もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

70の手習い

2011年09月27日 | パソコン

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ビルの窓に反射する海老名の夕日

海老名市はこのように田んぼとビルが混在している街です。

 パソコン教室に通い始めた、 いまさらながら・・・。。

 というのも、長い間慣れ親しんだ私のマックのG4というパソコンは購入当時には編集者から憧れの機種ですよ・・・といわれていたものだが、いかんせん10年という歳月には勝てず腰痛、老眼、抜け毛、高血糖値など・・・

 ア!これはパソコンではなくて自分のことだった。

 しかしパソコンの方も決定的に寝込んでしまうほどではないが、私と同様にあちこちに不具合が生じはじめた。

 そんな折に「ネットで安いパソコンを買ったから・・・」と息子が新しいウインドウズ7をプレゼントしてくれた。

 OH!新しいパソコンはスムーズに動いて快適だ・・・が、マックとは使い勝手が少々異なる。

 手探りであれこれといじっていると少しずつ判ってくるが、手探りでたどり着いた事柄はもう一度同じようには出来なくてまどろっこしいことこの上ない。

 まず、マックのマウスのクリックは右も左もなかったから、ウインドウズのマウスの右と左をどう使い分けるのかわからない。
 文書の保存は? 写真の加工と保存は? メールのアドレス帳がどこにあるのかわからない やっとみつけたアドレス帳に登録の仕方がわからない.

 アドレス帳に登録できないから、メールを送る必要のあるときには先方に電話をして空メールを送信してもらい、それに返信の形でメールを送るという馬鹿げたことをしていた。

 またブログの文章が意図しないところでブツブツと切れて勝手に改行されてしまう。
 何度やり直しても変則的な改行の原因がわからない。

 10年前にパソコンを習ったのは、全国の市町村でIT講習会が開かれたときだった。
 そのときは今とは逆に、講習会のウインドウズで習ってきたことを家に帰ってマックならどうするのかとやはり手探りで勉強をしていた。

 あのIT講習会で習ったのは、4日間でキーボードの扱い方とワード文書の書き方、それにいろいろなサイトの検索の仕方だけだった。
 
 あとは友人のデザイン事務所で教えてもらったり、我流でいろいろ遊んでいるうちに覚えてきただけで基本的なことがわかっていない。
 この際あらためてパソコン教室に行って習ってこよう。

 というわけで、近所のパソコンスクールの<自由選択3時間コース>に1時間づつ3回に分けて通うことにした。

 まるっきり初歩のキーボード操作から習っていたのでは無駄が多いので、しばらく新しいウインドウズを使って、疑問点10数箇所を書き出し、これを3回に分けて教えてもらうつもりで教室に向かう。

「高齢者ですから何度も同じことをお尋ねするかも知れませんが・・・」と老人を装って教室に入る。

 もーさん、あんたは装わなくったって一目見れば充分にご老体であることは誰の目にも明白です。

 生徒一人に先生一人の個人指導の教室では、疑問の10項目はその日の1時間だけでたちまち解決してしまった。

 そして、ブログの文章が意図しないところで改行されてしまう問題も・・・。
「ブログはどこのブログですか?」
「ocnです」
「あなたはブログの下書きをワードに書いてコピペをしていませんか?」
「そうしています」
「それが原因です、ocnのブログとワード文書の相性の問題でそういう現象が出ますから、直接書き込むか、下書きをするならメモ帳にしてそれをコピペしてください」

 パソコンの操作法の間違いで起きる現象かと思っていたから、もっと時間がかかると思っていたが、たったそれだけの会話でことは解決してしまった。
前回のブログ「かかしまつり」よりその問題が解決して、変な改行がなくなりました。

 残る疑問は写真の取り込みと保存、そしてその写真のサイズや解像度の変更、トリミングなどの加工の仕方だが、この分ではこれも10分くらいで終わってしまうかも知れないから、次回までにもう少し疑問の部分を見つけ出しておかねば・・・。


かかしまつり

2011年09月21日 | 雑記

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 今年で19回目になる「中新田かかしまつり」は9月10日から始まった。

 3年前までは、かかしまつりの実行委員に名を連ねていたこともあり、また他の人が出品しやすくするために昔ながらの一本足のかかしだけを作っていたが、一昨年からは実行委員を降りたことから、実用一点張りのかかしではなく、同じ団地に住む息子や孫と一緒になって家族で作ることが楽しいかかし作りに方針が変わってきた。

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 こうして孫とかかしを作りながら、40年前にも同じような場面があった記憶がよみがえってきた。

 当時30歳代の私はまだ工作おじさんではなく、挿絵やイラストレーションを描くことを生業としていたが、休日などには二人の子どもが
小学校を卒業するまでの間、昔の手づくり遊びを教えたり、また家族だけのイベントディーを作って楽しんでいた。
    
 現在は40年前の息子たちと同じように孫とのコミュニケーションをかかしを作りながら楽しんでいる。
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「えびーにゃ」は海老名市の公式キャラクターだが、その家族としてパパ、ママ、爺さん、婆さんのかかしは勝手に創ってしまった。

昔の私の子育ての詳しいエピソードは「遊びの歳時記」に掲載をしています。
 長い話になりますが、ご一覧ください。
 これは、20年ほど前に一度「別冊PHP」に連載した記事ですが、連載中は紙幅の制限があったために要約して掲載したものを原文に戻したものです。

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10月14日から孫と遊べるお爺さんとお婆さんをテーマにした「大人のリサイクル工作」という講座(8回)を東京都台東区の根岸社会教育会館で開催します。
 詳しくは
根岸社会教育館にお問い合わせください。
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がんばっぺ やまもと・・・その2

2011年09月18日 | 工作教室

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さて、7月まで避難所となっていた宮城県亘理(わたり)郡<msnctyst w:st="on" address="山元町" addresslist="04:山元町;">

山元町

</msnctyst>の山下中学校で「がんばっぺやまもと 子どもと大人と遊び隊」の当日・・・。

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 宮城県内はもとより全国各地からのボランティア団体による絵手紙指導、タオル人形指導、切り絵体験、おもちゃ作り、ソーセージ作り体験、アームレスリング、巨大鍋で作るパエリアなどなどが用意されているようだ。

そんな中で、キッズファクトリーはガチャポンバードのほかに、CDとフイルムケースで作るホバークラフト、パズルのコーナーを運営。

イベント開始時間10時からに備え、8時から会場設営準備を始めていると、ガチャポンバードの出来上がりサンプルを見た同じ会場で行う他のボランティアたちから「かわいい」「かわいい」という声がしきりに聞かれ不安が心をよぎる。

 イベントの開始時間になると、心配したとおり次々とバードを作りたい子どもたちが集まってきて、付き添いの親もお婆ちゃんも一緒になってガチャポンバード作りが始まり、キャパシティー20席の私たちのコーナーは常に満席でパニック寸前。

休憩などとる暇もなく、昼食の弁当もアシスタントと交代で、数分で食べ終えねばならない過酷な状態となってしまった。

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 奮闘の結果、午後2時のイベント終了時刻までの4時間で184人の参加者に楽しんでもらうことが出来ました。

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 ちなみに、同じキッズファクトリーが実施したCDとフィルムケースで作るホバークラフト作りのコーナーも用意した100個の材料はすべてなくなり、パズルのコーナーも約100人が参加。

午後2時からの閉会式では鎮魂のオカリナ演奏に続いて午後246分には全員で黙祷をささげ半年前をしのび、これからの活力となるイベントは終了。

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がんばっぺ やまもと・・・その1

2011年09月14日 | 工作教室

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 震災の直後、小学校の1年生になったばかりの孫はボーイスカウトの一員として駅前での募金活動のお手伝いをし、息子は、業務ではあるが被災地での数百台の壊れてしまったコピー機の修理が現地スタッフの手では直しきれず、全国の支店から応援スタッフとして10日ほど<msnctyst w:st="on" addresslist="03:岩手県盛岡市;" address="盛岡市">

盛岡市

</msnctyst>へコピー機のメンテナンスに行ってきた。

 私にも何か役立つことが出来ないものかと思っていたが、高齢の私には役立てることも見つからないまま半年近くが過ぎたある日、横浜にある青少年育成団体を運営しているキッズファクトリーの塚田さんから電話があった。

 塚田さんは若い人たちを連れて震災後に何度も宮城県を訪れ、瓦礫の運び出しなどの支援をしてきて現地で知り合ったボランティアから9月11日、<msnctyst w:st="on" addresslist="04:宮城県亘理郡山元町;" address="宮城県亘理郡山元町">

宮城県亘理郡山元町

</msnctyst>の中学校で行われる「がんばっぺやまもと 子どもと大人と遊び隊」というイベントに参加要請を受け、私の持ちネタである「ガチャポンバード」で山元の子どもたちに楽しんでもらいたいがボランティア一緒に行ってくれませんか・・・という話だった。

イベント前日の10日に現地入り。

 材料、道具などを積んだ車で現地入りのキッズファクトリーの一行5人と新幹線<stationname w:st="on" stationname="の白石蔵王">

の白石蔵王駅

</stationname>で待ち合わせ、まずは会場となる中学校の下見と同町付近の津波の被害地を見て来た。

 震災直後にテレビの画面で見たがれきはおおよそ片付けられて方々に高く詰まれていて、一見広い草原のようにも見えるが、近くによって見ると雑草の中には住宅の基礎部分が残っていて、ここは畑地や草原ではなく、あの日までは100戸くらいあった町だと聞いて心が傷む。

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●コンクリートの基礎だけが残った駅前の商店跡

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     遠くから見えていたステージ状のコンクリートは常磐西線<stationname w:st="on" stationname="の坂本">

の坂本駅

</stationname>のプラットホームで、屋根も柱も流され、線路も小石や砂で埋まっている。

     乗車口のプレートでここがプラットホームであったことをうかがうことが出来る。

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     砂に埋もれた線路上に取り残されたように電気機関車が一両。

牽引していたコンテナ車両はすべて津波で流されてしまったが、機関車だけはその重量ゆえに線路上にとどまったようだ。

ここまでが長くなってしまったので、本題の「がんばっぺ やまもと」での工作教室の話は次回(数日後)までお待ちください。


金縛り! 除霊の値段

2011年09月04日 | 雑記

あれが最初に起こったのはもう半年も前のことだろうか。

 菜園に向かう途中、交差点の傍の電柱の根元に花束、清涼飲料の容器が置かれている前を通って間もなく、急にペダルが重く感じられるようになった。

 が、しばらく走るうちにフっと何かの力が緩んだかのようにまた普通に走れるように戻る。

 そんな状態何日も繰り返すうちに、症状は次第に重くなり腰をあげてペダルを踏み込まないと自転車は走らなくなった。

 金縛り状態になったのは私ではなく自転車の方だ。

 それ以来こんなことが数日おきに起こるようになり、自転車を降りスタンドを立て、ペダルを手で空回りをさせてみるが、車輪は何事もなかったように軽く回る。

その頻度は徐々に増して、雨上がりの日には必ず金縛りになってしまうようになった。

 これまでの様子を振り返ってみると、どうやら雨の後に後輪のブレーキが濡れると異常が起きる確立が高そうだ。

*最初にこの現象が起きた事故現場との因果関係はないらしい。

 後輪のブレーキは前輪のそれとは構造が違っていて、外見からは異常がわからないが

近くのホームセンターで見てもらうと、長年使用したブレーキにゆがみが出ているということで後輪のブレーキ交換をしてもらうと8千円くらいかかるという。

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    この部分の除霊?が必要らしい。

 購入したときは中古で8千円で買った自転車だから同じ値段なら買い換えたほうが良さそうだが、つい10日ほど前に磨り減ったタイヤを息子が来て交換してくれたばかりだ。

 試しにもう一軒大型スーパーの自転車売り場で尋ねてみると、パーツ代2100円と技術料2千円で4100円ですという。

 へー、そんなに違うものかと、念のために今度は軽自動車で団地にやって来る自転車の修理屋さんに聞いたみたら、何と2500円で直しますという。

 かくして自転車の金縛り現象は、最初に聞いたところの3分の1以下で除霊ができ、そのうえ全体の調整もしてくれて、中古で購入して以来6~7年も乗ってすでに減価償却も終えた自転車だが、今はまた元のように快調に走っている。

メデタシ メデタシ・・・・。