もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

夏野菜がそろそろ

2015年06月22日 | 家庭菜園

 *写真は男爵
 タマネギの葉が倒れると収穫時期で、これを軒下に吊るして保存をする。
 相次いでジャガイモ男爵、キタアカリ、メークインの3種も収穫する。
 しかし、これは日光にさらすと食べられなくなってしまうので、風通しの良い篭に入れて黒い布で覆って保存をする。

 どちらも半年分くらいはありそうだ。
   
  7月になってから初収穫の予定だったトマトが思いのほか早く採れ始めた。
 今年は大玉、中玉、ミニトマトを合わせて30株以上は植えているから、中にはオマセなトマトもいるらしく、ほとんどがまだ青い中で、早々と数株のトマトが色づき始めた。

 トマト大好き人間の私の朝食は、まず数枚のリーフレタスの上に大きなトマトを厚めに切って、ティースプーン1~2杯の砂糖を振り(その分コーヒーはホットでもアイスでもブラック)、その上にソース(ソースはウスター、中濃、とんかつソースお好みで)をかけ、トマトを数回フォークで突く。

 少量の砂糖、トマトの果汁、ソースのミックスはレタスの絶妙のドレッシングとなって、これをトーストにのせて食べる。
 名古屋弁で言うと「どえりゃあ うみゃあでかんわ!」となる。
 ぜひ夏場だけでも、喫茶店のモーニングサービスのメニューに入れてもらいたいものだ。

 このオンザトマトの朝食はこれまで、農家のハウストマトが頼りだったが、これからは自前のトマトで賄える。
*万願寺唐辛子  
 ナスは生育が遅れているようだが、万願寺唐辛子も収穫期に入った。

 キュウリは連日7~8本が収穫でき、ちょっと採れ過ぎ。
  *星型のキュウリの原因と結果
 そんなキュウリでちょっと遊んでみた。

 去年のシーズンオフとなった11月になって、アクリル製のハート型と星型のキュウリが作れるというケースが安く売られていたので、孫が喜ぶだろうと買っておいたものだ。

 購入してから半年振りに出番になったキュウリケースは、孫だけではなく大人の遊び心もくすぐったようで、野良仲間にも評判がいいが、いざ使用してみると、このケースは取り付けは簡単だが、ケースを開いて中のキュウリを取り出すのは簡単ではなく、説明通りにやるとケースが壊れるか、自分が怪我をする。
 
 私も最初に怪我をしたが、周りが喜ぶから工夫をしながら使っているが、自分で工夫の出来ない人にはとても使いこなせない代物である。

 ともあれ、野良好きの私にとっては夏野菜の収穫期になると、もう家でじっとはしていられない。

 ところで、以前私のヒゲ面をお見せしたことがあったが、あのヒゲはまだ剃っていない。
 というのも、当地で9月に開催される今年のかかしまつりに何を作ろうか思案をしていたが、自分の姿をかかしを作ることにした。

 そうなれば、ただハゲ頭だけよりヒゲもあった方が似せやすい。
 で、とりあえず9月まではヒゲ面を続けることとしたが、ヒゲ面にはこれまで被っていたキャップが似合わないので、季節柄100円ショップのパーム帽に変えた。 
 
 しかし、そのままでは工作おじさんとしてのプライドもあるので、ボルトとゼムクリップで作ったボルトンボの アクセサリーを飾ってちょっとオシャレを気取ってみた。
 なかなか評判もいいようだ。

オマケのウンチク 
 
 
 色は少し地味だが、形が面白いこの花は何の花だか判りますか?

 これはニンジンの花です。
 そうです、あの野菜の人参です。
 普段ニンジンを栽培しても花が咲くまで放っておく人はいないので、あまり知られていませんが、収穫をしないでおくと、やがてこんなに面白い花が咲くのです。 

 水揚げもいいので、切花としても楽しめます。 


 


続・普通の人のお葬式

2015年06月19日 | 不思議

 阿奈井さんが起き出す昼過ぎになってメールの内容を伝えると・・・。
「おー!懐かしいなぁ、是非教えてやってください、あ、それから住所だけでなく電話番号も・・・」と寝起きにもかかわらず、明るい声が帰ってきた。

 そして私がY・Gさんに返信をしたその日のうちに、サイゴンのYさんから電話があり、後日東京に来るときには彼と会うことになったと阿奈井さんから電話があった。

 阿奈井さんと旧友の中を取り持てたことはそれなりに嬉しかったが、期待をしていたドラマチックな内容ではなかったことは少し残念だった。

その②モランボン料理学校
 月刊面白半分という雑誌は、当時人気作家が半年交代で編集長を務める雑誌だったが、開高健さんが編集長のとき、当時地下鉄の四谷3丁目にあったモランボン料理学校に通い、かの地の料理を学びながら、戦後朝鮮半島からの引揚者だった阿奈井さんの思い出を語るという企画が立てられ、阿奈井さんの他にその絵を担当する私と、編集部のTさんの男ばかりの3人が半年間料理学校に通うこととなった。
 

 前置きが長くなったが、当時阿奈井さんは毎年同志社の学生たちと韓国へボランティアのワークキャンプに参加をしていたが、モランボン料理学校に通うようになった年には、これまで何の障りもなく出されていたビザがワークキャンプの日程の直前まで発給されなかったということがあった。
 ちなみに、モランボンというのは北朝鮮の地名で、いわば品川料理教室と言う程度に軽く思っていたが、韓国側から見れば、私たち3人は料理を習うという口実で、何らかの裏の指令を受ける役だと、笑い話のような疑いをもたれていたようだった。

 そして、それが笑い話のような話はモランボン料理学校の方も同じようだった。

 阿奈井さんの朝鮮料理入門の連載が回を重ねて終わりに近づいたとき、学校の理事長が「今日はあなた方にお詫びをせねばならない」と私たちのところにやって来た。

 実は、私はこれまで、あなた方は取材と言う名目で、ここに何かを探りに来ていると思っていた・・・。
 今日はその失礼のお詫びにと、コリアンバーに案内された。

 つまり、私たち3人は結果的にはその疑いは解けたようだが、韓国側と北朝鮮側のどちらからも怪しい存在として、おそらく料理学校に通いだしてから私たち3人はずっと双方から(まったく無駄な)監視の対象になっていたようだった。

 この学校では料理の他に南北問題のシビアさを学ばせてもらった。

その③面白半分臨終号
「面白半分」という雑誌が倒産によって廃刊になるのは当然だったが、面白半分というタイトルを掲げていた以上、倒産でハイオシマイというわけにはいかないだろう。
 面白半分は面白半分的な終わり方をしなければ読者の納得は得られないのではないかと、これまで出版界に前例のなかった「臨終号」を発行することになった。
  

 細かい経緯を書くと、短編小説くらいの量になってしまうので、ここでは書くゆとりはないが、結果だけを言えば臨終号はスーパーの閉店セールのような大入り満員となった。

 そして、この企画?を実行したのは阿奈井さんと私、それに編集部のTさんという期せずして例のモランボン料理学校に怪しい人物としてマークされていた3人だった。
 


 阿奈井さんと私のエピソードはここまでだが、最後に彼の姪が語った阿奈井さん(伯父さん)像が面白く、ちょっと気になった。

「伯父は普通の人ではなかった・・・」彼女は冒頭からそう切り出して、追悼会の席は爆笑に包まれた。

 伯父さんに始めてあったとき、小学校の先生や両親などの私の周りの大人たちとは違っていました・・・と。
 
 私自身は阿奈井さんを普通の人と言う認識だったし、今日の追悼会の客たちの誰もが見慣れた普通の常識的な作家と見ていたのだが、そういう人種?と始めて出会った子どもの眼には新鮮な驚きがあったのだろう。

 ヤクザ稼業の仲間うちでは誰もが自分は普通の人だが、外部の人間にとってはやはりそれは普通の人ではない(異物)ように・・・。

 私自身、これまでまったく普通の人間のつもりで生きてきたが、甥や姪の眼から見ればやはり私は異物なのだろうか?
 そして、近所の人も眼から見てもちょっと変なオジイさんという存在なのだろうか。
 明日からはどんな顔をして生きて入ったらいいのだろうか。 

 阿奈井さんのお別れ会でそんなことを教わり、複雑な気分で帰ってきた。     合掌


普通の人のお葬式

2015年06月14日 | 交遊録


 先月、立て続けに3社の葬儀屋のチラシがポスティングされていた。

 ハゲタカたちは死期の近い動物の匂いを嗅ぎつけて、その上空を飛び続けて死ぬのを待っているというから、いよいよ私にもお迎えの来る日が近いのかな・・・と思っていたが、今月になってふたつ半の葬式のお知らせをいただいた。

 まずは、87歳と90歳の二人の方の大往生のお知らせだった。

 私自身もまだまだ当分死ぬような気配もないところから、どうやら私をターゲットにしたチラシ広告ではなかったようだが、期せずして葬儀屋のチラシが競うようにポスティングされた直後に二つの葬式があったのは、葬式業界にはこの時期は亡くなる人が多いというデータでもあるのかも知れない。

 ところで、二つ半の半分というのは、ノンフィクション作家の阿奈井文彦さんの追悼会が昨日東京の東中野で行われたが・・・
 

 本葬は阿奈井さんの故郷(大分)で行われたため、出版関係の編集者、カメラマン、文筆家などが集まって開かれたことをお葬式の半分として、明るく楽しいお別れ会に出席してきた。

 阿奈井さんとは30歳代から60歳代までの間の現役時代には私とコンビで月刊面白半分オール読み物諸君!それに日刊現代だったか夕刊フジだったか記憶が定かではないがなどなど、いろいろ共に取材をして歩いた仲だった。
 
上の一枚目の絵はオール読み物に連載した「千円亭主」、40年くらい昔のルポだが、サラリーマンの小遣いが1日千円だったころ、その二日分を溜めて2000円でどんなことが楽しめるか・・・というルポで、次の絵は諸君!に連載した「本と歩く」、共に阿奈井さんとのコンビで、東京だけではなく藤枝、長野、奥只見、宝塚市の方まで取材で歩いた

 追悼会の後半は、私だけが知っている阿奈井さんの素顔・・・をいろいろな人が披露をしたが、その中でした私の話は・・・

その①サイゴンから届いたメール

 今から4~5年前のことだが、私のブログに月刊面白半分の昔の仲間たちが時折新宿の居酒屋で酒を酌み交わしていたが、そのときの話を写真入りで私のこのブログに書いたところ、「私はサイゴンに住む
Y・G(日本人の名前)という者で、阿奈井さんがベトナムにいた頃、一緒に仕事を・・・」という説明のあと、阿奈井さんの連絡先を知りたいという内容だった。

 しかし、メールの文面はそうだが、メールの主は、実は日本に帰ってしまったお父さんを探している子かも知れない可能性もあることから、夜行性の阿奈井さんが起き出す昼過ぎになって電話をしてみた・・・・。

 ・・・と、ここまで書いたが、この話はまだまだ長くなりそうなことと、高齢の私は疲れてしまったので、一旦休憩をして続きは後日とさせてください。

 引っ張りまんなぁ、こないなところで中断されたら気になって寝られしまへんがな。
 早よう、続きを書いておくれやっしゃ!


家庭菜園も農繁期

2015年06月09日 | 家庭菜園

ふた月もの戦いで~ ヒゲも髪も伸びたのさ~・・・
*50年近くも昔にロシア民謡だったか、歌声喫茶と言うところでこんな歌が流行っていたことをご存知だろうか?


 このままヒゲを伸ばそうという気はないが、4月から、いろいろな用が重なって、疲労困憊の日々でヒゲを剃る暇がないわけではなかったが、気力がわかなくて、ヒゲも髪も伸び放題になっていたので、せっかく伸びたヒゲならしばらくの間遊んでみよう・・・と言う次第で現在はこんなヒゲ面になっています。

 さて、家庭菜園といえども、農繁期と言うものがあり、5月に比べればいくらかましになって、今はその忙しさを少し楽しめる気持ちにゆとりが持てるようになってきた。
*現役でイラストレーションを描いていたころは、締め切りが重なって忙しいときにも、パニック状態直前まではその忙しさにある種の快感を感じながら仕事をしていたことを思い出す。

 基本的にはナス、トマト、キュウリ、スイカなどの夏野菜の苗の植え付けは終えたが、サツマイモ、落花生の植え付けが遅れているし、今期の収穫を終えたイチゴの畝を来年の苗を作るための苗床にする作業は昨日やっと終えたばかりだ。

*イチゴは品種別に(手前よりトチオトメ、宝交早生、紅ホッペ)新しい苗が混じらないような仕切りを作ってランナーを這わせる。
 これから夏に向けての雑草に負けないよう、そして夏の日照りだ枯れないように、その手入れがとても大変なのです。

 昨日関東地も梅雨入りをしたが、入梅前に試し掘りをしたジャガ芋も梅雨の中休みを見て掘り上げねばならない。
 ニンニクの収穫は終えたが、タマネギの収穫は中途半端な状態で入梅したために、まだ吊るしていない玉が半分ある。

 モロヘイヤはタマネギの終ったあとの畝に植えつけようと、すでに種を蒔いて苗の準備も出来ているので、そこそこに急がねばならない。 
 
 さて、ゴールデンウイークの頃に植えつけたトマトはまだ青いが、収穫予定日まであと3週間くらい。

◍オマケのウンチク
 トマトは出てきたわき芽を摘み取って、1週間ほどコップの水につけておくと根が出てきます。

根の出てきたわき芽を土に挿しておくと、そのまま新しいトマトの苗になります。
*但し、出来た苗を植える場所をあらかじめ確保しておかないと、無駄な努力になります。

トマト大好きの私はすでに大玉トマト10株、中玉トマト20株を栽培していますが、まだ15株ほど植えるスペースを確保していて、この挿し芽の苗を育てていて忙しい中ながらルンルン気分です