿を見た一年生の私は瞬間的にジィモ=爺芋という誤解を刷り込まれたのだった。

 その後いつのころまでジィモと呼んでいたのか、そして里芋を呼びはじめたころの境目はいつだったのかまったく記憶もないが、今でも里芋を植え付ける度に疎開先で入学した小学校の森先生を思い出している。



婆-ルフレンド

2007年03月05日 | 雑記
Photo_37もうじき閉鎖になる旧公民館
 
Photo_38 まもなくオープンする新しい公民館。あのころの婆ールフレンドたちはもうここに現れることはない。


 世田谷から海老名市に転居して3月でもう16年が経った。
 引っ越して来て2年間は、家庭菜園の畑を借りるルートがなく、工房の前の1㎡くらいの小さい庭と駐車スペースにプランターを並べて花も野菜も雑多に植えていて、仕事が煮詰まってしまって、アイデアが出なくなると外に出て気分転換に花の手入れをしていた。

 工房の前の道を公民館に踊りやカラオケに通う私の親くらいの70歳代後半のお年寄りたちが通りかかり、花談義、野菜談義から、新参者の私に地元情報をもたらしてくれたり、私たちと一緒に踊りをしませんかと老人会へ誘ってくれる人もあった。
 当時はまだ50歳代の前半の私だったが、工房に借りている借家の外観は看板などもなくどう見ても住宅で、そこで仕事をしているようには見えないから、昼間ッから花や野菜の世話をしている私は退職老人に見えたらしい。
 こうしていつの間にか、私の工房の前は公民館帰りの5~6人の婆ールフレンドたちとの交流の場になっていた。
             *
 やがて私も畑を借りることが出来て、ヒマができると畑に出向いてしまい、婆ールフレンドたちとの交際も疎遠になっていった。
 あれから16年があっという間に過ぎていったが、ふと気がつくと今では町中であの婆ールフレンドたちの姿を見かけることがなくなっていた。
 
 老人会のカラオケ、踊りの会そして私たちも「かかしまつり」の会合などに使用していた公民館も老朽化してこの春には新築された別の場所に移ることになる。
 この町は今、人も建物も新旧入れ替わりの節目の時期のようだ。